
二位の髪留め【創作】
村の男たちが少なくなってから。女たちは、よく働くようになった。いや、よく働くようになった、という言い方は語弊があるのかもしれない。
「働かなくてはならなくなった」。
春になれば畑を耕し、夏になれば麦を刈り、秋になれば藁を焼く。夫が戦に行った家では、妻が鍬を持たざるを得なかった。同じように、息子が徴用された家では、母親が馬を引くしかない。
王国の東では、まだ戦が続いている。
村から直接見えるわけではない。たまに遠くで、聞きたくない音がして。たまに遠くで、嗅ぎたくない煙があがった。
月に一度か二度、王都へ向かう街道を軍馬が通る。傭兵たちが酒場で騒いでいることもある。時折、教会の掲示板に、シスターが帰ってこない男の名を貼っていた。
それだけだ。
春の花の気配や、井戸の水が冷たさで季節を感じられる村だった。戦争は遠く、木々や畑が近い。男は男で、女は女で。それぞれが、自らの力で生きていた。
私は、そんな村が好きだった。
だから、「わたしの村のひとコンテスト」をやろうと思った。
名前は少し変だけれど、それが一番よかった。美人コンテストではない。働き者コンテストでもない。
この一年、村を支えた人。笑わせてくれた人。困っている誰かに気づいた人。頼まれていないのに、みんなのことを考えてくれた人。
そういう人をみんなでひとりだけ選ぶ、ささやかな催し。
「わたしの村のひと」。
夫を戦に取られた人も、息子を取られた人も、ずっと畑に出ている人も。そういう賞に、したかった。
私はまだ、村の学校に通っている。そんなコンテストの主催なんて、したことがない。家の仕事も手伝っていたから、自由な時間が十分にあったとはいえない。
友達のナターリアに、一緒にやろうと声をかけた。彼女も乗り気で、手伝ってくれることになった。
この村には、誰かに褒められる暇もなく働いている人がたくさんいた。
このころは、前向きになれる催事も少ない。翌年の王国祭も、規模や期間が縮小されるだろうという話だった。
だから、せめて誰かが一日くらい、みんなの前で名前を呼ばれる日があってもいいと思った。
* * *
村の人たちから推薦が集まり、その中から五人の娘が候補者になった。五人とも、私がよく知っている人たち。
パン屋のエレナ。
薬草を育てているマルタ。
宿屋の娘のリディア。
子どもたちに読み書きを教えているジャクリーヌ。
そして、夫が三年前から戦地にいるノーラ。
誰が選ばれても私は嬉しかった。だから賞品も、ちゃんとしたものを用意したかった。
一位には、村の鍛冶屋に頼んで、小さな銀の花飾りを作ってもらった。二位には、同じように銀の髪留めを。それには、細い銀の板に、麦の穂が三本彫ってある。
私はそれを何度も見に行った。鍛冶屋までの二十分の道のりは、遠い分、胸も躍った。
花飾りの方は、申し分なかった。主張は控えめながらも意匠がこらされていて、どんな人がどこにつけるかを思わず想像したくなるような、立派な出来栄えだった。
一方髪留めの方は、初めの仕上がりがいまいちだった。花飾りと同じように、細かく注文をつければよかったと思った。麦の穂が少し太すぎたので、少し細くしてください、と頼んだ。そのほうが絶対に女の髪に似合うと思った。
予算が十分にあるわけではなかったけれど、一位の人の賞品と比べたとき、受け取った人ががっかりしないような仕上がりにはしたかった。
そして鍛冶屋までの道のりを、もう一往復。
完成した髪留めを掌に乗せたとき、自分のものじゃないことを忘れて見入ってしまった。
でも。二位の人に、これを渡せる。一位だけではない。二番目だった人にも、村がちゃんと見ていたと伝えられる。
それが何より嬉しかった。
髪留めは私の家の引出しに大事にしまわれたまま、その出番を待っていた。
* * *
特別枠の話をしたのは、ナターリアだった。
「ひとり、増やさない?」
私は笑った。
「誰を?」
「アリシアよ。どう?」
アリシアは、村の外れに住む女性だった。私の友人の妹で、私も何度か会ったことがある。
綺麗な子だった。純粋な子だった。透明感のある肌の色に、思わず触れたくなるような子だった。
でも、それだけではなかった。
アリシアも学校に通いながら市場に働きに出ていて、人当たりもよかった。年寄りにも子どもにも好かれている。いつかの村の祭りのときには、歌も歌った。
「わたしの村のひと」。村の外れではあるが、れっきとしたこの村の住人だ。昨年から越してきたばかりではあった。だけど、器量がよく愛嬌もあるだけに、彼女は目立った。
「うん、いいと思うけど。」
私はそう答えた。
「五人じゃなくて六人でもいいでしょう?」
「そうだね。華やかになるし。まあ、私たち主催だからね。」
ナターリアは笑った。私も笑った。
それだけの話だった。
ただ、あとから考えれば、そこで私は五人に、村のみんなに話しておけばよかった。
アリシアを特別枠にします。こういう理由です。私たちが推薦者となって、みんなで同じように審査します。投票できます。そう言えばよかった。
でも私は言わなかった。言う必要があると思わなかった。
だって、人数がひとり増えるだけ。大したことないと思った。いい子だったし、何も問題はないと思っていた。
五人のエントリーは決まっていた。六人目がいることを、私とナターリアだけが知っていた。
アリシアを紹介する記事を書いたのは、ナターリアだった。彼女の推薦人であるのだから、ある種当然だった。村の掲示板に貼るための、小さな紹介文だ。
けれどナターリアは少し張り切っていた。
「今年の、注目のひと!」
そんな見出しをつけた。
私はそれを見て、「いいね!」とだけ言った。
その下には、アリシアの笑っている絵が飾られていた。本物と変わらないくらい、よく描けていた。
* * *
前日の夕方、投票箱を会場に運んだ。椅子を並べて、花を飾った。銀の花飾りを布で包んだ。髪留めも箱に入れた。
当日は、五人に少しの時間、自分のことを話してもらい、そのあと会場のみんなで投票を行うことになっていた。
明日は忙しい。
そう、思っていた。
だから、その日の夜、郵便受けに入っていた、五人からの手紙を読んだとき。最初は意味がわからなかった。
「辞退します」。
私は椅子に座ったまま、しばらく手紙を見ていた。何度も見返した。五枚が五枚とも、それぞれの筆跡で。ほとんど同じことが書かれてあった。
紙を握って皺ができた。
冗談だと思った。
誰かひとりの悪ふざけに、乗っただけだと思った。私は、急いで五人に会いに行った。
家の用事、学校、仕事。合間を縫ってのコンテストの準備。明日が最後だからと言い聞かせて無理をした、今日の会場の設営。手足はもう、自分のものか疑わしいほど重かった。
普段なら床に就く時間だった。それでも、暗い夜道を私は駆けた。
けれど、誰も考えを変えなかった。
「どうして……?」
私は聞いた。
「前から準備していて、いよいよ明日なのよ。」
ノーラは困ったように笑った。
「そうね。……まさか、全員が辞めるとは思わなくて、申し訳ないと思ってる。」
「理由は? アリシアのこと? だって彼女はなにも……。」
「あの子が嫌いなんじゃないのよ。」
そう言われた。
「じゃあ、どうして?」
ノーラは少し黙った。
「賞が、聞いていたのと、ちょっと違うものになった気がしたの。」
それだけだった。私は何も言えなかった。
違うもの。
私は、そんなつもりはなかった。本当に、なかった。誰かを騙したつもりもない。誰かを落とそうとしたわけでもない。
ただ、ひとり増やしただけだ。ナターリアだって同じ気持ちだ。あくまで個人として、アリシアを推薦した。忖度も不公平もない。それに、あの子はいい子だし……。私は何度もそう思った。
だから、何がいけなかったのかわからなかった。
帰り道、色々なことが思い出されて、私の頭の中を渦巻いていた。
企画を思いついて、声をかけたときの村のみんなの表情。ナターリアと一緒に、アリシアを特別に参加させることを決めたこと。
そして最後に浮かんだのは、「注目のひと!」という見出しだった。
* * *
翌朝、五つの椅子には誰も座っていなかった。
会場には、アリシアだけが来た。
「あの……みなさん、どうされたんですか?」
彼女は本当に知らなかった。私は答えられなかった。設営の仕上げを手伝ってくれていたナターリアが、私の代わりに説明した。
「みんな、辞退したの。」
「どうして?」
アリシアが聞いた。私もそれが聞きたかった。ナターリアは黙った。私は、昨日から何度も考えていた言葉を口にした。
「……私が、ちゃんと説明しなかったから……。」
アリシアは黙っていた。少しあって、聞いた。
「私、出ないほうがよかったですか?」
私は首を振った。
「ううん。」
出した言葉は頼りなかった。首を振る力も弱かった。昨日は、ほとんど一睡もできなかった。でも、せっかく来てもらった。せっかく準備したんだ。今さら中止にはできない。
そう思った。
* * *
アリシアだけが、壇上で少し話をした。そのあと、投票が予定通り行われた。けれど、会場には人が少なかった。
村の人たちは来てくれた。それでも、投票しようとしていた五人がそこにいないことは、誰の目にも明らかだった。
私は、壇上に立った。
「それでは、第一回、『わたしの村のひとコンテスト』の結果を発表します。」
声が、自分のものではないように聞こえた。私の気持ちはもう、横になって眠ってしまっていたのだろうと思う。
結果は決まっていた。アリシアが一位だった。参加者が他にいないのだから、当然だった。投票用紙には、投票したい人の名前を書いてもらうはずだった。その人物への応援や、好きなひとことを書いてもいい、と告知してあった。
けれどそこには、何も書かなくてよくなった。投票すれば、自動的にアリシアの票になるからだ。何も書かれていない何枚かの紙が箱に入って、このコンテストは終わった。
私は銀の花飾りを彼女に渡した。まばらな拍手が起きた。
アリシアは笑った。私も同じ顔を作った。
ナターリアが、「おめでとう!」と言った。
ひとりだけの賞。なにがめでたいのかは、たぶんみんな忘れていた。アリシアは、所在なげに髪を揺らし、何度も頭を下げた。
私は、胸の中で何も鳴らないのを感じていた。震えるのとも、少し違う。ただ、鳴らない。空っぽだった。
鍛冶屋のおじさんに作り直しを依頼して。村の人たちに告知をして。投票を呼び掛けて。エントリー者の推薦を募って……。
あんなに準備したのに。あんなに楽しみにしていたのに。学校と仕事の合間に、時間を作って。夜道を走って。
村の人たちに、少しでも明るい日を作りたかっただけなのに。
終わってみれば、ただ壇上に、優勝者がひとり立っているだけだった。
* * *
私は最後に、二位の賞品を片づけようとした。
小さな箱を開ける。
銀の髪留め。三本の麦の穂。私はそれをもう一度、そっと掌に乗せた。誰の髪に似合うだろう、と考えながら作ってもらった。
エレナなら、きっと嫌味がなくて似合う。
ジャクリーヌなら、もう少し控えめな色の布を髪に結ぶだろう。
ノーラなら、仕事の邪魔にならないように、後ろで髪をまとめる。
マルタはこんな飾りに興味ないふりをして、でも大事につけてくれる。
リディアはお客さんにからかわれるかも。
五人の顔が浮かんだ。申し訳なさそうな顔をしたまま、彼女らは消えた。
私は髪留めを箱に戻した。会場では、片づけが始まっていた。ナターリアが椅子を運ぶ音がする。
見に来ていた村の人が、飾られた花を抜いている。アリシアが、もらった銀の花飾りを大事そうに包みにしまっていた。
私はそれを見ていた。
この子は悪くない。ナターリアも。五人の参加者も。
ただ、ひとこと説明すればよかった。誰かに聞けばよかった。アリシアを特別参加させる前に。推薦記事を書く前に。
「どう思う?」と。
ほんの少し、相手の気持ちを考えればよかった。みんなが楽しめるか、寄り添ってあげられたらよかった。
私は、箱の蓋を閉じた。
外では、風が畑の麦を揺らしていた。王国の東では、今日も戦が続いている。
この村では、明日も畑を耕す。誰かがパンを焼き、誰かが子どもを叱り、誰かが帰ってくるのを待つ。
いつもの村に戻るだけ。
なのに、私はもう、この賞をどうして自分が作ったのか思い出せなくなっていた。「作りたい」と思った気持ちは本物だったのに、すべてが終わる前にどこかに抜けてしまっていた。
机の上には、二位の髪留めだけが残っていた。
誰にも渡されないままで、銀色に光っていた。