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ご自分で、考えてから【創作】

    財布野紐ゆるみ

    「もう少し、ご自分で考えてからコメントしてくださいね。」

    会議での、いつもの温川おんかわの口癖だった。

    オブザーバー数人の顔が上がる。何人かの視線がそれぞれ一瞬だけ交わり、そこから何事もなかったかのように、視線は手元に落ちていく。

    ──出た。

    そんな感情が、会議室のあちこちで滲んでいた。

    温川は頭がいい。正直私は、仕事ぶりでも口の上手さでも、ほとんど同期だというのに、彼女に敵わない。

    話の筋道を立てるのは早いし、資料の読み込みだって深い。資料の脚注や、出典の数字の確認まで見ていることを知っている。

    だからなのか、彼女の中ではいつも「自分が正しい」ということが大前提だった。

    普通だったら、自分と違う意見が出れば、その意見をまず検討するのではないかと思う。

    しかし彼女は大抵その前に、「なぜそんなことを言うのか」というほうへ話の舵を切る。そして相手が理解できない理由は、ただ考えが浅いからだと結論づけた。

    自分の説明がひと足飛びになっていなかったか、相手の意見に一考の余地がないかと顧みる時間は、彼女にはない。

    温川にぴしゃりとやられた舛田は、「失礼しました」と一言だけ残し、存在感をさっと会議の空気に溶け込ませた。

    先ほど舛田が発言したのは、早口で語る温川の説明を、全員に向けて簡潔に要約した内容だった。

    「つまり、こういう理解で合っていますか。」

    ただ、それだけ。親切心から来る、よかれと思っての発言だったと思う。

    それでも温川からすれば、自分の発言の邪魔になるから余計なことをするな、ということなのだろう。

    温川には取り巻きがふたりいた。詳しくはないが、ひとりは以前、温川に助けてもらったことがある人で、もうひとりは自分の意見をほとんど持たないタイプらしかった。

    両側に陣取って、いつも温川の意見を受けては頷いて援護射撃をしていた。

    「そうよね。」
    「私もそう思う。」

    温川が何か言い、ふたりが頷く。そうなると、ふふんと鼻を鳴らし、温川はさらに自信を持って話す。そんな繰り返しの中で、他メンバーの意見は、口に出される前にしぼんで消えていった。

    私が会議の内容をメモしていた紙には、ぐしゃぐしゃとペンを遊ばせた跡だけが残っていた。

    私も以前、彼女に意見したことがある。結果どうなったかは、言うまでもないだろう。今では、温川に何か言われるたび、言い返すより先に、自分のほうに間違いがないかを探す癖がついていた。

    * * *

    私たちの会社では、若手社員が新規事業の企画を出す「次世代プロジェクト」が年に一度行われていた。よかった案は、会社の上層部へとあげられる。

    狭き門だと予想されたが、仮に採択されれば、企画立案者が中心となってプロジェクトを動かすことができるという。

    温川もその企画に向けて燃えていた。彼女自身それを隠そうとしておらず、横顔の眉の形からも容易に見て取れる。自分の案が一番いい。それが当然と思っている顔だった。

    次の会議で、企画立案者によるプレゼンが行われた。

    AからEまでの、五つの企画。社内託児所や地方拠点の再編、取引先との共同イベント計画など、内容はそれぞれ毛色が違った。五人がそれぞれ発表する。そのうちのひとりが私、ひとりが温川だった。

    プロジェクトの決め方は、少し変わっていた。

    本来、議決権を持たないオブザーバーも含めて投票する。AからEまで、複数を書いてもいい。同数なら、いずれも上へあげる。そういう決め方だった。

    私の発表は企画C。内容は営業資料のデジタル化についてだったが、正直のところ経費見積りの準備が間に合っておらず、発表慣れしていない経験不足も相まって、納得のいく発表とはならなかった。

    温川の発表は、いつも通り。それはそれは堂々たるものだった。資料の枚数は発表者の中で一番多い。早口で勢いよく、発表時間を駆け抜けていった。

    内容は、部署を越えて若手社員を組み合わせる社内プロジェクトだ。途中説明が飛んでわかりにくい部分はあったが、質疑の時間にはその疑問がなんだったか忘れてしまうくらいに、多くの話題を詰め込んでひとつの案に落とし込んでいた。

    * * *

    全員の発表が終わった。投票時間を挟み、その場で開票が行われる。

    一枚目。

    「A、B、C、E。」

    二枚目。

    「A、B、C、E……。」

    三枚目。

    「A、B、E。」

    四枚目。

    「A、B、C。」

    複数に投票した人が多かった。仕組み上、ありえない話ではない。誰も、それを不思議には思わなかった。それぞれに良いところがあったからだ。私はA・B・Eに投票した。自薦でCを選ぶことができるルールだったが、そうはしなかった。

    ただ、ここまででDが一度も出ていない。Dこそが、温川の渾身の企画だった。

    温川も、最初は黙っていた。二枚目の開票までは表情も変わらなかった。

    しかし、三枚目で、少しだけペンを持つ指が動き、四枚目で、椅子の背もたれから身体を離した。

    まだDが、出ない。

    五枚目でようやく、一枚出た。「D」のみの記載のものが一票。しかし、以降もほとんどが「Dを含まない複数投票」となっていた。

    そして最後の一枚。

    「A、B、C、E。……投票は以上になります。」

    結局、温川の企画に投票したのは、どうやら温川自身と、取り巻きのふたりだけだった。

    同数で、AとBの企画を上にあげることに決定した。

    * * *

    ぱらぱらと鳴る拍手を、温川のよく通る声が遮る。

    「ちょっと待ってください!」

    会議室の空気が止まる。私も手を止めてそちらを見ていた。

    「この投票、少しおかしくないですか……?」

    誰も答えない。温川は、投票用紙を見ながら続けた。

    「私の企画ですが、他の案より劣っていたとは思えません。」

    それは事実だった。私も正直、彼女のプロジェクト自体は、悪くないと思えた。

    「A、Bはともかく。CやEの案よりも票数が少ないのはおかしいと思います。」

    かちんときた。私だって、自分のC企画には力量不足を感じていた。ただ、この結果はみんなの総意なのだから、被投票者を責めるのは違う。

    私は目が合っていた。温川と。たぶん、気に食わなそうな顔をしている私のことを、気に食わないと思っているのだろう。

    「どう思います?」

    だから、正直に答えることにした。別に、温川は上司ではなく、ただの同僚だ。お互い敬語の関係で、取り巻きとだって仲良くはないし、ちょっと意見をしたところで今後も別に困らない。

    「企画の内容は、実現可能性も含めて悪くないと考えました。」

    温川が少しだけ顔を上げた。にやついた口元は、見ないようにした。

    「そうでしょう?」
    「ただ……。」

    私は一度、言葉を選んだ。他にも会議参加者がいることを忘れてはいけない。

    「最終的に企画が通った場合。立案者が指揮をとる仕組みである以上。温川さんのグループで、メンバーが一致団結するのは難しい気がします。」

    温川の眉がぴくりと動いた。

    「そんなことは、いいわ。」

    声が少しだけ低くなり、敬語が抜け落ちる。もともと彼女の敬語は、形式だけのものだ。

    「企画の内容についてもう少し、ご自分で考えてからコメントを──。」

    私は温川の言葉を聞きながら、なぜか少し可笑しくなった。

    「先日の会議中の、舛田さんへのご意見のときもそうでしたが。」

    温川が黙った。

    「私は、考えてから発言できる人は、『ご自分で考えてからコメントしてください』なんて言葉は使わないと思います。」
    「……どういう意味?」
    「そのままの意味です。」

    温川は私の顔を見ていた。いつもの、相手の言葉から落ち度を狩ろうとする、狡猾な目つきだった。

    私は、参加者全員の時間を使って、こんな話をするのは申し訳ないと思っていた。だが、議題を作ったのは彼女の方だ。

    「誰かの意見に対して発言をするとき、内容に対してのみ意見すればいいのではないかと思います。」

    私は続けた。

    「私は今、企画について意見を言いました。良いところと、懸念点をお伝えしました。でも温川さんは、その意見の内容ではなく、私が『どの程度考えてから発言したのか』を問題にしました。」

    温川の口元が再度ゆがむ。何か言いかけて、止まった。

    「そうやって、『相手がその意見を持つに至った思考過程』まで採点して評価しだすと、強い上下関係が生まれると思います。」

    会議室は静かだった。取り巻きのふたりも、何も言わない。温川が何か言わないと、彼女たちも口を出せないのだ。

    「他の方の考えはわかりませんが、同僚として、私は企画について率直な意見を言いました。」

    温川の顔から、少しずつ表情が消えていった。

    「それを、考えが足りないとか、もっと自分で考えろとか言われたら……」

    私はそこで言葉を切った。言い過ぎかもしれないと思った。けれど、引き返す気にもなれなかった。

    「対等に意見を交換することが、難しくなると思います。」

    誰も何も言わなかった。温川は私を見ていた。

    怒っているようにも、考えているようにも見えた。ただ、いつものように、すぐに何かを返すということはしなかった。

    その沈黙の中で、私はふと、さっきの開票結果を思い出した。

    机の上には、回収された投票用紙が重ねられていた。どの紙にも、Dの文字はほとんどない。別に、裏で温川をやり込める目的での結託などもなかった。これまでの温川を見て、企画発表を受けて、全員が正当に評価した結果だった。

    会議室の机の上には、五つの企画書が並んでいる。どれも、それなりによくできていたと感じた。

    温川はまだ、私を見ていた。しばらくして、彼女は身内以外から選ばれなかった、自分の企画書に視線を落とした。

    そこに座っている彼女は、今も自分が正しいと信じて疑っていないのだろうか。

    このときだけ。私はたぶん初めて、彼女が賢い人なのだということを少しだけ忘れていたと思う。


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