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変わる勇気【創作】

    財布野紐ゆるみ

    「これさえ見れば、あなたも月収100万!」

    スマホ画面に踊るその文字は、夜の静かなアパートの一室で、直哉を見つめ返していた。

    動画の向こうで白い歯を見せて笑うのは、フォロワー20万人の「自己啓発インフルエンサー・ほとり」。

    高級ホテルのラウンジらしき場所で撮られた映像、ブランド物の時計、いかにも意識高そうなBGM。

    「成功者の空気」というやつが、これでもかと画面に詰まっている。

    「たった月額980円で、成功者の思考回路が全部わかるんです!」

    直哉は眉をひそめた。安いのか高いのかすら判断がつかない。だが、画面下に流れるコメント欄には、賞賛する言葉がいくつも並んでいる。

    「人生変わりました!」
    「ほとりさんのおかげで月商7桁達成!!」

    成功者の声、ということらしい。

    ほんとかよ……。

    半信半疑のまま、直哉はメンバーシップ入会のボタンに親指を伸ばしかけて──止めた。

    * * *

    翌日の会社の昼休み、直哉は同僚の美佳にその動画の話をした。

    「ほとり? ああ、あの『メンバーシップ錬金術師』の?」
    「え、そんなあだ名なの?」
    「界隈じゃ有名よ。『稼ぎ方を教える方法で稼いでる人』って、皮肉な意味で。まあどこのSNSにもそういう人っているけど。」

    美佳はストローをくわえながら肩をすくめた。

    「内容はだいたいこんなんでしょ? まずは積極的に自己投資! 環境を変えるためにメンバーシップに入ろう! 仲間があなたを成功させます! みたいな?」

    直哉は苦笑した。昨日流し見していた十数分の動画が、彼女の言葉では十数秒でうまくまとまっていた。

    「でもコメント欄に、成功したって人結構いたみたいだけど。」
    「たぶん『先輩メンバー』と『運営』でしょ。メンバーシップって、新規が入ってくる限りずっと、『成功してる人』を演じる役が必要だもん。」

    言われてみれば、あまりに出来すぎていた。というか、なぜ気づけなかったんだろう。

    「人はさ、努力しても報われないかもしれない現実より、押すだけでぱっと変われちゃうボタンのほうが好きなのよ。ほとりは、そこをついてるだけ。」

    そこで美佳は、チルドカップのカフェオレを手の中で転がし、小さく笑った。

    「……まあ、私も偉そうなこと言えないんだけど。」
    「え?」
    「最近さあ、週明けて、気づいたら金曜日なんだよね。」

    照れ隠しみたいに笑う。

    「毎日会社来て、帰って、ご飯食べて寝るだけでさ……。SNS開くと、みんな何か始めてるじゃん。資格取ったとか、副業始めたとか。私だけ止まってる気がして。」

    直哉は返事に困った。美佳はすぐに「ま、愚痴なんだけど」と笑って話を切り上げた。

    直哉は休憩の残り時間を確認するため、腕時計に視線を落とした。アウトレットで買ったノーブランドの時計が、蛍光灯の光を反射していた。

    * * *

    その夜。直哉は美佳の言葉を思い出しながら、再びほとりの動画を開いてみた。

    「成功者は、投資を惜しみません。あなたが成功しないのは、変わる勇気がないからです!」

    ……この言い方。変われないことへの焦りにつけ込んでいるみたいだ。

    動画の最後には、ド派手な文字が現れる。

    「今だけ! 年額プランなら追加特典!」

    嫌味ったらしいフォントではない。しかしかえって、演出が胸やけしないようにという意図が透けて見えるようだった。

    直哉は静かに画面を閉じた。

    * * *

    それから数日後。昼前、社内チャットに通知が流れる。

    美佳「今日は勉強会があるので定時で失礼します!」

    直哉は画面を見つめた。

    勉強会?

    外部講習の告知もなかったし、プライベートだろうか。資格試験でも受けるつもりなのかもしれない。

    特に気にも留めず仕事へ戻った。

    彼女なりに、自分に合った何かを見つけられたのであれば、いい話に違いない。しかし直哉は、どこか胸の奥に引っかかるものを感じていた。

    翌日の昼休み、いつものテーブルに座った美佳は、梅雨明けの晴れの日のような明るい表情をしていた。

    「昨日の勉強会、どうだった?」
    「よかったよ!」

    そう言って彼女はスマホを差し出した。画面には鮮やかな広告が映っていた。

    『AI時代の情報判断コミュニティ』

    「ネットで、いいとこ見つけたんだ。」
    「コミュニティ?」
    「うん。最近そういうの増えてるみたいで。情報の整理の仕方とか、見極め方とかを教えてくれるの。」

    画面を指で送る。

    「毎週オンライン講座があってさ。同じように勉強してる人もいるし。」
    「へえ。」
    「サブスクだけど、私は必要かなって思って。」

    直哉は画面を見つめた。

    「騙されない人になるために、まずは自己投資。」
    「仲間と学ぶことで情報弱者から卒業。」

    どこかで、聞いたような言葉だった。

    「こういうのにちゃんと触れておけば、ほとりみたいな、変な情報商材には引っかからなくて済むでしょ?」

    その笑顔はまっすぐだった。騙されている人の顔には見えなかった。

    直哉は何か言おうとして、やめた。

    昨日まで怪しいと思っていた言葉が、看板だけ掛け替えて、目の前に戻ってきている。でも、その先に本当に正しいものがある可能性までは、直哉には否定できなかった。

    美佳はもう、先に進んでいる。

    ……じゃあ、自分は?

    美佳は通知の来たスマホを満足そうにしまう。画面の端に、一瞬だけ新しい講座の案内が表示された。

    「変わる勇気がありますか?」

    直哉は、その文字に見覚えがある気がした。

    ふと左腕の時計に触れる。手のひらに、金属の冷たさだけが残った。


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