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思い出のナポリタン【創作】

    財布野紐ゆるみ

    息子が学校で「小さな思い出」という課題を出された。

    自分の思い出ではなく、周りの大人からちょっとした思い出を聞いてきて発表する、というものらしかった。

    「考えといてね!」

    息子は、プリントだけ渡してそう言った。目で書いてある文字を追う。

    期限は一週間くらい。食べたものとか、行った場所。なんでもいいようだ。

    息子は小学校二年生だったが、親が巻き込まれる宿題や課題がやけに多い気がする。昔からそうだっただろうか。

    小さな思い出。

    学校の卒業や子どもが生まれたことのような、人生における大事件じゃない。それでも、思い出に残るもの。

    考える。

    「なんでもいい」となると迷う。プリントを片手に、カウンターに肘をつきながら一緒にため息もついた。なんでもいいが一番困るんだからね、とよく母も言っていたのが思い出される。

    ここで、記憶がひとつつながった。

    母親の定番料理。ナポリタンだった。

    昼ご飯としても夜ご飯としても、よく作ってくれた。

    でも、私は特別好きだったわけじゃない。ケチャップの味が強くて、ミートソースにしてくれればいいのにって思ってた。

    しかもナポリタンは、外で食べた記憶がない。パスタのお店では見かけないことも多いし、喫茶店で見かけても注文はしない。ただなんとなく、昔から知っている食べ物。

    小さな思い出、として語るにはちょうどいいんじゃないかと思った。

    * * *

    そこでふと、息子には「思い出のナポリタン」がないことに気づいた。

    私が好きじゃない食べ物だから、レパートリーに含まれない。なんなら、今まで作ってあげたことすらなかったかもしれない。

    その理由のひとつに、「ベーコンやウインナーを買わないから」というものがある。息子にも食べさせない。単純に、身体に悪いと思うからだ。

    夫は神経質ではないけれど、「気にしすぎだ」とは言わない。私の喘息持ちを知っているからか、否定はされなかった。

    どうしたって、「身体に入るもの」には敏感になる。

    調理をするフライパンも、ふりかける調味料も、素材を選び気をつかった。食器を洗う洗剤や、窓の外の空気にだって。

    身体にいいこと。健康に気をかけること。

    それは当然、息子のためにもなっているはずだった。

    * * *

    「宿題みてえ。」

    その日の夕食後、息子に言われた。

    私はいいよと言って、二年生の国語の教科書をぱらぱらとめくる。

    こんなの覚えて、何になるんだろう。

    今の息子と同じくらいの年のころ、そんなことを思ったことがある。みんなと同じにできるようになって、同じことを勉強して。

    十数年前。人と人はそれぞれ違って素晴らしい、みたいな歌詞の曲が流行ったことがある。それこそ大人が、こぞって聞いていた。

    みんながみんな、学校で同じようなことを同じように学ぶせいで、そんな当たり前のことに気づくのが遅れるんじゃないだろうか。いったんあえて個性を沈ませてから、探り当てて喜んでいるような構図が、理解しがたかった。

    漢字とか、九九の計算とか。他の科目もみんな。

    そんなことを考えながら、私は息子の音読を聞いていた。息子の発音ははきはきしており、私よりちゃんと喋っている気がした。きっと、親の欲目だろうけれど。

    声が止まる。夕焼けが出てきたシーンで、息子の顔がこちらを向いた。

    「お母さん、どうして空が赤くなるの?」

    あのときの私は、勉強の意味なんて分からなかった。でも、その疑問は私も小さいころに抱いたし、小学生のときに習った知識を覚えていた。

    かみ砕いて、説明する。

    太陽の光に色々な色が含まれること。太陽が遠くに沈むことで、光の届く長さが変わって、赤っぽい色だけが残ること。……そんな風に。

    息子が「へえー」と言って、教科書に視線を戻した。

    それだけだった。

    息子の音読が再開される。

    でも、あとから、これでいいのかな、と不安になる。

    私は小さいころ、「夕日が赤いのは、太陽が照れているからかも」と本気で考えていた。それ以上の「どうして」を抱くことなく、学校の授業で知るまで、ずっとそのまま。

    時間を越えて、知識をわが子に渡したこと。それが正しいことなのかどうか。その答えはきっと、何年生の教科書にも載っていない。

    * * *

    大人になってから出された「小さな思い出」の宿題。その提出期限が、近づいていた。

    それはそれとして、今日も夕飯の買い出しに出ないといけない。

    冷蔵庫と戸棚を開けて、余っている食材を確認する。

    戸棚には、パスタがあった。

    宿題と重なる。子どものころ食べたナポリタンが、好きでもないのに頭をよぎった。昨日、母へ電話をかけたことを思い出す。

    母から受け取ったもの。別に大した思い出じゃない。好きではなかったのだから、余計に。

    でも、自分は忘れずに覚えている。

    そして今、自分が息子に何かを渡す立場になった。

    勉強も、言葉も。食卓だって、そうだ。

    栄養価。身体にいいか悪いか。将来、役に立つか。そんなことは関係なくて、単純に「お母さんが作ってくれた」。そんな記憶になって残るもの。

    戸棚を閉じる。

    息子はリビングで、何かをしている。また絵を描いているか、ゲームでもしているんだろう。

    次に冷蔵庫を開けると、ケチャップがあった。

    私は扉を閉め、買うものをひとつずつ考えようとして、すぐにやめた。何を買うかは、スーパーに着いてから考えればいい。

    私は財布を手に取り、玄関の扉を開ける。

    三階から見た空は、オレンジがかった赤色に染まっていた。

    少しだけ立ち止まって、その色を浴びる。夕日が赤くなる理由なら、私はもうとっくに知っていた。


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