
いつか、一枚だけ【創作】
私は、ゲームが好きだった。
ビデオゲームも、ボードゲームも。兄妹でよく遊んだ。
でも、トレーディングカードゲームには手を出さなかった。絶対にお小遣いを使わないと心に決めていた。
面白くないからじゃない。「弱い自分」を知っていたからだ。それは、交換するのが下手だとか、対戦で勝てなさそうだ、という意味ではない。
手を出すときっと、集めたくなる。集めだしたら、揃えたくなる。勝負になったら、勝ちたくなる。歯止めがきかなくなる未来が見えた。
だから、はじめから近づかない。
一度入り込んでしまうと、人は変わってしまう。単にそれを知っていただけ。
* * *
「HSPで会社を辞めました!
でも今は自由に月収50万……。」
そんな文字列が並んでいる。見ただけで、気分が悪くなった。HSPは診断名じゃない。要するに、単なる自己診断だ。
絶対的な線引きがあるわけでもない。なのに「私はそういう人間です」と看板にして、人を集めて、商売にする人がいる。
例えば、月額数百円のメンバーシップ。
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他人より刺激に敏感で、細かい違和感にも気づく人間が。そんな「細かい矛盾」に無自覚なまま、「繊細」を看板にできるものだろうか。
私だって、ちょっとした音が気になるし、人混みが辛い。誰かが怒れば自分が言われているように委縮するし、自分の時間が全くないと疲れがとれない。でも、それがどうしたの。
普通とかいう誰かが勝手に決めたカテゴライズに、自分から縛られに行く。生きやすい道を選べる自由は、誰にだってあるのに。私からすれば、そんなものは単なる個性の範疇だった。
個性を自分の弱みとしてアピールすることは、昔からしたくなかった。もしそれをしたことで、多くの人を集められたとしても。たとえその結果、自分に投げられる言葉がどれほどやさしくて甘いものでも。そんなものは自分をだめにするだけだと思っていた。
さっきのコミュニティの人が、昔しんどかったのは本当だろう。実際に繊細かどうかはともかく、自分を繊細だと感じていることは事実に違いない。
でも、過去に辛いことがあったとして。その傷を説明するたび、もう一回そこを触ることになる。本当に繊細なら、あんまり何度も人前でめくって見せるだろうか。
そんな人ほど、それを看板にしないと思う。
苦しいけど、自分の力で立っていたい。言い訳にも、看板にもしたくない。繊細な人の中にも、そう思える人だって大勢いるはずだ。
* * *
こんなコミュニティは、世の中にごまんとあった。
「理想を押し付けられてはいけない。」
「あなたは自分で考えることができる。」
「私は、そんなあなたをサポートできる。」
そんな耳心地のいい言葉が並ぶ。人助けも、お金儲けも悪くない。価値を感じた人がお金を払う仕組みだって、当然あってしかるべきものだ。
「思想」を語る教師の下で、お金を払い、その人の考えを学ぶことを選ぶ人がいる。
でも人によっては、一度足を踏み入れてしまうと、当然その人の「正しいわけでも、理想でもない」という思想に徐々に染まり始める。
弱い人ほど、「この人の言っていること、全部正しい」にすり変わるかもしれない。
それが怖くないのか、と私は思う。
「いやいや自分は、絶対に揺さぶられない」。
そう言う人も、いると思う。
でも揺さぶられないような「確固たる自分」を持っている人は、そもそも最初から、自分の頭で考える。自分の足を地面に付けて立つ。そんな人は、端からそんな教師に教えを請わない。
だって相手は、長年議論されて結論の出た公式を教えているのではない。世界最先端の専門的知識を有しているわけでもない。査読付き学術論文を何十本書いているわけでもない。
「数十年生きてきた結果、自分はこう思う」を共有しているだけだ。
でも、「自分はこう思う」は、私だってあなただって、誰だって同じように持っているはずじゃないのか。
私は思う。
人は弱いから。簡単に相手に染まってしまうから。入り込めば普通に飲まれてしまうから。だからこそ、周りのすべてを疑って疑って疑った結果、そこにいる残った自分を進んだ方がずっといい。
誰かに言われて、選択肢を提示されて、「そういえばそれが正解かも」ってなった自分が、本当の自分かどうか。そんなの、一体誰が確かめるの。
「自分探し」を、他人にやらせてどうすんの。
もちろん、簡単に見つかる答えがあるなら、それもいい。
でも、どこかに属することを決めたとき、失うのは「数百円のお金」だけじゃない。
それよりもずっと、大事なものだ。
一度対価を払ってしまえば、その人の言葉を聞くとき、自分の中で小さな辻褄合わせが始まる。
せっかく払ったんだから。せっかくここまで来たんだから。この人の話を聞くって決めたんだから。
そうやって少しずつ。もともと持っていた、自分だけの違和感のほうを疑うようになる。
それでも、何かを失ったとは思わない。
自分で選んだのだから。
それはあとから、正しいものとして上書きされるんだ。
* * *
私はきらきらしたカードにずっと、憧れがあった。買い集めたりはしなかったけど、興味はあったし好きだった。
あれから何年経っても、私はずっと、弱いままだ。だけど、世の中に触れて、自分の中で解像度が上がった部分もある。
何が怖い、どうして弱い。どこが怖い、どんなふうに弱い。
そうやって考えて歩いて、ときどき流されて、弱いまま生きてきた。欲しいカードに触れられないまま。
でも。
「近づくと、飲まれてしまう」。そう思っていた幼いころの自分と決別して、弱い自分を受け入れたまま……ちょっぴり強い自分を手に入れられたとき。
本当の本当に一生好きなままでいられる、一枚のカードを、ショップで買って。
部屋に飾るくらいだったら、いつかはできるかもしれない。