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赤い月の図書館【創作】

    財布野紐ゆるみ

    図書館は、いつも夜だった。
    窓の向こうには、傷ついたような赤い月が浮かび、その光は静かに本棚を撫でていた。

    誰もその図書館の存在を知らない。
    けれど、ときどき訪れる者がいる。
    風のように来て、風のように去る、
    影のような訪問者たち。

    今夜、扉の前に立っていたのは、
    まだ真新しい黒い外套をまとった、
    やけに真剣な目つきをした女性だった。

    「……こんばんは。」

    図書館の管理人は、本を閉じた。
    静かに立ち上がり、長い髪を肩から払う。
    「...…今日は、どういった本を?」

    「自分史を、一冊。今夜、お迎えする魂の。」

    差し出された名は、ありふれていた。
    どこにでもいる、人生のページに折り目もつかないような、そんな名前。

    管理人は本棚の奥へと歩く。
    膨大な背表紙の列の向こうに、
    ひっそりと眠る一冊があった。
    小ぶりな装丁。糸綴じの手仕事。少しだけ色あせた布の表紙。

    本には、その人のすべてが記されている。
    生まれてから、まだ誰の記憶にもなっていない死の手前まで。

    「……こんなにも静かに終わっていくものなんですね。誰にも気づかれずに、何も残さずに。
     ──そんな人生にも、意味はあるのでしょうか。」
    来訪者は本を片手に、問いかけるというのでもなく、つぶやくように言った。

    管理人はしばらく本を撫でていた。
    そして、ぽつりと言った。

    「あなたにも、いずれ、そういったことが分かるようになるかもしれない。
     ──それに、消えてしまうことと、忘れられることは、同じではないわ。」

    来訪者ははっとしたように顔を上げた。
    そして、本を胸に抱き、深く頭を下げた。
    それは、まるで祈るような仕草だった。

    扉が閉まると、またひとりの夜が始まる。
    図書館の時間は止まらない。

    赤い月が窓を染め、静かにページが風にめくられていく。
    彼女は静かに席に戻り、別の一冊を開いた。

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