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花見はピーチソーダ【風まかせ文芸部 / 花見】

    財布野紐ゆるみ

    「一歩って、成功しなくてもいいんだよ。」

    画面の向こうで、巫女衣装のアバターが滑らかに動く。

    Vtuber、叶メイリ。通称メイメイは、天才だった。彼女からは、息を吐くようにぽんぽんと、この世の心理をついたかのような名言が飛び出す。

    「踏み出した、事実だけはそこに残るんだから。」

    彼女はそう、言葉を続けていた。

    ともすれば、空気を悪くしかねないコメントであっても、メイメイにかかれば場を盛り上げる材料でしかない。本能みたいに、言葉が出てくる。

    ずっと、憧れていた。

    ここまで何かにのめり込めるって、私の性格上そうそうない。自分か、彼女が卒業するまで、ずっと追っかけていたいと思っていた。

    * * *

    春の朝だった。

    まだ人の少ない昇降口の前、自販機のところで立ち止まっている子がいた。画面を見たまま、動かない。取り出し口には、ブラックコーヒーの缶がひとつ落ちている。

    どうしたんだろう、と思った。

    ──いや、やめとこう。

    知らない人に声をかける理由もない。関わらない方が、面倒はない。

    そう思って、一度は通り過ぎかけた。けれど、イヤホンの向こうで、さっきの言葉がまだ残っていた。

    一歩って、成功しなくてもいいんだよ。

    足が止まって、振り返る。

    「……どうしたの。」

    自分の声が、ちょっとぎこちない。その子は顔を上げて、少し驚いたようにこちらを見た。

    「いやあ……桃のがよかったんだけどね。ブラック押しちゃってたみたいで。」

    ──ああ、そういうこと。

    何も、そんなこの世の終わりみたいな落ち込み方をしなくったっていいのに。そう思いながら、画面を見る。確かにピーチソーダのボタンの隣に、ブラックコーヒーのボタンがあった。

    私も、ピーチソーダが好きだった。意外とクセがあって、人を選ぶ飲み物な気がするけど。この子も好きなんだ。

    一瞬だけ迷ってから、小銭を入れる。指は自然と、桃のボタンの方に伸びる。

    ──でも。

    もう一度、あの言葉が浮かぶ。

    踏み出した、事実だけはそこに残るんだよ。

    ボタンを押す。がこん、と音がした。落ちてきたそれを、取り出して差し出す。

    「どうぞ。」

    固まっているその子に、言葉を足す。

    「コーヒーの方は、私が飲むから。」

    自分でも、ちょっとだけおかしくなるくらい、まっすぐな言い方だったと思う。

    返事を待たずに、コーヒーの缶を手に取る。プルタブを開けると、苦い香りが立ちのぼった。

    そのまま、その場を離れた。私は、振り返らなかった。この行動に、意味があったのかどうか。私はこのとき、理解できていない。

    * * *

    それきりだった。

    彼女の名前は宮宇地潤子というそうだ。同じクラスだったけど、話すことはほとんどなかった。彼女はいつも誰かと一緒にいて、私はずっとひとりだった。

    感情をあまり表に出さないのは、私の性分だ。誤解や勘違いを受けるくらいなら距離を取る。それで構わないと、そう思っていた。

    好きなときに動画を見て、好きなだけコメントを打って、好きな本を読む。誰に気を遣うということもない。

    必要以上に誰かと話すこともなく。視線を感じることがあっても、気にしないように過ごしていた。

    しばらくして、私に変な噂が立っていると耳にした。

    夜に出歩いてるだとか、怪しい店でバイトをしているだとか。正直聞いた瞬間は眉をひそめたと思う。どれも事実じゃない。とはいえ、否定する必要も感じなかった。

    もちろんいい気はしないけど。放っておけばいい。訂正することに意味などないと、前に学んだことがある。

    受け取り方は、自分で決めていい。メイメイもそう言っていた。

    私は、コーヒーも飲めるようになった。最初は苦かったけど、慣れると、悪くないと思えた。

    あの日の一歩は、これで終わりだと思っていた。ひとりでいるこの結果が、私の選んだかたちだったんだと。

    * * *

    卒業アルバムの話が出た日。教室の空気は、どこか浮ついていた。

    「ねえ。清水さんは誰と撮るのー?」

    声が飛んできた。視線は向けない。

    「お構いなく。私はひとりで撮るから。」

    それだけ言う。ざわつきが一瞬、教室に広がったかと思うと、すぐにしぼんだ。胸の奥が、ほんの少しだけざらつく。

    でも、これでいい。

    揺れたら、私の一歩が消える気がした。私はまっすぐ、自分の道を進むだけだ。

    * * *

    放課後、カフェで声をかけられた。コーヒーを片手に、メイメイのアーカイブを追っていたときだった。

    「ねえ、清水さん。」

    顔を上げると、あのときの子がいた。宮宇地潤子。思わず少し、身構える。なぜなら彼女は、今日、写真のことで声をかけてきた連中のグループに属していたから。何を言われるんだろう。

    「それ、メイメイのやつだよね?」

    指差されたのは、バッグにつけていたラバーストラップだった。一瞬、警戒がゆるむ。リアルで叶メイリのことを知っている人に、はじめて会った。

    「……持ってるの?」
    「うん。でも、家に置いてる。よく持ち歩けるなあって思って。」

    限定のやつだ。ここから遠い場所でしか手に入らなかった。

    「私は、ふたつ買ったから。」

    そう言うと、彼女は少し笑った。それから、少しずつ話すようになった。必然、メイメイの話題が多かった。配信のこと。好きな企画のこと。コメント欄の流れのこと。

    「じゅんじゅんってアカウント、わかる?」

    彼女がそう言ったとき、はっとした。じゅんじゅんは、メイメイのライブによく参加している犬のアイコンのアカウントだった。開始時とライブ終了時に挨拶をし、荒れそうな話題のときはコメントせず、メイメイが困っているとさりげなくフォローする。そんなアカウントだった。

    「あれ、実は私でさ。ファンなの、信じてくれた?」

    そう言われて、このときはじめてしっかりと潤子の顔を見た。画面の中のアイコンと、目の前の顔が、繋がる。

    茶色がかった髪はきちんと整えられていて、目元にもほんのり色が乗っていた。派手じゃないのに、人の輪の中にちゃんといる。そんな顔だ。

    同じ学生の立場なら、参加できるライブの時間が被っているのも納得だった。

    * * *

    その日の夜、配信を見ていた。まだ、メイメイの声は入っておらず、映し出されているのは待機画面だ。

    同時接続数も、ファンをはじめたころから比べると随分増えた。まだ開始前なのに、怒涛のようにコメントが流れていく。通り過ぎる挨拶コメントの中、犬のアイコンを無意識に追っていた。

    ふと、思う。

    ──私は、ひとりでいる道を選択して今ここにいる。卒業間近で、今さら友達つくってつるむのって……どうなのかな。

    そんなことをぼうっと考えていた。そうしていると、突如メイメイの声が配信に乗った。

    だめだ、集中しなきゃ。いつものように、メイメイの声を聴き、コメントを追い、動画の話題に没頭する。

    今日は、定例のお悩み相談のコーナーだった。視聴者からの質問が画面に表示される。

    「一歩踏み出したものの、うまくいかなくて。やっぱりやめたくなってます。これって逃げですか?」

    メイメイが、少しだけ間を置く。

    「一歩踏み出してさ、戻るのって、ゼロじゃないと思うんだよね。」

    そのあと、言葉を選ぶように画面上のメイメイが左右に揺れる。巫女衣装の裾がふわりと動く。

    「うーん、なんてったらいいのかな。」

    今もさらさらと流れ続けるコメント欄の中に、見慣れた名前が流れた。

    じゅんじゅん:違う二歩目を踏み出しただけだよね

    一瞬だけ、そこだけが止まって見えた。

    「おっ! じゅんじゅんさん良いこと言う! そういうこと!」

    画面の中で、そのコメントを拾ってメイメイが笑う。コメントはもう流れて見えなくなった。

    でも、その一行だけが、なんとなく頭の隅にあった。

    * * *

    「写真撮るなら、外の方がよくない?」

    そう言い出したのは、潤子の方だった。校庭の端、桜が咲いているところ。何人かが、同じように写真を撮っている。

    「ここでいい?」
    「うん。」

    スマホを構える。

    「じゃ、こっち入る?」

    一瞬だけ、迷う。私は、フレームの端の方に立つ。

    「もうちょい寄りなよ。写んないよ。」

    足が止まる。それでも、半歩だけ、近づいた。ちょうど写る距離を、少しだけ越えるように。

    シャッター音が鳴る。自撮りで撮るから、きっと他のクラスメートみたいに遠景じゃない。フレームの中に納まっている桜は、ほんの少し。

    それだけだった。

    * * *

    自販機の前で立ち止まる。

    ここにも、桜の木が少し。群れからはぐれたように控えめに。人の来ない場所で咲いていた。

    「なんか飲んでこ。」

    潤子が言う。

    「うん。」

    小銭を入れる。ボタンを見る。コーヒーもある。ピーチソーダもある。少しだけ迷って、指を伸ばす。

    がこん、と音がして、落ちてきたのはピーチソーダだった。彼女も、同じものを取り出す。

    「コーヒーじゃないんだ?」

    そう言われて、少しだけ笑う。

    「ほんとはね、私、こっちのが好きなんだよ。」

    プルタブを開ける。炭酸の音が、春の空気に溶けていく。

    「ね、今度さ、グッズ見せてよ。」

    少しためらいがちに、彼女が言う。メイメイのファン歴は、私の方が長い。なけなしの資金で、集めたグッズには自信があった。

    「……どうしてもって言うなら、うち来てもいいよ。」

    軽く言ったあとで、少し驚く。こういうことを、自分から言うのは、いつぶりだったろう。彼女は、うれしそうに頷く。

    桜の花びらがひとひら、目の前を流れていった。

    「じゃ、カンパイ。」

    缶が触れて、桃の香りがふわっと広がる。グラス越しじゃない、ただの缶のソーダ。それでも、あの日とは少し違う味がした。

    花見っていうには、賑やかさも、豪華な食事も足りないみたい。でも、春の訪れを静かに祝うだけなら。これくらいで、ちょうどいい。

    ここの桜は、きっとまた来年も花を咲かせる。

    私の一歩は、消えていなかった。
    ただ、増えていただけだった。



    ※以下の企画に参加させていただきました。

    ※以下は関連作品になります。


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