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「月ノ宮」発、帰路行き【創作】

    財布野紐ゆるみ

    気がつくと、僕は知らない駅のホームに立っていた。

    最後に覚えているのは、深夜の電車に揺られながら、うとうとしていたこと。目を覚ましたとき、車内には誰もいなくて、扉は音もなく開いていた。

    引き寄せられる感覚で降り立ったその場所は、時の流れから外れたように静かで、ただ月明かりだけが白く差していた。

    駅名の標識には、淡く光る文字でこう書かれていた。

    「月ノ宮(つきのみや)」

    どこかで聞いたような気がした。でも思い出せない。
    月を祀る古い社の名前だっただろうか。
    不思議と、怖いという感情はなかった。

    ホームには小さなベンチがひとつ。古びた木の屋根。風の音さえ聞こえず、空には雲ひとつない。月がまるで、この駅のためだけに輝いているように見えた。

    ふと、反対側のホームに目を向けると、誰かが座っていた。

    古風な白いワンピースの女の子。年のころは、十歳くらいだろうか。月光に透けるような姿だったけれど、影はしっかりとホームに落ちていた。彼女は僕の方を見て、にこりと笑った。

    「ここは、寝過ごした人しか来られない駅なんだよ。
     ...…お兄ちゃん、寝過ごしちゃった?」

    女の子の声は風のように軽やかな響きだった。
    ……でも、どこかで聞いたことがあるような……。

    「しばらくしたら、また戻れるよ。次の電車が来たら。」

    「その電車は、いつ来るの?」

    僕がそう尋ねると、彼女は少しだけ首をかしげた。

    「月が真上に来たら。……だから、もうすぐ。」

    僕は女の子にお礼を言って、ベンチに座った。
    背中にはひんやりとした木の感触。だけど、どこか懐かしくて落ち着く。空を見上げると、月は確かにゆっくりと昇っていた。

    やがて、遠くからやさしい風の音とともに、静かな列車の気配が近づいてきた。

    月光に照らされたレールの先。
    影のように、滑るようにして現れたのは、銀色の電車。扉が開くと、心の奥にしまっていた大切な記憶がふわりと蘇るような気がした。

    ──さっきの女の子。
    白いリボンで、思い出した。
    むしろ、どうして今まで忘れていたんだろう。

    小さい頃、病室の窓辺で月を眺めながら、
    「大きくなったら電車に乗って、どこまでも行きたいな」って言っていた妹のこと...…。

    振り返ると、あの女の子はもういなかった。

    誰もいないホーム。誰もいない駅。
    でも、不思議と、寂しくはなかった。

    電車に乗り込むと、やわらかい座席に身を沈め、静かに目を閉じた。
    次に目を開けたとき、見慣れた街の明かりが窓の外に広がっていた。

    ただひとつ、シャツのポケットに残っていたものがある。

    あの駅の名前が書かれた、小さな切符。

    「月ノ宮」発 → 帰路 行き

    そのとき。

    ──お兄ちゃん、またね。

    頭の中に、妹の声がやさしく響いた気がした。

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