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無茶ぶりはやめて【アマノ文筆クラブ】

    財布野紐ゆるみ

    「それで、企画テーマってのが『やさしい働き方』なんだよ。」

    高梨先輩は、ファミレスのドリンクバーの安いコーヒーをかき混ぜながら言った。昼のピークを過ぎた店内は時がゆるやかに溶け、天井のスピーカーからは小さくジャズが流れている。

    慌ただしい社食では落ち着かないため、僕たちは駅前まで歩いてきたのだ。

    「これで、来週までに連載企画10本作れっていうのが上司の指示だ。いや、命令かな。」

    「……無茶ぶりじゃないですか?」

    僕は思わず声が出た。フォークがサラダの皿に当たり、こつんと音を立てる。

    要するに、テーマだけ与えられていて、ゼロから記事の企画書を10件分作れというわけだ。全部違う切り口で、それぞれ読者層を意識して、構成案も、取材先の候補も──。普段の記事を書きながら、どう考えてもこなせない。

    いや、あるいは自分が新人だからできないだけで、ベテランの先輩はこなせるのだろうか?

    僕はおそるおそる先輩の顔を見た。彼は飄々とした面持ちで、グラスを回している。

    「だよなあ。まあ、『やさしい働き方』ってテーマ自体はいいんだけどさ。」

    先輩は、紙ナプキンに雑にメモを書く。

    「育児×キャリア」「地方×副業」「障がいと働く」……キーワードを並べたところに、コーヒーの輪じみが広がって邪魔をした。

    「でも、10本だぞ? 来週だぞ? 星の王子さまを思い出したよ。」

    「それはまた、何故?」

    グラスの氷がチリ、と鳴る。

    「ほら、『兵士に、飛べだの変身しろだの命じる将軍は賢明じゃない』みたいなくだり、あるだろ。できないことを命じるのは、命令じゃなくてただの妄想なんだって。」

    「記憶が曖昧ですけど……そういう話でしたっけ。」

    「上司はきっと、『飛ぶ努力はしろ』『変わる努力をしろ』みたいなことが言いたいのかもしれん。ただ、こっちができるのはせいぜいジャンプと変顔くらいなんだよな。」

    僕は笑うしかなかった。

    「あれですよね。会社の企業理念、『醍醐味と感銘の創造』。」

    「言うのはタダだからな。あまり、そばに置いておきたい言葉でもないが。」

    「座右の銘にするには、だいぶ……無茶ですよね。」

    僕は眉をひそめたまま、むう、と考える。

    「そう。無茶ってのは、やる前から結果が見えてるやつのことだ。そしてそれは、根性では埋めようがない。」

    先輩はストローを指で折り曲げる。癖なのか、苛立ちなのかは判断できない。

    「でもまあ、この業界ってだいたいそんなもんだからさ。我々下っぱは、言われたらやるしかない。俺は企画書を5本準備するよ。」

    「素晴らしい社畜精神です。……5本? でも、あれ? 10本って……」

    正面を向いた先輩が、グラスの水滴を指で拭いながら、きれいな目をして言う。

    「うん。だから俺が、半分やるから。」

    「えーっと、先輩、残り5本は?」

    ここで先輩は、レシートをさっとつまんで席を立った。

    「ここは払っておく。なあに、いいってことよ。企画も割り勘にしたからな。これが、俺なりの『やさしい働き方』...…。

    じゃ! 俺は会議戻るから。」

    「え! ちょっ——。」

    こちらが言い終える前に。先輩は忍者のごとく会計を終え、足をうずまき状にして出て行った。「いいってことよ」じゃないだろ。

    「……ちっとも、やさしくない。」

    自動ドアの向こうの背中を恨めしく見つめた。テーブルには、ナプキンのメモ書きだけが残っている。

    「やさしい働き方」と書かれた文字の下。
    僕は、そこに小さくペンを走らせた。

    ——無茶ぶりはやめて。


    ※以下の企画に参加させていただきました。


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