メインコンテンツへスキップ
見出し画像

指先が聴こえる【風まかせ文芸部 / 遠い花火の音】

    財布野紐ゆるみ

    職場で、線香花火をもらった。

    夏だから、と渡された袋。

    「湿気に気をつけてね。」

    手渡した相手は、それだけ言った。そのほころんだ表情を見ながら、「この人、花火が好きなのかな」なんて考えていた。

    机の端に置いたまま、一週間くらい経っていた。

    子どものころはよくやった気がする。でも、大人になってまでやるものでもないだろう。そんなふうに思っていた。

    親戚の子にあげるにしても、こんな少量の袋じゃ、子どもはお腹いっぱい楽しめないだろうしな。

    夜、思い立ってベランダに出る。窓の外から、生ぬるい風が部屋に通った。

    この家にライターは無いが、キッチンの底にマッチが少し残っていた。線香花火を一本だけ取り出して、マッチを箱で擦る。

    マッチの匂いと、炎の弾ける音。線香花火の先に、マッチの火を近づけた。

    橙色の玉がゆっくり膨らみ、鮮やかな火花を散らしはじめた。数十秒、ぼんやりとその光を眺めた。激しく散ったあと、火花はやがて細い炎に変わり、重力に従って垂れるように流れる。

    きれいだな、と思った。

    でも、それだけだった。

    小さくなった火玉が落ちるころ、通りの向こうで暴走族のバイクが吹かした。少し遅れて、パトカーのサイレンが追いかけていく。

    その音がやけに耳にへばりついて残り、私はベランダから部屋へ戻った。

    袋には、まだ何本か花火が残っていた。

    * * *

    数日後の、同じ部屋で。

    動画サイトを流し見していたら、線香花火の映像が流れてきた。最近私が線香花火をしたことは、誰にも話していない。たまに、スマホに思考盗聴されているのではないかと本気で思うことがある。

    画面に映っていたのは、花火を作っている日本の工房だった。

    「線香花火は日本生まれですが……現在、国産のものは少なくなっています。」

    そんな解説から、始まる映像だった。

    紙をよる手がアップになる。スクロールする人差し指が止まった。

    気づけば視線は、火薬を少しずつ詰める職人の指先の動きを追っていた。

    乾かして重さをそろえ、一本一本仕上げていく。機械ではなく、人の手で。

    次の動画へ行かなかった。

    出来上がった細い線香花火が表示される。最近見たはずなのに、急に別のものに見えた。

    「うちのは、最後まで音が静かなんです。それが、上出来の証ですね。」

    そんな言葉で、動画は終わった。

    画面を閉じて、机の上の袋を手に取る。

    裏返す。小さな文字で「兵庫県」と書いてあった。もらったときには、気にも留めなかった文字列。

    袋の中身を、まじまじと見つめる。湿気ていないかを、今さら気にした。

    * * *

    ベランダへ出る。空気の匂いよりも先に、音を確認した。

    あの夜と暗さは同じくらい。でも今日は、前みたいにバイクの音もしない。サイレンも聞こえない。

    袋からそっと一本抜き、火をつける。

    火花が丸く膨らむ。

    今度は、目ではなく、耳を澄ました。

    ぱち。

    じ……と小さく鳴る。

    また、ぱち。

    火花は前と変わらない。暗闇が思い出したかのように、小さな星をあちこちへ置いていく。

    けれど、音だけが違って聞こえた。

    火花はいつしか松葉になって、さらさら、さ、さ、とかすかな音を不規則に飛ばす。

    聞こえているのは火薬の音なのに、耳はその向こうにある指先を探していた。

    柳の火花に変わるときに、しゅ、と聞こえた気がしたが、空耳かもしれない。このころにはもう、すべての音は夜の闇に吸い込まれていた。

    火玉が落ちる。

    消えたあともしばらく、その静けさの中に耳が取り残された。

    花火をくれた、同僚の顔が浮かぶ。

    あの人は、どうして私にこれをくれたんだろう。

    夏だったから。

    花火が好きだから。

    それとも、私に見せたかったものがあった……?

    最後の一本になった袋をたたむ。風通しの良さそうなのは、リビングの収納棚だ。

    引き出しの取っ手へ、そっと指先を伸ばした。



    ※以下の企画に参加させていただきました。


    あなたへのおすすめ