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善意と悪意に触れた日【創作】

    財布野紐ゆるみ

    これは、私が近所のスーパーでパートをしていたときの話だ。


    レジ担当の私は、せわしなくレジをたたいていた。チラシの日の店内はごった返して、てんやわんやだ。

    「今日は果物の日だよー! 梨がおすすめでーす!」

    果物売り場から担当の大きな声が響く。勢いがあって、気持ちがいい。
    特に売り出し中のコーナーには活気が溢れかえっている。

    ──そうだそうだ、私も特売の梨を青果さんに取り置きお願いしとかなきゃな。

    そんなことを考えながらも、レジを通す手は止まらない。
    途中、並ぶ人の流れが途切れたところで、女性のお客さんに声をかけられる。

    「すみません。これ、落ちてたんですけど……。」

    手渡されたのは、高級そうな白い長財布。疎い私でも知っているブランドのものだった。

    「あっ、ありがとうございます。お預かりいたします。」

    私はさっと応援のベルをならして応援を呼び、店長へ財布をこっそり渡した。

    その後ひとりふたり、お客さんのレジ対応をすませると──さほど間をおかずに、財布の落とし主と名乗る男性が現れた。

    えらく金ぴかで変わった頭をした、柄物シャツを羽織った兄ちゃんだった。目つきが、若干鋭い。

    「俺の財布、さっき落としてんけど届いてへん? 色は白や。」

    店員に敬語を使わない客も、関西弁の客も、まあ別に珍しくはない。

    「少々お待ちくださいませ。」

    あわてて、笑顔を顔に貼りつけながら応対する。

    ──ふうん、どっちかと言うと女性に人気のブランドかと思っていたけど、こういう人も持つんだ。

    少し意外に思いながらも、再度バックにいる店長を呼んでもらい、落とし物の持ち主が現れた旨を告げる。

    財布をそっと見せ、にこやかに応対する店長。

    「お客様、落とされたのはこちらのお財布ですか?」

    「おお。それや。見つかってよかったわ。」

    笑顔になり、受け取ろうと手を伸ばす相手。それに対し、店長は表情を変えずに一言。

    「失礼ですが、本人確認のため、中の身分証に記載のお名前をいただけますか?」

    ここで、少し黙る客。
    なんだか、場の空気が変わった気がした。

    「実は、嫁はんのツレの財布やねん。せやから──。」

    「はい。では持ち主である、奥様のご友人のお名前をお願いします。」

    男の顔から笑みが消え、チッと舌打ちが聞こえた。

    「……もう、ええわ。」

    客の男はきびすを返し、店を出ていった。

    混乱する私。
    ──え? つまり、自分の財布じゃなかったの? じゃあどうして……。

    「裏で一応、中の免許証を確認しておいてよかったです。」
    あまり見せない険しい表情で、店長は言った。
    「……おおかたレジに届いたときに、財布の色をたまたま見たんでしょう。」

    すっかり、落とし主が気づいて取りにきたものと思っていた。財布を店長に渡さない間にさっきの男がきて、もし確認せずに渡していたら……。

    私は、さっと血の気が引くのを感じていた。

    その後、本物の落とし主が駆け込んできて、白い財布は無事に元の持ち主のところへ帰っていった。

    財布を落とした人からすれば、無事に手元に戻ってよかった……というだけの話かもしれない。

    でも私は、この財布騒動の渦中にいたから知っている。財布をめぐって、善意の人が届け、悪意の人があわよくば奪おうとしていたこと。

    最初の人が届けなかったり、店長の機転がきかなかったりすれば、財布は元の持ち主のところへ戻ることはなかった……ということも。

    私は時間までの仕事を終えて、夕飯の食材を手早く買った後、従業員用の駐輪場に向かう。

    思い出したのは、自転車に乗って最初の信号で止まったとき。

    ──そうだ。特売の梨。

    色々と考えさせられた結果、私は梨の取り置きをお願いするのをすっかり忘れてしまっていた。

    この日、財布が届けられていなかったら。
    果物部門の売上が、梨1パック分跳ねただろうに。

    けれど、財布を胸に抱えて何度も頭を下げていた持ち主の女性の顔を思い出すと──。まあいいか、と思えた。

    ……とまあ、そういった程度の話である。

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