
人生は、途中からでも取り戻せる
1.子どもでいられなかった私が、写真で人生の線をつなぎ直すまで
これは、人生のどこかで線が途切れたように感じた人へ向けて書いた文章です。
毒親育ち、うつ病、育児、就職氷河期、諦めた夢。
それらをきれいに美化するのではなく、もう一度自分の人生の線としてつなぎ直すために書きました。
人生には誰にでも、自分の努力だけではどうにもならないものがある。
生まれた家庭、時代、病気、育児、人間関係。
そうしたものに押し流されて、もう自分の人生は前に進まないのではないかと不安に思うだろう。
私にも、そう感じてきた時間があった。
子どもが子どもとして生きる術をなくしたこと。
普通も、言葉も、簡単には信じられなかったこと。
心を病み、それでも生活を続けてきたこと。
諦めたと思っていた道があったこと。
けれど今、私は思う。
人生は、途中からでも取り戻せる。
途切れたと思った人生の線も、別の形でつながることがある。
これは、きれいごとの希望の話ではない。
それでも、人生は取り戻せるかもしれないという話だ。
このnoteでは、私が写真と言葉を通して、どのように自分の人生の線を縫い合わせてきたのかを書いていきたい。
2.人生の線が、途切れたように感じることがある
人生は、まっすぐには進まない。
努力すれば報われる。
前向きに生きていれば、いつか道は開ける。
そう言われることはあるけれど、現実はそれほど単純ではない。
生まれる家庭は選べない。
生きる時代も選べない。
親の状態も、社会の流れも、自分の心や身体に起きることも、すべてを自分の力だけで変えられるわけではない。
私自身が就職氷河期の中生きてきたように、個人の努力だけではどうにもならない時代がある。
家庭の中で、子どもが子どもでいられないこともある。
育児や支援の中で、支える側が限界に近づいてしまうこともある。
心を病み、昨日までできていたことが急にできなくなることもある。
そういう経験を重ねると、自分で自分を認められなくなってしまう。
自分だけが取り残されたような感覚。
もう普通の道には戻れないのではないかという不安。
何をしても報われないのではないかという諦め。
私にも、そういう時間があった。
でも今は、その途切れたように見えた線を、完全に失敗だったとは思っていない。
まっすぐにはつながらなかった。
望んだ形ではなかった。
遠回りもした。
それでも、別の形でつながっていくことがある。
失ったと思っていた道が、別の経験を通って戻ってくることがある。
報われなかった経験が、自分が何を見逃せないのかを教えてくれることがある。
私は、そのことを写真と言葉で書いていきたい。
3.私は、子どもでいられなかった子どもだった
私は、子どもでいられなかった子どもだった。
幼いころから、家の中には安心よりも緊張が多かった。
大人同士の喧嘩、感情のぶつかり合い、アルコールの問題、心を病んだ母の存在。
本来なら大人が背負うべきものが、子どもの私のところまで降りてきていた。
親の相談を聞くことがあった。
助けてほしいと言われ、幼いなりに必死で応えようとした。
親の都合で学校を休んだこともあった。
けれど、後になって何事もなかったかのように「そんなもの知るか」と言わんばかりに突き放されることもあった。
両親の大きな喧嘩のあと、問題が生じた後、親戚や近所に謝りに行くのは、子どもの私だった。
本当なら、守られる側であるはずの子どもが、大人の後始末をしていた。
家も決して裕福とは言えなかった。
年少組だった私は、破れたソックスを買ってほしいと言えず、自分で破れたソックスを縫って小学校へ通った。
そういう経験の中で、私はいつの間にか、子どもらしく甘えることよりも、空気を読むことや、自分が壊れないように立ち回ることを覚えていったのだと思う。
だから私は、人が人を道具(モノ)のように扱うことが苦手だ。
都合のいいときだけ頼り、必要がなくなれば突き放すこと。
相手によって態度を変えること。
表では優しく見せながら、見えないところで切り捨てること。
そういう場面を見ると、過去の自分の痛みが反応する。
私は、ただ傷ついた話をしたいわけではない。
けれど、自分が何を見逃せない人間なのかを考えると、この経験を避けて通ることはできない。
私は、誰かが誰かの都合のために使われることを見逃せない。
子どもが大人の代わりに背負わされることも、
弱い立場の人が黙って「我慢するしかない」ようにされることも、
見えないところで存在を軽く扱われることも、見逃せない。
たぶん、私が写真で見つめたいものも、そこにつながっている。
人が写っていなくても、そこに残る生活の跡。
言葉にならなかった気配。
誰にも見られないまま通り過ぎていく時間。
見過ごされる存在。
「見えないけれど本当は見えるもの」
私は、そういうものに、もう一度光を向けたいのだと思う。
4.普通も、言葉も、簡単には信じられなかった
忘れられない記憶①
私は、普通も、言葉も、簡単には信じられなかった。
保育園のころ、お弁当にキャラクターのふりかけを持って行ったことがある。
隣にいた子に、その袋を「ちょうだい」と言われた。
そして、「くれたら昼休みに一緒に遊ぼう」と言われた。
私は、その言葉を信じた。
袋をあげた。
けれど昼休みになると、その子は言った。
「嘘だよ」
たぶん、相手にとっては軽い冗談だったのかもしれない。
子ども同士の、よくあるやり取りだったのかもしれない。
でも私には、それが深く残った。
物を取られたことよりも、信じた言葉が簡単に反故にされたことが苦しかった。
「遊ぼう」という言葉を信じた自分が、置き去りにされたような気がした。
そのころから私は、曖昧な約束や、その場だけの優しさが苦手になったのだと思う。
社交辞令として流せる人もいる。
でも私には、言葉を信じたあとに突き放されることが怖かった。
忘れられない記憶②
クリスマスにも、忘れられない記憶がある。
クリスマスの時期になると、私は一人で布団に入った。
枕元に靴下を置いて寝ていた。
本当は分かっていた。
サンタクロースが本当に来るわけではないこと。
平和な家では、親がサンタの役をしているのだろうということ。
けれど私は、それでも一人で物語をつくっていた。
サンタが来てくれる。
私を見つけてくれる。
私を受け止めてくれる。
プレゼントを置いてくれる。
そんなストーリーを、布団の中で勝手に想像していた。
八歳くらいまでだっただろうか。私はクリスマスの時期になると、そんな気持ちを抱えていた。
サンタなんていないと分かっている。
でも、誰かに見つけてほしかった。
誰かに受け止めてほしかった。
平和な家の中で、ただ子どもとして眠りたかった。
だけど、それはもう八歳で諦めた。
家には、夢より先に現実があった。
安心よりも緊張が多かった。
楽しいはずのクリスマスに、ケーキが投げつけられてぐちゃぐちゃになった光景を見たこともある。
だから私は、サンタを信じている子たちを見ると、腹が立った。
「そんなものいるわけない」
そう思った。
アルコールの問題も、罵倒も、大きな喧嘩もない。
そんな平和な家庭で、サンタを待てる子どもたち。
私は、その子たちを心の奥で責めていた。
でも本当は責めたかったのではなく、そんなことを信じられる世界にいる子たちが、ただうらやましかったのだと思う。
そんな私は保育園に通っていた頃、サンタを信じている子たちに「そんなものいるわけない」と言って、泣かせてしまったことがある。
そして、もちろん私は先生に怒られた。
所詮先生なんて、表面的に分かりやすい、「素直でいい子」だけの味方だよな。
別に分かってもらおうなんて思っていないし。
だけど、今なら思う。
あれは、ただの意地悪ではなかった。
もちろん、人を傷つけてよかったわけではない。
けれど、あのときの私は、自分が見てきた現実を抱えきれず、誰かの信じている世界に怒りをぶつけていたのだと思う。
さまよう境界線
同じ場所にいても、人は同じ世界を見ているとは限らない。同じ言葉を聞いても、同じ意味で受け取っているとは限らない。
誰かにとっての軽い冗談が、別の誰かには深い裏切りになることがある。
誰かにとっての夢や普通が、別の誰かには遠すぎるものに見えることがある。
誰かにとっては何でもない一言が、別の誰かの中では、長く消えない傷になることがある。
私は、そういう境界線をずっと見てきたのだと思う。
普通という概念の中にいる人と、そこから外れている人。
言葉を軽く流せる人と、言葉を信じて傷つく人。
夢を信じられる子と、最初から現実を見てしまった子。
守られている人と、守られるべき場所で守られなかった人。
私が言う「境界線」は、単なる人との距離感ではない。
それは、本来なら踏み越えられてはいけない線のことでもある。
心の内側。身体の内側。安心していられるはずの場所。
子どもが子どもとして守られるべき場所。
そこに、誰かが土足で入り込んでくることがある。
そして、境界を侵された側は、すぐに言葉にできるとは限らない。
怖くて言えないことがある。
言っても信じてもらえないと思うことがある。
自分が悪かったのではないかと、逆に自分を責めてしまうこともある。
言えなかった痛みは、なかったことにはならない。
声にならなかったものは、消えたわけではない。
それは、沈黙や、表情や、距離や、生活の跡の中に残る。
だから私は、人の不在に惹かれるのかもしれない。
誰も写っていない場所に残る気配。
使われたままの机。
光の差す床。
閉じられた窓。
置き去りにされたもの。
そこには、言葉にならなかった時間が残っている気がする。
私は、そういうものを見過ごしたくない。
うわべだけの言葉や、きれいに整えられた関係の奥に、何が残っているのか。
誰が声を飲み込んだのか。
誰が普通だと決めつけられた勝手な概念の外側に立たされていたのか。
誰が、自分の境界を守れないまま生きてきたのか。
「アノコヲナカセタノハ、ダレダ?」
私が写真で見つめたいものは、たぶんそこにある。
境界線とは、分けるための線だけではない。
その人の尊厳を守るための線でもある。
だから私は、光と影のあいだに残るものを見たい。
言葉にならなかった痛みと、それでも消えなかった光を見つめていたい。

5.うわべの承認欲求に流されると、流れは止まる
孤独は、ただ寂しいだけではない。
私にとって孤独は、ときに「消えてしまうこと」や「生きる意味を失うこと」に近い感覚を連れてくるものだった。
誰にも見られていない。
誰にも必要とされていない。
どこにも居場所がない。
そう感じるとき、人は自分の存在そのものが薄くなっていくような怖さを覚えることがある。
私は、神経症とうつ病を経験し、心身の調子を大きく崩した時期がある。
医師からは、寛解まで十年かかるかもしれないと言われたこともあった。
そのころ、私はよくこう言っていた。
「私は、誰からも必要とされていない」
それは、ただ拗ねていた言葉ではなかった。
本当に、自分の存在がどこにも結びついていないように感じていた。
誰かの役に立てなければ、必要とされなければ、自分には価値がないのではないか。
そんな感覚が、心の奥にあったのだと思う。
孤独や不安が大きくなると、人はそれに向き合うことが怖くなる。
だから、外側から自分の価値を確かめようとする。
誰かに認められたい。
注目されたい。
羨ましがられたい。
仲間の中にいると思いたい。
価値がある人間だと、外側から証明してほしい。
そうやって、他人の視線で自分の存在を支えようとすることがある。
けれど、そこに自分の舵はない。
他人に褒められたら安心する。
見てもらえなければ不安になる。
誰かの反応で、自分の価値が上がったり下がったりする。
それは、自分の人生を生きているようで、他人の人生を歩んでいる。
そして、実は他人の評価に自分を預けている状態なのだと思う。
私も、そういう感覚と無縁ではなかった。
不安や孤独を見つめるのが怖いとき、人から認められることで、なんとか自分を保とうとすることがある。
でも、それでは人生の流れは止まってしまう。
壊れた自分。
失敗した自分。
利用された自分。
報われなかった自分。
子どもでいられなかった自分。
諦めた自分。
それらを見ないようにして、表面だけを整えても、心の奥では何かが止まったままになる。
人生の流れを止めないためには、切り捨てたかった自分を、もう一度見つめる必要があるのだと思う。
それにはかなりの勇気と労力が必要だ。
だから、今しんどい人は無理にしなくてもいい。
見たくなかったものを見ること。
なかったことにしてきた痛みを、なかったことにしないこと。
失敗した自分も、利用された自分も、報われなかった自分も、今の自分と縫い合わせていくこと。
それは、過去に戻ることではない。
過去に飲み込まれることでもない。
むしろ、自分の人生の舵を、自分の手に戻すことだと思う。
私は、うつ病を一瞬で克服したわけではない。
気合いで乗り越えたわけでもない。
ただ、今を見つめることから逃げず、少しずつ動きを止めないようにしてきた。
止まりそうになっても、完全には止めなかった。
途切れたように見えたもの、苦しかった経験を、少しずつつなげてきた。
そうして、私は生きてきた。
うわべだけの承認欲求に流されると、現実を見なくて済む。
けれど、そのかわりに、人生の流れは止まってしまう。
孤独(=存在を消される恐怖)から逃げるために承認を求めるのではなく、
孤独を見つめて、表現のエネルギーに変えていくこと。
私にとって、写真や言葉は、そのための行為でもある。
見たくなかったものに光を当てる。
切り捨てたかった過去を、今の自分とつなぎ直す。
止まっていたものを、もう一度流し始める。
それが、私にとって「生きる」ということに近い。
6.写真は、私をきれいに癒したわけではない
写真が、過去の私をきれいに癒したのかと聞かれたら、正直よく分からない。
写真を撮ったから、子どものころの傷が消えたわけではない。
写真を仕事にしたから、裏切られた記憶や、搾取された痛みがなくなったわけでもない。
心を病んだ時間が、美しい物語に変わったわけでもない。
だから私は、簡単に「写真に救われました」とは言えない。
でも、写真は確かに私の人生を広げた。
撮影を仕事にすることで、私は人の人生の節目に関わるようになった。
結婚、成人式、プロフィール写真、学校での記録・・・。
誰かにとって大切な時間を、写真として残す仕事をしてきた。
その積み重ねは、ただの撮影経験ではなかった。
私にとっては、食べていくための技能であり、社会と関わるための手段でもあった。
そして、その写真の経験は、後に写真講座や美術教育へもつながっていった。
私はもともと、美術の道に進みたい気持ちがあった。
絵を描くことが苦手だったわけではない。
美術大学や、アニメーションを学ぶ学校に進みたいと思ったこともある。
けれど、家庭の事情や金銭面、親の親代わりのように生きてきた現実の中で、他県へ出て学ぶことを諦めた。
そのとき、美術の道は一度途切れたように見えた。
でも、写真を続けてきたことで、私は再び美術に近い場所へ戻ってきた。
写真の仕事や経験が、芸術分野の実績となり、やがて美術を指導する仕事にもつながった。
失ったと思っていた道は、完全に消えていたわけではなかった。
遠回りをして、写真という形で、別の場所から私の人生に戻ってきたのだと思う。
写真は、私を魔法のように癒したわけではない。
でも、私の手に技能を残してくれた。
仕事をつくり、経験を広げ、美術へ戻る道を開いてくれた。
それは、私にとって大きな意味がある。
人生は、きれいな物語のようには進まない。
失ったものが、そのまま戻ってくるとは限らない。
諦めた夢が、同じ形で叶うとも限らない。
けれど、別の形でつながることはある。
私にとって写真は、その証拠のようなものだ。
過去を消すものではなく、途切れたと思った線を、今の自分へ縫い合わせるための現実的な力だった。
だから私は、写真をただの趣味や仕事としてだけではなく、自分の人生を動かしてきたものとして見ている。
7.モノクロで色を削ぎ落とす理由
私がモノクロで撮るのは、色が嫌いだからではない。
むしろ、色は美しい。
季節の色、空の色、花の色、肌の色、街の色。
色には、その場の温度や空気を一瞬で伝える力があるだけではなく、鑑賞者の五感に訴える力も存在するのではないだろうか。
それでも私は、あえて色を削ぎ落としたいと思うことがある。
なぜなら、色はときに、うわべを美しく見せてしまうからだ。
その時代に存在する
流行の色。
映える色。
誰かに好かれやすい色。
分かりやすく整えられた色。
そうした「うわべだけ」のものに目を奪われると、その奥にある本質を見落としてしまうことがある。
光。
影。
距離。
痕跡。
沈黙。
そこに残っている時間。
そして、その人や場所が生きてきた気配。
私が見たいのは、そういうものだ。
私は、「うわべだけ」の関係や言葉にずっと違和感を持ってきたし、本音と建て前という微妙な距離感が苦手だ。
表面だけ優しく見せること。
何もなかったように整えること。
本当は傷ついているのに、きれいに流されてしまうこと。
だから写真でも、うわべを削ぎ落としたいのだと思う。
モノクロにすると、色の情報は消える。
けれど、何もなくなるわけではない。
むしろ、光と影の差が見えてくる。
ものの形が浮かび上がる。
人がいない場所に残る気配が濃くなる。
古いものに刻まれた時間が見えてくる。
沈黙していたものが、少しだけ語り始める。
私にとってモノクロは、白か黒かを決めるためのものではない。
私は白黒思考の苦しさを知っている。
物事を白か黒かで判断したくなる自分がいる。
曖昧な言葉や関係が苦手で、はっきりさせたくなる自分がいる。
けれど、モノクロ写真を見ていると、白と黒だけではないことに気づく。
そのあいだには、無数のグレーがある。
言い切れない感情がある。
責めきれない過去がある。
簡単には割り切れない痛みがある。
そして、それでも残る光がある。
だから私は、モノクロで撮る。
色をなくすためではない。
うわべを消し、光と影、痕跡、沈黙、生き様という本質を見つめるために。
私にとって光を当てるとは、きれいに飾ることではない。
写真で例えるなら、光を読んで、光と影をつくり、綺麗な写真を撮るという単純なものでもない。
見たくなかったものを、冷静に見つめ直すこと。
なかったことにされてきたものを、なかったことにしないこと。
声にならなかったものの前で、立ち止まること。
その奥に、まだ消えていない生きる力を見つけること。
「見えないけれど本当は見えるもの」
私は、本質であるその光を撮りたい。

8.途切れた線も、別の形でつながる
人生は、元通りにはならないことがある。
失った時間が、そのまま戻ってくるわけではない。
傷ついた過去が、なかったことになるわけでもない。
諦めた道が、同じ形で目の前に戻ってくるとは限らない。
私も、そうだった。
子どもでいられなかった時間があった。
「普通」という概念も言葉も、簡単には信じられなかった。
「普通」って、誰が決めたのですか?
心を病み、自分の存在が薄くなっていくように感じたこともある。
美術の道を諦めたと思ったこともあった。
けれど、それらは完全に消えたわけではなかった。
失敗した自分。
利用された自分。
報われなかった自分。
諦めた自分。
子どもでいられなかった自分。
そのすべてを切り捨てるのではなく、少しずつ見つめて、今の自分と縫い合わせてきた。
写真は、そのための力になった。
写真は、過去を魔法のように癒したわけではない。
けれど、私の人生を広げた。
仕事になり、技能になり、もう一度美術へ戻る道にもなった。
そして、見過ごされる存在や、言葉にならなかったものに目を向ける力をくれた。
途切れたと思った線は、終わりではなかった。
ただ、まっすぐにはつながらなかっただけだった。
遠回りして、形を変えて、別の場所からつながっていくことがある。
だから私は、人生に光を取り戻したい人に伝えたい。
あなたは、誰かの都合のために生きなくていい。
誰かの後始末のために、人生を使い切らなくていい。
うわべの承認欲求に、自分の舵を渡さなくていい。
見たくなかったものを、すぐに全部見なくてもいい。
でも、少しずつ見つめることはできる。
失敗した自分も、傷ついた自分も、諦めた自分も、今の自分とつなぎ直していくことはできる。
それは、過去に戻ることではない。
過去に負け続けることでもない。
自分の舵を、自分の手に戻していくことだ。
私にとって写真は、そのための行為だった。
色を削ぎ落とし、うわべを消し、光と影、痕跡、沈黙、生き様を見つめる。
そうすることで、見たくなかったものの奥に、まだ消えていない光を探している。
人生は、きれいな物語のようには進まない。
けれど、終わったと思った場所から、別の線が伸びていくことがある。
人生は、途中からでも取り戻せる。
途切れたと思った人生の線も、別の形でつながることがある。
私は、その光を信じたい。
9.これから書いていきたいこと
これから少しずつ、私がなぜモノクロで撮るのか、なぜ写真に言葉を添えるのか、なぜ見過ごされる存在に光を向けたいのかを書いていきたいと思います。
毒親育ち、アダルトチルドレン、障がい者育児、うつ病の経験、美術への道、写真という仕事。
それぞれは別々の出来事に見えて、今の私の中では一本の線でつながっています。
これは、その最初の記録です。
※本記事のみ、全体像と自分の軸を整理するための入口記事であるため、筆者自身の体験・思想・言葉をもとに、構成整理と推敲の一部でChatGPTの補助を受けています。最終的な内容確認・修正・公開判断は筆者本人が行っています。
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