メインコンテンツへスキップ
見出し画像

席の話、人の話【創作】

    財布野紐ゆるみ

    「あ、またやってる。」

    忘れたころ、定期的にSNSで巡ってくる話題。私は、聖恵がこちらに向けたスマホを見た。

    コーヒーチェーンで、長時間席を占拠する人を晒す投稿だ。

    「別にいいじゃんね、そういう場所として提供してんだから。」

    彼女はスマホを手元に戻して言う。まあ、聖恵の性格ならそうかもしれない。わざわざ、席に電源が用意されているお店なのだから。

    私はそもそも、その手のカフェでパソコンや教材を開いて、作業や勉強しようという気にはならない。騒がしいと落ち着かないし、周りの視線も気になる。

    何より。

    私は今いる店内をぐるり見回す。この店は、満席ではないが、そこそこ埋まっている。平日の大型ショッピングモールの昼過ぎ、店外に広がる景色には、視界が渋滞しないくらいの人や物。

    今いるような、あまり混み合わない店であれば気にならないが、満席でさらに外で人が並んでいるような場合、早めに出たいと思う。

    早い者勝ちは必ずしも間違っていないと思うが、用が済んでなお居座り続けても、ゆっくりと落ち着けないような気もする。

    「だいたい、店側が禁止してないんだからさ。」
    「まあ……店ごとに、独自のルールを決めてるところもあるみたいね。」

    自分のスマホを取り出して、調べる。試験シーズンの前に注意喚起をする店や、混雑時は「長時間利用はご遠慮ください」と掲示する店の例があった。

    でも本当は、私は目の前の人と話しているときに、スマホは触りたくはなかった。

    「いや、杏子。あんたはどう思うわけ。」

    聖恵が、私の方を見て言う。彼女が飲んでいたアイスコーヒーのグラスは、ほとんど空になっていた。

    「私は……。混んでたら店に入らないし、作業するなら図書館とかコワーキングスペースとか、別の場所に行くかな。」

    なんとなく目を逸らして、私もオレンジジュースのグラスを空にした。氷は溶けきっていて、ぬるいものが喉を通っていった。

    「そうだろうね。お店も、二時間制とか制限をかければいいのに。」

    それも、なんだか違う気もする。ルールを変えれば、人は変わる。それは過去、いつだったか私を受け持ってくれたクラスの先生が言っていた。

    * * *

    「私は……」

    気づけば口を開いていた。

    「優先席が、許せないんだよね。」
    「え?」

    聖恵の口角が少し、きゅっと上がる。私がなにか言おうとすると、彼女はたまに目を大きくして、その先を促すことがある。

    「電車の優先席だよ。あれって、逆に目印がないと譲り合わなくていい、みたいになってない?」
    「あはは。急だし。なってないでしょ。」
    「配慮って、場所とか仕組みじゃなくて、もっと人を見るもんなんじゃないのかなあって。」

    私がおしぼりを手でもてあそびながら話すのを、なんだか楽しそうに見つめる聖恵。こっちは結構、真面目に話しているのに。

    「なんとなく、わかるよ。でも、全員が空気読めるわけじゃないからね。」

    彼女は、それだけ言った。

    「空気を読む」、という言葉にも、ずっと釈然としないものがある。自分の考えは、その場の雰囲気を使って周りに押し付けているだけなのだろうか。

    「そうだね。だから、やっぱりルールは必要なんだよね……。」

    私もそれだけつぶやいて、その店を出た。

    * * *

    店外も、施設内だからそこまで暑くはなかった。

    けれど、出がけに見てきた予報では、ここ数日で今日が一番気温が高いということだった。外に出て少し歩けば、また汗が滲むだろう。

    「ドリンク買ってこ。」

    併設のスーパーも、人はまばらだった。私たちは、一本ずつ飲み物を手に取った。

    いくつかあるうちのひとつの機械を使って、セルフでレジを通す。

    隣では、お婆さんが店員にレジを打ってもらっていた。カートを押していて、その腰は少し曲がっている。

    レジを通した商品で買い物かごは山盛りになっており、飲料や果物に加え、肉類のパックが上面からはみ出しているのが見えた。

    「これ、持ってて。」

    私は聖恵に自分のドリンクを預けて、お婆さんのところへ走り寄る。

    「重いでしょう。そっちの台まで、運びますよ。」

    距離は二メートルもない。両手に力を入れて、かごを掴んで運んだ。さすがに、重い。短い時間だったけど、手のひらにかごのかたちが食い込むのがわかった。店員さんと、お婆さん、お礼を言われたのはほぼ同時だった。

    私が戻ると、聖恵の表情がまた柔らかかった。

    「あんたらしいよね。」

    聖恵が、私のドリンクを差し出す。

    「え?」

    受け取ると、彼女が続けた。

    「席の話ってか、人の話。」

    手のひらにはまだ、買い物かごの網目の跡がうっすら残っていた。冷たいペットボトルを握ると、その跡だけが少しずつ消えていく。

    でも、それがなんだか、心地よかった。


    あなたへのおすすめ