
スマホ熱中症【創作】
スマートフォンが熱くなっていた。
朝の通勤電車の中で、ポケットに入れていたそれを取り出すと、手のひらにじんわり、どころではない熱が伝わってくる。
「うおっ。」
思わず声が出た。まだ会社に着いていない。特に余計なアプリは立ちあげておらず、ゲームをしていたわけでも、動画を見ていたわけでもない。さっきまでニュースを少し読んでいただけだった。
画面の上には、小さな注意書きが出ていた。
「本体温度が高くなっています」
だからなんなんだ、と思った。どうしたらいいか、はそこに書かれていない。とにかく「使うな」ということなのだろう。
スマホを持ったまま、首を傾げた。
最近、充電の減りも早かった。
朝、家を出るときには百パーセントだったのに、もう七十四パーセントになっている。まだ九時前だというのに。
社会人になって二年目。このスマホも、買ってから五年は経つ。
僕が大学に入学して、ゼミの仲間と連絡を取り合うタイミングで買った。親からの援助とあわせて、なんとか手に入れた。
ケースは、当時付き合っていた彼女にもらった。画面に傷もほとんどないし、ストレージの容量も残っている。
まだ使える。そう思っていた。
冷房の効いた車両内で、スマホは僕のポケットでいつまでも熱をもっていた。
* * *
その日の昼休み、会社の近くの携帯ショップに持っていった。
「ああ、おそらくスマホ熱中症ですね。」
店員のお姉さんは、僕のスマホを両手で丁寧に持ちながら言った。
「スマホにも熱中症ってあるんですか。」
「ありますよ。最近は多いです。」
「へえ……。」
「バッテリーもだいぶ弱ってますね。五年使われているということですし……。」
僕のスマホは、店員の手の中に大人しく収まっていた。さながら、診察台に寝かされた患者みたいだった。
「バッテリー交換とかって、できます?」
「できます。ただ、今のお値段ですと……。」
店員さんが近くにある小さなモニターに画面を表示させる。交換費用と、新しい機種の値段を見比べられるようになっていた。
瞳が左右に動く。思っていたより、そこに差がなかった。
「買い替えたほうがいいですかね。」
「今の機種も悪くないんですけど、新しいものだとバッテリーも長持ちしますよ。」
「じゃあ、そうします。」
自分でも驚くほど簡単に決めた。給与明細のデータを思い出す。夏のボーナスの数字は正直大したことはない。だが、今回の足しにはなる。
僕のスマホは、何も言わなかった。
「ただ、こちらの機種、在庫がなくて、取り寄せになるんです。三、四日くらいかかります。」
「わかりました。それでお願いします。」
注文を終え、話が終わりかけたところで、思い出して口にした。
「あの、スマホの買い替えってはじめてなんですけど……データ移行ってどうやるんですか。」
「ああ。少々お待ちください。」
ひとこと残し、店員さんはカウンターの奥へ消えていった。戻ってきたとき、一台の端末を手に持っていた。
「データ移行用の管理端末です。今回の場合、少しバッテリーが心配なので……こちらの端末につないでバックアップを取りますね。」
黒い、何の変哲もないスマートフォンだった。
「USB-C同士で繋げますので、それで。」
「なるほど。」
店員さんが端末を近づけた、その瞬間だったと思う。僕の手の中で、スマホが震えた。
「……?」
店員さんもそれを見ていて、首を傾げていた。
しかし画面には何も表示されていない。
気のせいだろうと、そう思った。
* * *
店に新しいスマホが届くまで、三日かかると聞かされた。
たった三日だ。
それまでは、今のスマホを使うしかない。その夜も、相変わらず「本体温度が高くなっています」の表示が出た。
そうなると充電も使用も控えて、しばらく放置しておくしかない。僕はため息をついて、紙の本を手に取って読んだ。データ以外で文字を読むのは、久々な気がした。
しかし翌日から、その他にも妙なことがいくつか起こった。
会社へ向かう電車の中で、Bluetoothの設定を開く。イヤホンとの接続が、妙に不安定だったからだ。
接続履歴を見ると、見覚えのない端末がいくつか表示されていた。店で見たような名前のものもある。
「……昨日の携帯ショップか?」
タップしてみる。もちろん、距離があって接続はできなかった。僕は他のデバイスの接続情報が残っているのがなんとなく気持ち悪くて、履歴からデバイスの情報を消した。
そして、その翌日の昼休み。社内食堂でスマホを見ると、見覚えのないアプリが入っていた。
「花びら占い」
僕は占いに興味がなく、そんなアプリを入れた覚えはない。削除しようとして、少しだけ迷った。アイコンが妙に可愛い。
開いてみると、画面いっぱいに、一輪の花が表示された。
二択の選択肢を任意で入れて、タップすると花びらが一枚ずつ散っていくというシンプルなアプリだった。
「なんだよこれ。」
僕は笑った。昨夜寝ぼけて、誤タップして入れてしまったのかもしれない。当然のようにアンインストールを選択した。
そして、さらに次の日の夜、家に帰って充電器を差したとき。
いつもなら、すぐに数字が増える。バッテリーが弱っているせいか、最近では百パーセントに到達するのも早かった。
五十二。五十三。五十四……。
ところが、その日は五十四のままだった。しばらく待っても増えない。ケーブルを抜いて、もう一度差す。
五十三。五十二。
「なんでだよ。」
僕はスマホを持ち上げた。熱くない。なんならむしろ、少し冷たかった。それなのに、充電の数字だけが動かなかった。
翌朝、充電ケーブルを差したままにしても、五十四パーセントのままだった。
いよいよお釈迦になったのかもしれない。ちょうど携帯ショップから、注文していたスマホが届いたとの知らせが来ていた。
設定の関係か、その知らせは迷惑メールに入っていたが、気づけたおかげで今日受け取りに行くことができそうだ。
* * *
仕事帰り、店に向かった。
スマホの調子は、悪かった。電池残量は二十一パーセントにまで減っており、モバイルバッテリーをつないでもその数字から増えなかった。
電源を入れ直してみても、同じ。触らないまま、ポケットにしまっておくことにした。
店に着くとすぐ、カウンターの奥から、店員さんが箱を持ってきた。
「こちらですね。」
「はい。」
「では、今お使いの端末から、データを移行しますね。」
僕はポケットからスマホを取り出した。バッテリーの数値を見て、目を疑う。使っていないのに、残量は三パーセントにまで減っていた。
「ぎりぎりですね……。なんか最近、充電しても増えなくて。」
「そうでしたか。じゃあ、管理用端末から電力を分けてみましょう。」
あの日の黒いスマホを、店員さんが持ってきた。僕のスマホの隣に置かれる。
また僕のスマホが、ぶる、と震えた。
今度は、はっきりわかった。
「やっぱり、震えましたよね。」
顔を上げて言った。
「ええ。」
店員さんも答えた。眉をハの字のかたちにしたまま、彼女はUSB-Cのケーブルを取り出した。
「この端末から少し電力を分けます。電池残量が多いほうから少ないほうへ流れるので。」
「へえ。」
すっかり手に馴染んだスマホのことでも、知らないことが多いもんだなと思った。
僕はスマホのケースを外した。五年間使ったケースは、少しだけ色がくすんでいて、角には細かな傷もあった。
ケーブルをそれぞれの端末につなぐ。
画面に、充電中の表示が出た。
三パーセント。四パーセント……。
「増えました。」
よかった。そんな表情が店員さんに戻る。そのまま、データのバックアップを始めようとした。
「じゃあ、写真と連絡先と……」
店員さんが画面を操作する。そのとき。
ぴしっ。
小さな音がした。
「……え?」
ふたりの視線は僕のスマホへ。その画面には、一本の線が走っていた。中央から、斜めに向かって。
「は?」
僕も店員さんも黙った。
「落としてないですよね?」
「落としても、ぶつけてもないです。」
店員さんがスマホを裏返したり、横から見たりした。そして、あごに少し手を当てたあと、思い出したように顔を上げた。
「……実は、私も少し気になってたんです。最初この端末を近づけたときから……。」
店員さんは黒い管理用端末を見た。それから、僕のスマホを見る。
「まさか、とは思っていたんですけど。」
「いったい何がですか。ただの、スマホ熱中症じゃなかったんですか。」
そういえば直近では、勝手にBluetoothのデバイスを探していたこともあった。充電の数字が、妙に上下していたことも。しかしその理由は、僕には思いあたらない。
「たぶん、この子……」
店員さんが、僕のスマホを指さした。
「『スマホ恋の病』です。」
「……は?」
店員さんは真顔だった。
僕のスマホと、管理用端末が隣に並んでいる。
僕は、何も言えなかった。
画面には、ひびが入ったまま。削除したはずの、花びら占いのアプリが開いていた。表示されている花びらは、あと一枚。
僕はその花びらを、しばらく眺めていた。