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濁ったビーズ【創作】

    財布野紐ゆるみ

    カフェは混んでいた。昼を過ぎているのに席はほとんど埋まっていて、甘い匂いとざわめきが、なんとなく居心地を悪くしている。

    「で、何の話?」

    向かいに座った女は、メニューから顔を上げないまま、ちらと上目で見て言った。野々村一香いちか。私の友人、加納啓太の知り合いで、詳しくは知らないが話を聞くのが上手いらしい。ぶっきらぼうのように見えるが、彼女はただの人見知りだと、そう聞いている。

    「いやあ、ちょっと相談っていうかさ。」

    隣の啓太が、勝手に話を切り出す。

    「こいつの……結城さんの友達が、ちょっと変な死に方してさ。」
    「は?」

    一香が顔を上げる。露骨に眉をひそめた。

    「そういう重いの、やだ。奢りがパフェ一個じゃ割に合わないよ。」
    「あ……なんか追加で頼む?」
    「そういうことじゃなくって。……じゃあ、聞くだけね。変な事件でも、解決とかできないんだし。」

    そう言って、ようやくこちらをちゃんと見た。あらためて見ると、一香は飾り気のない恰好をして、どこか怯えた子犬のような目をした、黒髪ショートの女だった。

    「結城乃天のあさんね。よろしく。」

    続きを促されたわけでもないけれど、私は話し始めた。このときは、啓太がなぜ彼女を紹介して、私に話をさせようと考えたのか、正直よくわかっていなかった。

    * * *

    矢野朱莉あかりが死んだのは、つい一週間前だ。

    通り魔だと聞いた。夜道で、暴漢に襲われたという。行き先も詳しく告げず、ふらっと出かけたその夜に。

    暴漢と言ったが、犯人が男か女かは不明らしい。ニュースにもなったけど、詳しいことはよく知らない。

    正直、まだ実感はなかった。

    三人でよく会っていたのに、今はふたりになった。その事実だけが、どこか浮いている。

    亡くなった矢野朱莉、今この場にはいない湯通堂ゆつどう華、そして私、結城乃天。三人は、小学校時代から仲の良い友人関係が続いていた。私だけ違う大学だけど、趣味の手芸を通して、今も定期的な交友があった。

    それが突然、あんなことに。

    葬式で泣いていた華の表情を思い出す。亡くなった当日、私と華は映画館で映画を見ていた。もし、みんな一緒だったら朱莉は無事だったのにと、華は自分を責めていた。

    朱莉は予定が合わなくて、来られなかった。「ごめんね、また今度」が、彼女の私への最後のメッセージだった。

    泣けなかった私は、薄情な奴だと思われたかもしれない。だけどそのときは、襲った犯人への怒りの方に強く感情を向けていたと思う。

    数日後、朱莉の叔母に呼ばれた。部屋の片づけを手伝ってほしいということで、華と一緒に行くことにした。朱莉にはご両親はおらず、叔母が育ての親らしい。私はそれまで、顔を合わせたことがなかった。

    そういえば、あの子は昔から、友達を家に呼びたがらなかった。あまり言いたくない、家庭の事情があったのかもしれない。

    * * *

    部屋は、思っていたより「そのまま」だった。

    ベッドの上に、畳まれていない服。机の上に開いたままのノート。ペンが、使いかけのまま転がっている。

    来たことがないはずなのに、置かれた手芸用具や制作物や趣味のグッズから、よく知る彼女の生きた気配がうかがえた。

    「……まるで昨日まで、いたみたいだね。」

    華が言った。うなずきながら、私は鞄を置く。そっと置いたつもりなのに、かすかな音が広がった。部屋の空気は、妙に静かだった。

    叔母は、あまり口数が多くない人だった。

    「適当にまとめてくれればいいわ、お礼もするから。」

    そう言って、台所の方に引っ込んだ。できればもう少し、朱莉についての話を聞きたかったが、当然彼女にも思うところがあるのだろう。それは、表情の窪みと皺から容易に見て取れた。

    最初は、本当にただの片づけだった。

    本をまとめて、服を畳んで、要るものと要らないものを分ける。棚や机の中は、あまり触らないようにした。でも途中で、違和感の欠片が湧いて出てくる。

    「ねえ、これ……?」

    華が、私の後ろから声をかける。ごみ袋の前で、レシートを一枚持っていた。

    「袋の中から見つけたんだけど。……この日。三人で出かけたときのじゃない?」

    日付を見て、確かにそうだと思った。めずらしく集まって、日帰り旅行のような感じで少し遠出した思い出の日。

    「朱莉って、レシートとか全部とっとく子だったじゃん。家でも捨てられなくて困るってよく言ってたし。」

    そうだっけと思ったが、言われてみると朱莉は、どこに行ったとか、何を食べたとか、全部覚えておきたいからと、とにかくよく写真を撮っていた。いわゆる残しておきたいタイプだ。レシートやチケットの半券を、財布にしまっている場面を何度も記憶がある。

    「そういえば……」

    ふと思い出したことを、私は口に出していた。

    「あの日。華のスマホに朱莉から着信があったんだよね。映画を観てるって知ってたはずなのに、珍しいなって。」
    「……うん。どうしたんだろ。私、マナーモードにしてたから気づけなくて。」

    華は手を止めて、目を伏せた。

    「……もし、あのとき電話に出ていたら。なにか違ったのかな。」

    私は、あらためてそこにあったごみ袋の中を見た。

    「なんで、捨てられてたんだろ……。」

    華の言葉に、私はそこにあったごみ袋の中を見た。

    中には、細かい紙や、空き箱や、いくつかの小物が混ざっていた。今日片づけたものを捨てた袋じゃない。もともと部屋にあったごみ袋に、だ。

    「……たまたま、じゃない?」

    そう言いながら、少しだけ気持ちが悪くなる。だって叔母さんは、朱莉がいなくなった日から、誰もこの部屋に入っていないと言っていた。警察は一度来たらしいが、部屋は軽く見ただけで終わったと聞いている。

    それから、同じごみ袋の底の方で、もうひとつ見つけた。

    小さなアクセサリー。

    ビーズで作った、安っぽいもの。でも見覚えがあった。

    「これも……。乃天が作ったやつじゃない?」

    華が取り出して、言う。

    小学校の手芸クラブで、私が作って、朱莉の誕生日にあげたものだった。

    「……なんで。」

    言いながら、喉の奥が引っかかる。古くなって、いらなくなったのだろうか。あっても仕方がないものと思われたのかもしれない。

    あげたものだから、どうするかは本人の自由だ。でも、お返しにと朱莉が私にくれたフェルトのマスコットは、自室の箱にしまって置いてある。それを眺めては、彼女との友情の証だと大事に想っていたのに。

    彼女の方は、ごみ袋の中にあった。

    * * *

    「それ、捨てるやつ?」

    背後から声がして、心臓が跳ねた。それはきっと、隣にいた華も同じだったに違いない。ふたり同時に振り返ると、叔母が立っていた。

    「……あ、いえ。」
    「よかったら、なにかあったらもらってやってね。いらないなら、まとめておいてくれればいいから……。」

    そう言って、またすぐに視線を外した。表情はほとんど動かなかったけれど、笑顔をつとめている努力はうかがえた。

    叔母がお茶とお菓子を置いて退室してから、華と顔を見合わせる。

    結局、私たちはあまり長くいられなかった。なんとなく気持ちが悪くなって、適当にいくつかの物をまとめて、持ち帰ることにした。

    何を持って帰ったのか、正直あまり覚えていない。けれど、彼女にとって「要らなくなった」ビーズアクセサリーだけは、持ち帰ることにした。

    * * *

    「……なるほどね。」

    話し終えると、一香はストローをくるくる回しながら言った。パフェひとつと、アイスティーでどうやらお腹がいっぱいらしかった。

    「うん?」

    啓太が、首をかしげて身を乗り出す。

    「なんかおかしくね?」
    「おかしいよ。」

    一香は少し険しい顔をして、あっさり言った。

    「全部おかしい。」

    ストローは動きを止める。店内BGMが、それにあわせてゆっくりになった気がした。

    「叔母さんに、なにか聞けないの?」

    啓太が聞くが、私は首を横に振った。

    「あのあと引っ越しちゃって、もういないのよ。」
    「じゃ、通り魔事件についての進展は、なにかあったの。」

    一香の質問にも、あまり有益な回答はない。

    「捕まっていないわ。」
    「うーん?」

    一香はなにやら、ガムのようなものを取り出して口の中で転がしていた。ふわっと、コーヒー味の香りが漂った気がする。

    啓太はアイスコーヒーのストローを咥えながら、少しだけ声を落とした。

    「……話聞いて、思ったんだけど。叔母さん、普通に怪しくない?」
    「ん?」

    一香が顔をしかめ、啓太が焦る。私は、言葉の続きを待っていた。

    「いやいや、だってさ。ごみ袋があって、中身は選別されてる。レシートも、アクセサリーも、たまたま捨てた感じじゃないよな。」

    私はあの部屋を思い出していた。半分ずつエリアを分けて作業をはじめる前から、あの袋はたしかにあった。

    啓太は指でテーブルを軽く叩く。

    「つまり、『誰か』が触ってる。」
    「……叔母さんが?」
    「そう。で、それを隠すために『誰も入ってない』って言ったとか。」

    一香はしばらく何も言わなかった。視線だけが、テーブルの一点に落ちている。

    「ふたりを呼んだ理由は?」

    短く問う。

    「さあ。そこまではわかんないけど……」

    啓太は少し考えるように言葉を切ってから、言った。

    「たとえばさ、誰が触ったかをわからなくするために、ふたりに部屋を片付けさせた、とか?」
    「……。」

    叔母さんの雰囲気に、私も妙だと感じる部分はあった。でも、娘同然の朱莉を亡くしたばかりの、彼女の気持ちは計りかねる。おかしな態度だったとも言い切れない。

    「不思議だった、というと……。」

    私が、口を開いた。

    「朱莉が、何の用事で当日家を出たかも、気にはなってる。叔母さんは聞いていなかったっていうし……。彼女なら、普段は出かける前に行き先くらい言うはずなのにって。」

    たぶん遠い目をしていて、気を遣わせた。啓太がおそるおそる言った。

    「なんか決心して出かけたのかな……。ごみ袋も、自分で用意して、選別して捨てた、とか? 通り魔にあうなんて、出来すぎな気もするけど。」

    軽い口調だったが、彼も目は笑っていない。

    ふと、あの部屋の空気を思い出す。整っているのに、どこか歪んでいた。無意識に、きゅっと両のこぶしを握っていた。

    一香は何も言わなかった。さっきまでと同じ顔のまま。どこか、引っかかっているみたいだった。

    * * *

    「なんか、話聞いて思うところ、あった?」

    啓太がまた、一香に尋ねた。

    空になったグラスの中の氷をストローでつついたあと、一香がようやく口を開いた。

    「いや、正直わからないけど。」

    一香は肩をすくめる。

    「整理すると、謎がいくつかある。

     レシートが捨てられていた。アクセサリーが捨てられていた。朱莉さんは、ふらっと行き先も告げずに出かけた。そして、通り魔に巻き込まれた。ごみ袋の件と通り魔の件は、関係あるかわからない。」

    黙ってうなずく。一香はこちらをちらっと見てから続ける。

    「いくつか、パターンが考えられるよね。

     ひとつは、叔母さんが嘘をついている。大事なものとわかっていてあえて捨てたかもしれないし、本当は行き先を告げられていたかもしれないし、なんなら彼女が朱莉さんを呼び出したのかもしれない。

     ふたつめは、叔母さんは大事なものと知らずに捨てた。あるいは、朱莉さんが自分で捨てた。そして朱莉さんは、思い立って出かけた際に不幸に遭ってしまった。」

    今まで話した通りの内容を、一香がまとめた。話を聞くのが上手、という啓太の評価はあながち間違っていなさそうだ。ただ、どちらだったとしても後味はよくない。人が亡くなって、後味がよくなることなんてないのかもしれないが。

    「どちらかといえば、後者が断然マシね。」

    私は言った。叔母さんに悪意があって……とは、思いたくなかった。でも同時に、持ち帰ったビーズアクセサリーのことを思い出していた。

    一香は、ガムをもう噛んでいなかった。包み紙に包んで、もう捨てたのだろう。

    「で、みっつめだけど。華さんが嘘をついているパターン。」

    * * *

    「おいおい、野々村。」

    啓太が、一香を諫めた。呆れているような、怒っているような口調だった。

    「華は、乃天の友達だぞ。」
    「知ってるよ。可能性の話だよ。これまでも、これからも。」
    「いいわ、聞かせて。」

    ふたりがこっちを見た。自然と出た言葉だった。

    「うん。たとえばだけど。そのレシート、三人一緒にいた日のを出したんだよね。部屋にあったか、華さんがもともと持ってたか、わかんないよ。」

    ……それは、そうだ。私は、華がレシートを持っていたところを見ただけ。袋に入っていたものを見せられた、と思っていた。そういう流れだったから、疑いもしなかった。

    「その場合、アクセサリーも、部屋にあったのを見つけてごみ袋に入れたのは、華さんの可能性があるね。」
    「でも、チャンスがあったとして、そんなことする理由なくね。」

    啓太が言う。

    「そうだね。」

    一香が答えた。私も、そう思う。そんなことをする理由がない。朱莉と、華との間になにかがあったのだとしたら、わからないけど……。

    「じゃあ、何も言わずに、朱莉が出て行ったのは……?」

    一香の方を向いて、尋ねる。

    「ん、本当に、思い立って出かけただけかもしれない。そこで、通り魔に襲われたのかもしれない。……あるいは、事前に口約束をしていて、華さんが彼女を呼び出していたのかもしれない。

     『誰にも相談できないことがあって、こっそり朱莉と話したい、他の人に知られたくない、もちろん乃天にも。』とか言ってさ。」

    少し、重い調子で一香は続ける。

    「その日、映画に行こうと誘ったのは、華さん? それとも、あなた?」

    ……華だった。見たい映画だからと。朱莉にも声をかけると。どういうやりとりをしたのだったか。詳細な経緯を思い出そうとして、頭が痛くなる。

    はっとして、声をあげた。

    「でも映画館にいたわ。一緒に。少なくとも襲ったのは、華ではない。」
    「……そうだね。それは、他の誰かだと思う。だけどさ。」

    そのときの一香は、怯えた子犬ではなく、狩りをする猫のような目をしていた。

    「そのタイミングで、華さんに電話があったっていうのが気になる。」

    私は、答えなかった。一香の言うことはすべて、可能性世界の話だ。かもしれない。もしかして。……そんな話。でも。

    私は、華の言葉を思い出していた。上映後の話だ。

    『あっ、朱莉ったら電話くれてる。映画観るって知ってるのに。』

    平然とした、顔と声だった。

    「で、電話があったからなんなんだよ?」

    啓太がまた、尋ねる。少々、素っ頓狂な声で。

    「誰かと待ち合わせていたとしたら、時間が来たらその人に電話かけるかな、と思って。」

    一香は、あくまで淡々と続けていた。

    「最初から悪意があった場合、やっぱり華さんは彼女との約束は口頭でしてたと思う。警察に通話履歴を辿られないように。」

    私は、落ちた沈黙と一緒になって、うつむいていた。聞こえた言葉の意味を、反芻するのに時間がかかった。

    「……そんなわけないだろ。」

    啓太の声は、小さかった。

    「友達だぞ。」
    「……うん。」

    一香はあっさり頷く。

    「だから、違うかもしれない。全部、違うかもしれないし……」

    ストローを離して、少しだけ笑った。

    「全部、ちょっとずつ本当かもしれない。」

    * * *

    帰り道、何を話したか覚えていない。気づいたら、自室だった。

    鞄の中から、あの日持ち帰ったものを探る。取り出す途中、それは何度も手の中をすり抜けて、鞄の底に落ちた。

    子供のころ作ったビーズアクセサリー。

    ようやく捕まえて、手のひらに乗せる。

    こんな形だっただろうか。少しだけ、色が違う気がする。あのころはもっと輝いて、きらきらしていたように思う。

    それとも、最初からこうだったのか。

    思い出そうとして、やめた。

    しばらく見てから、机の上に置く。朱莉の作ったフェルトのマスコットと一緒に、並べていいだろうか。聞く相手は、もういない。

    どうしようかな。

    華に、話すこと、考えなきゃ。

    そのまま、私は電気を消した。


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