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未到の道③|遅れて咲く花の倫理

    第二節|正しさの影に、人のかたち

    正しさが歪む瞬間には、
    必ず「人」がいる。

    規則は、
    本来、秩序を守るために存在している。

    だが――
    そこに人の感情や都合が入り込んだとき、
    正しさは少しずつ形を変えていく。

    上の顔色を読む。
    空気を先回りして判断する。
    波風を立てないために、
    沈黙を選ぶ。

    そうしていつの間にか、
    「正しいかどうか」よりも、
    「都合が良いかどうか」が優先されていく。

    だが厄介なのは、
    そこに露骨な悪意がないことだ。

    むしろ多くの場合、
    本人は“正しいことをしている”と思っている。

    だからこそ、
    正しさは歪む。

    昔、このような人を「佞臣」と呼んだ。

    権威に従い、
    空気に合わせ、
    自分の立場を守ることに長けた人。

    だが現代では、
    もっと穏やかな言葉で呼ばれているだけなのかもしれない。

    そして彼らが最も恐れるのは、
    大声で反抗する人ではない。

    静かな在り方を崩さない人である。

    迎合せず、
    誇示もせず、
    ただ自分の基準を持って立っている人。

    その存在は、
    場の空気を変えてしまう。

    なぜなら――
    権威を通さない「在り方」には、
    不思議な説得力が宿るからである。

    ある少女は、
    「それでも自分の確信に従う」と答えた。

    歴史はその名を、
    ジャンヌ・ダルクと記した。

    論理だけでは、
    人は動かない。

    生き方そのものが、
    場を動かすことがある。

    そして私たちは、
    もう一つ知っている。

    正しさは、
    沈黙と結びついたとき、
    最も危うくなるということを。

    「自分は決めていない」
    「ただ従っただけだ」

    その言葉の積み重ねが、
    多くの歪みを見えなくしてきた。

    だからこそ必要なのは、
    誰かを強く裁くことではない。

    途中で、一度立ち止まることである。

    線を引く前に。
    排除を決める前に。
    空気に流される前に。

    「本当に、これするしかないのか」

    そう問い直してみること。

    その小さな問いが、
    正しさの影に隠れていた
    “人のかたち”を照らし出していく。

    そしてその問いは、
    やがて次の在り方へと繋がっていく。

    争わずに立つという、
    静かな強さへと。

    ーつづくー
    未到の道④|遅れて咲く花の倫理
    第3節|争わずに立つ言葉

     
     

    Kei

     
     
    書道家として活動し、時に俳句を詠む。 聞こえにくい世の中の声に、静かに耳を傾ける。 辛い思いも、誰かに話せたなら―― その心に、そっと寄り添う言葉を。

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