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通知のない部屋【創作】

    財布野紐ゆるみ

    ある日、数字がついた。

    それまで何もなかった場所に、急に灯りがともるみたいに、通知が増えた。
    「いいね」がついて、フォロワーが増えて、見たことのない名前が並んだ。

    最初は、何かの間違いかと思った。

    自分の書いたものは、いつもと変わらない。短くて、地味で、他人の一日みたいな平凡な文章。

    それでも、画面の中で小さく点滅している通知。確認するたび、その数字は増え続けていた。

    ——やっと、見つかったのかもしれない。

    そうだ。間違いじゃない。やり方が正しかった、それだけだ。

    そう思った瞬間、少しだけ息が軽くなった。

    * * *

    きっかけは、簡単なものだった。とあるインフルエンサーがやっていた企画。

    「紹介してくれたら、チップを贈ります!」

    そんな一文を見つけた。フォローし、記事を高評価し、指定されたいくつかの記事を拡散したアカウントに対して、対価としてチップを支払うという内容の企画だった。

    少しだけ迷う。金銭のやり取りが発生することについての、特有の不安があった。規約を開いて、ざっとスクロール。結局「違反ではないらしい」と自分に言い聞かせた。

    紹介記事を書くのは、難しくなかった。元の記事や指定記事を自分の投稿に埋め込んで、いいところを書いて、決められた文言を貼りつける。

    そこに自分の気持ちの介入する余地はない。記事が「いい」と思ったから拡散するわけではないからだ。真意以外から生み出された言葉を記事にするのは、はじめてだった。私の手は、まるで他人のものかのように、キーをタッチしていた。

    「この記事はプロモーション記事となっています」

    打ち込むとき、そこで少しだけ、指が止まった。でも、それだけだった。

    * * *

    条件を満たした自分のアカウントには少額のチップが振り込まれ、それは自分の「実績」になった。

    以降、そのインフルエンサーが企画を開催してから、似たようなことを真似するクリエイターが増えていった。

    「チップを贈ってくれたら、紹介記事を書きます!」
    「フォローと高評価をくれた方には、必ず同じようにお返しします」
    「あなたの記事購入をする企画です!参加条件は……」

    そして今度は、自分が企画することを思い立った。フォロワー数の多くないアカウントが、どれだけ注目されるかはわからなかった。しかし、波に乗るならこのタイミングだと思った。

    「記事購入をしてくれた方へ、チップを返しする企画です」

    投稿してから数分で、反応が来た。

    それから、少しずつ慣れていった。

    通知の音。増えていく数字。見慣れない人たちの言葉。

    「いいですね」。
    「応援します」。
    「目標達成しましょう」。

    アカウントのアイコンは、さまざまな種類が並ぶのに、どれも同じに見えた。最初はひとつひとつ確認していたのに、そのうち、まとめて眺めるようになった。

    どれが本当に読まれていて、どれが流れてきただけなのか、だんだん区別がつかなくなった。

    でも、「増えていること」だけは確かだった。それで十分だ。

    気づくと、自分のアカウント内には同じような記事ばかりが増えていた。似た構成、似た言葉、同じ一文。

    昨日紹介した相手に、今日はこちらが紹介されている。いつの間にか、読んでいないのに「読みました」と書くことに抵抗がなくなった。クリップボードには、いつも同じ定型句が保存されていた。

    タイムラインをスクロールする。行っては戻り、止まっては、また動く。どこまでが自分の書いたものだったっけ。自分の記事の数字も、企画のものと同じように、ちゃんと増えている。なんなら、他より少しだけ多いときもある。

    それを見て、少し安心する。

    * * *

    ある朝、通知が来なかった。

    珍しいなと思って、アプリを開く。読み込みの円が、いつもより長く回っていた。

    画面が切り替わる。

    見慣れたはずの場所が、少し違って見えた。自分の記事が、見当たらない。フォロワーの数も、いいねの数も、どこにも表示されていなかった。

    代わりに、短い文章がひとつだけあった。

    「利用規約に基づき、アカウントの機能を制限しています」

    しばらく、その画面を眺めていた。

    驚きは、あまりなかった。怒りも、思っていたよりは小さかった。ただ少しだけ、窓の向こうの風の音が聞こえた。

    通知の音がしないだけで、こんなに静かになるのか。

    そう、思った。

    予兆はあった。ただ、耳が痛くなる声は、聞かないようにしていた。

    「それは、お金で評価を買う行為じゃないですか」
    「アカウント評価の誤認につながり、プラットフォームの健全性が損なわれます」
    「通報する人も、いると思いますよ」

    コンテンツの自己購入は禁止されていたが、「金で数字を買う行為の禁止」は、規約には書かれていなかった。大丈夫に違いないと思っていた。規約上も、法令上も、問題ない。

    規約の一文に、「プラットフォームのサービスの妨げとなる行為の禁止」という文言はあった。だがそれは、どうとでもとれるような宙に浮いた言葉。

    アカウントがこのまま停止になったら。贈られたチップは。購入された売り上げは、どうなるんだろう。

    しばらく、押しても何も起こらない画面をクリックしていた。指先は冷えて感覚がない。けれど、その動きだけは止まらなかった。

    ふと、何を書いていたのか、思い出そうとした。最初に投稿した文章。誰にも読まれなかったやつ。あのとき、自分は何を書こうとしていたのか。

    感情の揺れ。その日あった失敗。共有したいと思ったこと。

    うまく思い出せない。代わりに、画面に並んでいた数字の形だけが浮かぶ。二桁になったとき。三桁に届きそうだったとき……。

    内容は、ぼんやりしている。机の上に、古いノートがあった。開くと、途中まで書いてやめた文章が残っている。記事の構成を練って、少しでも、読まれるように。書きかけの一文が、そのまま止まっている。

    続きを読もうとして、やめた。

    どんな終わらせ方をそしたかったのか、今の自分には、少しもわからなかった。

    アプリを閉じる。

    何もない画面に戻る。少しだけ考えてから、また開く。

    同じ画面が表示される。何も変わらない。

    それでも、指はいつもの位置に動く。新規投稿のボタンがあった場所。

    今は……何もない。少しだけ迷って、指を止める。結局そのまま、何も押さずに画面を閉じた。

    変わらず、部屋は静かだった。前からそうだったはずなのに、さっきまでと少し違って感じる。何かが減ったのか。何かが戻ったのかは、わからない。

    窓の外で、また風が吹いた。机のノートの端がふっとめくれる。窓の外を見たが、何も動いていない。

    中途半端な季節が、そこにあっただけだった。


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