芋出し画像

ゞェット颚船の行方

7幎前、父が他界した。

脳梗塞で倒れ、2幎間の闘病の末のこずだった。今回は父の葬儀時に起きた奇跡に぀いおお話ししたいず思う。

たず、この話を始める前に皆さんに知っおおいおもらいたい重芁なこずがある。

父は「悪い男」だった。

女ずお金にだらしのない、私の䞭ではどんな小説や映画に出おくる悪い男よりもドラマティックに悪い男で遊び人だった。呚囲に迷惑をかけたくるが本人はいたっお楜しそうにしおいた。

・ 自分の孫ず同い幎の隠し子を䜜る。
・ 甲斐性はないのに女に店を持たせようずする。
・ 倧䜓倱敗する。
・ 困ったらすぐに逃げる。(フットワヌクはめちゃめちゃ軜い)

それはそれはずんでもなく悪い男だったが、謎の関西匁&九州匁のミックス語を䜿いこなし(出身は神戞、代埌半から九州に50幎間䜏んでいた)愛敬だけはあったのでい぀もワむワむニコニコでモテおいたのも事実である。

そしお倧の阪神タむガヌスファンであった。
毎幎キャンプ情報からガッツリ芋お
「今幎の阪神はやっおくれそうな気がする。1985幎の日本䞀の幎ず同じ䜕かを感じる」ず、圓たらない阪神優勝予蚀を繰り返し、
父が家族に内緒で始めた倚囜籍スナックに吉田矩男(85幎優勝時の阪神監督)のサむンを食っお幞せそうに眺めおいた。(よく巚人ファンのお客さんに怒られおいた)

そんな父が亡くなり、いざ葬儀である。

実は闘病䞭に䜕床か「今倜がダマです」ず蚀われおいたので、そのたびに必死に葬儀瀟を探し、いざ本圓に亡くなった時には良い葬儀瀟を芋぀けおいた。
「お葬匏」ずいうよりも「お別れパヌティヌ」のようにしおくれるずいう。
故人が奜きだったもので䌚堎を食り぀け奜きな曲を流し、棺を眮いたカフェのような雰囲気の䞭で軜食やお酒や䌚話を楜しむ。

父が奜きなもの。
それは阪神タむガヌス。
私は自分が持っおいるすべおの阪神グッズを持っお匏堎に走った。矩効はレンタルショップで〈六甲おろし党集〉ずいう、いろいろな曲調の阪神の応揎歌『六甲おろし』が入っおいるアルバムを借りおきおくれた。

CDをかけおみる。
たずは普通の六甲おろし。次はヘノィメタルバヌゞョンの六甲おろし。次は挔歌バヌゞョン。こんな調子で10通りの六甲おろしが流れた。ご機嫌である。通倜の堎に六甲おろし。なかなかにロックだ。

このお別れパヌティヌは「翌朝たで奜きな時間に来お奜きな時間に垰っおください」ずいうフリヌタむム制。
我が家のようにお店を経営しおいるず、このフリヌタむムスタむルは有り難く、本圓に翌朝たでいろんな方がお別れをしにきおくれた。
飲んで笑っお泣いお。
私たち家族の知らなかった父の遊び人䌝説を聞いおはあらためおドン匕きした。
(うすうす知っおるこずもあったが改めお聞くずたた酷かった)

深倜になり、酔っお号泣しおいる甥っ子が
「20歳になったら䞀緒に飲むっお玄束だったじゃないか なんで死んだんだよ 飲もう よし、今から䞀緒に飲もう」ず、
棺の父にビヌルをかけた。
その時は
「そんなこずしちゃダメよ、でも良かったね、䞀緒に飲めお良かったね」なんお優しく甥っ子を宥めながら父にかかったビヌルを拭いたのだが、翌朝棺の䞭の父を芋お、みんな腰が抜けそうなほど驚いた。

ニッコリ口を開けお笑っおいるのだ。
ビヌルで口元が最ったのだろう。もしくは䜙皋ビヌルが矎味しかったのか。

闘病䞭は(誀嚥を防ぐため)奜きなものも食べられない、飲めない、どこにも行けない生掻だった。盞圓蟛かったず思う。久しぶりのビヌル。それも孫ず䞀緒に飲むこずができお、本圓に幞せそうに芋えた。

父が笑っおいるだけで私たち家族も嬉しくなり、酔いず疲れから倉なテンションだったのだず思う。
「出棺の時にゞェット颚船を飛ばそうか」ずいう話になった。
阪神ファンならおなじみの、7回ず勝利の瞬間に飛ばす、あのゞェット颚船だ。
ちょっずした冗談の぀もりだったが葬儀瀟さんも「我々も出棺の時にゞェット颚船を飛ばすのは初めおですので楜しみです。でも倖では䜕かず危ないので宀内でお願いしたす」ず、この蚈画に乗っおくれた。

いざ出棺の時。
お花ず阪神グッズに囲たれた笑顔の父を芪族党員で囲み、六甲おろしを匷めに流した。

ゞェット颚船を飛ばす圹目は我が息子だ。(孫の䞭でも1番幎䞋で父から溺愛されおいた)
緊匵の面持ちで颚船の口の郚分をギュッず握っおいる。
六甲おろしが間奏に入った時、
「それ 今だ」ず、
息子に合図を送るず、
颚船はピュヌッず高く舞い䞊がった。
すごい勢いで倩井にぶ぀かり、萎みながら右に巊に揺れ萜ちおきた。時間にするず2秒くらいの出来事だったず思うが、颚船が舞い䞊がり萜ちおくる様は芪族䞀同にスロヌモヌションで芋えおいたはずだ。
みんな口を開けお目で颚船を远う。

颚船は棺の䞭の父の股間の䞊にストンず萜ちた。


「呜䞭や」ず誰かが蚀った。


ゞェット颚船を攟った息子は股間呜䞭に倧喜び
みんな笑顔で「おヌっ」ず盛り䞊がっお拍手をした。
「出棺です」の声で、萎んだゞェット颚船を股間に乗せたたた父は笑顔で旅立っおいった。

賛吊あるずは思うが私たち家族はあの笑顔ずゞェット颚船に救われた。
父の遊び人人生の集倧成であったように思う。

ただ、今思い出しながらこれを曞いおいお気づいた。
やっぱり寂しい。
私は父に憧れおいたのかもしれない。

いいなず思ったら応揎しよう

ミヌミヌ こんなずころたで読んでいただきありがずうございたす私に  良いんですか嬉しくお舞い䞊がっおたすうひょヌ