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一枚の蘭の絵【創作】

    財布野紐ゆるみ

    展示会の前夜、とある美術館の館長が親しい友人を四人だけ招いた。
    目的はただひとつ。展示前の空気を感じてもらうことだ。

    「本番の照明は明日です。今夜はあくまで『雰囲気の試運転』になります。」

    館長は他にも対応があるようで、四人を取り残し、せわしなく去って行った。

    閉館後の美術館は、昼間よりも広く感じられた。ガラスの壁越しに、温室の灯がぼんやりと揺れている。

    四人は連れ立って展示スペースへと向かった。天井のホールが高く、足音が大きく響く。展示のテーマは「花と風景」とのことだった。

    区切られたスペースごとに、いくつもの展示が並んでいる。そのうちの、とある展示室の中央には、一枚の絵が掛けられていた。

    ──「白い蘭」の絵。

    だが、誰の目にも、その絵は平凡に見えた。
    他の飾られている絵と比べて、描かれた時代も、企画の趣とも異なるように感じる。

    筆の線は硬く、陰影も浅い。まるで、少し絵心のある素人が描いたような、主張の控えめな花だった。

    最初に口を開いたのは作家の男だ。

    「タイトルも、説明文もついていないね。近年描かれたように見える。──僕が思うに、作者はこの地元の資産家の老婦人で、すでに亡くなっている。そして、彼女の遺志を継ぐかたちで、この絵が寄贈されたのではないか。」

    それに対し、美術教師の女が首をかしげつつ発言する。

    「展示室の、最も目立つ位置にあるから、この部屋の目玉のはずだわ。技巧は稚拙だけど構図は練られてる。……多分、無名時代の画家の一作で、死後に評価されたんじゃないかしら。」

    建築士の男が、あごひげをしごきながら言った。

    「あるいは、館長の友人の遺作か。亡くなる直前に『あなたの美術館で飾ってもらえたら...…』と託されて、時間を越えた友情の証として飾っているとかね。そんな人情話にすれば、新聞も取り上げそうだ。」

    三人の推理を聞いていた、もうひとりの男──雑誌記者の男が眼鏡を押し上げつつ、口を挟んだ。

    「だが……おそらく違うだろう。俺は蘭の品種について以前、雑誌で取りあげたことがあるんだが、何万と種類があるそうだ。

    そして、あの蘭は見たことがある。『カトレア・スキンネリ』だ。……この美術館の温室に、同じものがあるのをさっき見かけてね。とても偶然とは思えない。

    画家は、あの温室を見て描いたんだ。温室による生きた花と、絵画による止まった花とで、生と死や、自然の循環を表現する……そのためには、この場所がふさわしいと考えたに違いない。」

    一同が感嘆の声を上げた。

    「なるほど……」
    「詩的ね。」
    「ここに飾られているのも納得だな。」

    照明の下、白い花がかすかに光を帯びているように見える。誰もが、その推理を真実だと信じた。

    沈黙のあと、いつの間にか後ろに立っていた館長が笑顔で言った。

    「みなさん、ありがとうございます。大変参考になりました。」

    そう言いながら、壁の蘭の絵に手をかける。

    「本番では、風景画を飾ります。これはただの仮掛けです。」

    そして、彼らが交わした議論は、まるで最初から存在しなかったかのように、壁には白い跡だけが残されていた。


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