メインコンテンツへスキップ
見出し画像

種も仕掛けも【創作】

    財布野紐ゆるみ

    小学校のころ、なにかのテレビで昔見た。

    コップに入った黒い水が、ハンカチをかざした直後、透明な水に変わるというマジック。

    それは種も仕掛けもシンプルだった。一度知ってしまえば、拍子抜けしてしまうほど。

    水の中に黒いスポンジが入っていて、黒い水に見せかけてあっただけ。でも、近くに墨汁の容器を置いておくだけで、意外と人は見抜けない。

    「黒い水なんだ」と勝手に思い込んでくれる。

    * * *

    中学のとき、家の中でも見たことがある。同じように、簡単な種だった。

    違ったのは、誰かが意図的に仕掛けたものではなかったということだ。

    父が、白ご飯を食べていた。

    「やっぱり新米は美味いな!」

    そう言って、箸を口に運んでいた。近くには、たしかに「新米」と書かれた米袋が置いてあった。

    キッチンにいた母と、目が合った。何か都合の悪いことを思い出したときのように、口の端がきゅっと結ばれていた。

    「まだ古米が残っているから、それを炊いているんだけど……。」

    僕は笑ってしまった。居間のテレビの音で、父には聞こえなかっただろう。

    「お父さん、『甘味が違う!』って言ってたよ。」

    僕がそうつぶやくと、母も口の端が少し震えていた。僕は、教えてあげてもいいのに、と思った。

    その日、父が新米だと思って食べているそのご飯が、古米であることを知っているのは、家の中では母と僕だけだった。

    別に、父の「美味い」は、嘘ではなかったと思う。

    ただ、新米ではなかった。

    気の毒に思って言えなかったけれど、後になって考えると、僕が気の毒だと思ったのは「父の舌」だったのか、それとも「父の気分」だったのか、いまいちよくわからない。

    * * *

    そしてそれから、何年も時間が経っていた。

    出張で九州へ行ったときのことだ。会社員になってから初めての、数日間の泊まりの出張だった。

    博多駅のホームは、とんこつの匂いがした。駅構内に大勢いる人の流れる向きと、駅を出たあとの空の色が、地元とは少しだけ違っていた。

    ホテルの場所、取引先との打ち合わせの時間。腕時計を見ながらばたばたと過ごした。観光や食べ歩きなどをしている余裕はない。

    数日間を終えて帰る日、恋人の家族に会う予定が控えていることを思い出した。時間がなかったので、博多駅でお土産を買うことにした。

    とにかく甘いお菓子と、もつ鍋のセット。いくつか並んでいたものをじっくり選んだわけではない。

    これでいいか、というくらいの感じで手に取った。

    新幹線の時間には、まだ少し余裕があった。昨日の夜彼女に電話したときに、ご両親の好みなんかを聞けていたら、と思った。

    出張中の打ち合わせで笑顔を作ることよりも、そちらの方が大事だった気がした。

    * * *

    後日、恋人から聞いた。ご両親には、喜んでもらえたそうだ。

    「お母さんが、『こんなの高価なものでしょう』って言ってた。」

    僕は、たぶん口を少し結んでから、苦笑した。

    「いや、そんなに高くないんだ。時間がなくて、駅でぱっと買っただけだから……。」

    そう言うと、彼女も笑った。

    「そうなんだ。でも、すっごく喜んでたよ。」

    普段、ホルモン部分を好んで食べない両親が、美味しいと言ってたくさん食べたことを、嬉しそうに彼女は話した。

    僕はこのとき、少し迷った。

    「じゃあ、金額とか、選んだ経緯とかは黙っとこうかな……。」
    「あはは。別に言わなくていいんじゃない?」

    そういう話に落ち着いた。

    普段あまり食べないものを、受け入れて喜んでくれた。

    その話を聞きながら、僕は少しだけ笑った。

    あのときの僕は、父に教えなかったことを少し申し訳なく思った。似たような状況で、今はむしろ、知らないままでもいいと思っている。

    理由はうまく、説明できない。

    値段や選んだ時間の長さが、あまり重要ではなかったからだろうか。あるいは本当に、種も仕掛けもなかったからかもしれない。

    今度、親同士を会わせる話になっている。

    そのときに、たぶん今回のもつ鍋のことも、どこでいくらで買ったかなんて話にはならない。

    ただ、「あれ、美味しかったね」と言うのだと思う。

    それなら、それでいいのかもしれない。

    彼女の笑顔を見ながら、そう思えた。


    あなたへのおすすめ