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その星を落とす前に【3つのお題に空想のひらめきを第29回】

    財布野紐ゆるみ

    この国じゃ、少し前まで、新聞やテレビを疑わない連中ばかりだった。今やそんなメディアの地位は、地の果てまで落ちてしまっている。

    だが、かえってそれは都合がいい。地べたを這いずりながら、浮上できる好機をうかがっていても期待はないし、性に合わない。周りが同じ高さまで沈んでくれれば、同じ餌場で屍肉のつつきあいくらいは、できる。


    働きはじめたころ、先輩に「お前、ここ辞めたらどこ行く?」と聞かれたとき、俺は返事をしなかった。そしたら気に入られて、よくつるむようになった。

    その先輩は言った。
    俺たちのやっているのは、「星を落とす仕事」だと。

    タバコの火を分けてもらっている手前、反論なんかできやしない。けれど俺は、少し違うように思っていた。「落とすため」にやっているわけではない。ただ、星が落ちると知っていて、載せるかどうかを決めているだけ。

    この街では、星は空にない。印刷される前の紙の上にある。ネオンは下を向いて光り、ごみ箱は、手が届かないくらい遠く高くに見える。

    引き換えに手にする原稿料は雀の涙。その金だって、返済と、タバコと、酒で消えていくだけ。そこに、なんの正義も誇りもない。でも、やめられない。


    ターゲットは、明日原萌花。二十一歳。清楚系。朝の情報番組で笑って、バラエティでは空気を読む役回り。趣味で、顔出しをしない配信者を追っている、という噂だ。

    「彼氏いない歴=年齢」で売られている。本当かどうかは、どうでもいい。
    重要なのは、彼女が「そう見える」ことと、信じたい層が、まだ彼女に金を出すという事実だけだ。

    駅前のガード下で、三時間。俺は彼女が建物から出てくるまでの間、辛抱づよく張り込んでいた。待たされることには、慣れている。

    先輩からのメッセージは短い。

    「出てくる。用意しとけ。」

    遅れをとらないよう、かじかんだ手を揉みこんで構えた。

    男と一緒に出てくるのを目視できるや否や、ファインダーの中にふたりを捉えて何度もシャッターを切った。構図を決めるのに、迷いはない。シャッター音は、思っていたよりずっと軽かった。

    手はつないでいない。所持品のブランドが、なんとか分かる程度。

    十分だろう。俺はカメラをしまって、次の確認先を頭の中で並べはじめた。


    喫煙所で先輩と落ち合った。先輩はモニターを覗き込み、「ん」とだけ言った。

    「前にも似たの、あったろ。」

    俺はうなずいた。覚えている。あのとき消えたのは、相手の男の方だった。

    「今回は……どっちだと思います?」

    俺の言葉に、先輩は少し考えてから、フィルターを噛み潰すみたいに笑った。

    「さあな。どっちに転んでも、俺たちは困らない。」

    這いあがるのも、生き残るのも難しい世界の中で、ただひとりがいなくなるだけ。消えればすぐに忘れ去られ、毎年のように、代わりが出てくる。何も言えずに虚空を見つめていると、先輩がまた口を開いた。

    「若いうちに一回くらい、現実知っといた方が、後が楽だ。」

    最初は夜空で輝く星だった「彼女」も、名が売れることで、落ちてきちまった、ってことか……。よりによって、俺たちの手が届くところにまで。


    定型のメールを下書きする。

    『貴社所属、明日原萌花氏について、本誌掲載予定の記事に関し、事実確認をお願いしたく存じます。』

    ゾンジマスが何を意味するのかなんて、知ったこっちゃない。件名には確認依頼と書いたが、ただの通告だ。

    俺は、送信ボタンに指を置いた。


    ──俺たちのやっているのは、「星を落とす仕事」だ。

    そうだ。だから俺は、星を落とす前に、いつも祈る。祈るには、遅すぎる時間だった。

    でも。

    紙の上じゃないどこかで、星が本当に壊れてしまわないように。
    逆さまの街で、自分が間違っていないことを、信じられるように。

    それが、俺に残された、最後の祈りだった。
    どうせまた、最後にならずに繰り返すことが分かっているのに。

    『送信完了しました』


    この街はまだ、逆さまのまま。
    月の代わりに、俺を見上げている。



    ※以下の企画に参加させていただきました。

    🍊第29回 3つのお題
    🎈お題①:「星を落とす仕事」
    🐾お題②:「逆さまの街」
    ⏳お題③:「最後の祈り」

    片桐 みかん さまの記事より引用

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