
道になる【創作】
ここまで男ふたり、ずっと黙って歩いていた。沈黙を破る気配は、感じられない。
かといって、居心地が悪いわけじゃない。話すほどでもなかったし、そんな気分になれなかっただけだ。……嫌な話を聞いたばかりだったから。
通り抜けるためだけに入った公園で。芝生の端が、わずかに黒ずんでいる。
最初は影かと思ったが、近づくと違った。草が寝て、土が見えている。細い線みたいに、まっすぐじゃない線が続いている。
「……なあ。」
篠前がそっちを顎で示す。一瞬、気づくのが遅れた。
「あれ、道じゃないよな。」
僕は少しだけ目を細めた。
「……違うな。舗装されてないし。」
「でも、歩いてるやついるくね。」
言われてみれば、確かに人がひとり、迷いなくその上を横切っていった。
わざわざ遠回りになるはずのルートを、当たり前みたいに。
「近道なんじゃないか。」
「いや、抜けるならあっちのが近い。」
篠前は遊歩道の方を指した。きちんと整備された、ゆるやかなカーブの道が、視界の先まで続いている。それに対して、芝生の線は途中で木立に隠れていた。
どこに抜けるのか、ここからは見えない。
「……たしかに?」
ちょっと黙って、ふたりでその線を見る。
「なんでわざわざ、あっちに行くんだろ。」
誰かが踏んだ跡。一回じゃなくて、何度も。やや間を置いて、僕は答える。
「理由があるんだろうけど。」
少し上を向いて、篠前が返した。
「合理的だったとしても、踏まれていい理由にはなんないよな。」
微妙に、眉を上げる。言い方が、強いように感じた。
「草の話?」
こちらに視線をやらず、見据えたまま、篠前は言った。
「……人の話。」
風が吹いた気がした。
大丈夫だ、とあれだけ言い続けた相手がいなくなって、篠前の肩から少しだけ力が抜けていたことを、僕は知っていた。
でもそれは、篠前からの電話があの日からなくなったことに少しだけ安心している、僕も同じだ。
彼の言う「踏まれたもの」がなにを指すのか。だいたいの見当はついていたけど、わざわざ聞こうとも思っていなかった。僕が何も言わないでいると、篠前は続けた。
「最初にそこ歩いたやつ、何考えてたんだろうな。」
その言い方も、少し引っかかった。
「別に何も考えてないだろ。」
僕は、肩をすくめる。
「たまたまだよ。」
「たまたまで、あそこ行くか?」
「行ったんだろ。」
またひとり、同じところを通っていった。迷いもせず、足元も見ずに。
「……なあ。」
篠前が言う。
「これ、踏まれてったから道なのか?」
答えずに、僕はその線をもう一度見る。細くて、不揃いで、かすかに歪んでいる。でも確かに、どこかへ繋がっている。
「逆だろ。」
自分でも意外なほど、あっさり言葉が出た。
「通るやつがいるから、こうなる。」
篠前がちらっとこっちを見る。
「同じじゃねーのか。」
「違うだろ。」
僕は考えて、言い直す。
「……先に、道があったわけじゃないんだから。」
篠前は何も言わず、もう一度その線を見た。
「じゃあやっぱり、最初のやつは何なんだよ。」
「知らん。」
ここで、ふたりで笑った。
「でも、そいつがいなかったら、ここはずーっと芝生だったろうな。」
さあっと風が吹いて、寝ていた草が少しだけ揺れる。元に戻る気配は、ない。
「行く?」
篠前が聞く。遊歩道の方を指しているのか、芝生の方なのか、一瞬分からない。けれど、彼の視線は、さっきから同じところばかりを流れている。
篠前と目が合って、それから足を出した。
人によって、踏み固められた方へ。
靴の裏に、少しだけ柔らかい感触がある。滑らないように、足に力を籠める必要があった。でも、思っていたよりは、歩きやすい。
「……まあ。」
誰に言うでもなく、声が出る。
「後からだろうな。」
篠前が「何が」とも聞かずに、隣に並ぶ。同じところを、同じように踏む。でも、完全にトレースされたルートじゃない。足の裏の形は、それぞれ絶妙に重なっていなかった。
「……分かるのって。」
そのまま、上方まで歩く。線は、途中で少し太くなっていた。誰かが増えたのか、戻ったのか、それともただ重なっただけか。
行きと帰りも。どこからが始まりで、どこまでが道なのかも。よく分からない。
振り返ると、遊歩道はちゃんとそこにあった。まっすぐで、きれいで、迷いようのない形で。ご丁寧に、看板まで立っている。
──まあ、いいか。
僕らの足は、もう戻らなかった。