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半透明の空【創作】

    財布野紐ゆるみ

    朝焼けの岩棚残る水たまり
    半透明の空を返して

    大曽根 大地

    * * *

    ぱちぱちぱち。

    拍手が鳴ったが、音はまばらだった。拍手を受けるべき生徒がこの場にいないのだから、無理もない。僕は音にあわせてまばたきをする遊びに興じていた。

    先生がその朝礼で言った。

    「大曽根さん、今日お休みだから……橘さん、悪いけど届けてくれる?」

    僕は眠気にひっぱられないことに意識を向けていたので、返事が遅れた。

    「おうち、近所だったわよね。」
    「わかりました。」

    大曽根くん。その呼び名にはまだ慣れない。一応、男子たちからのあだ名は、そねっち。そねっちってなんか変だ。

    仲が悪いということはない。男子の多くは友達という認識があったし、この五年二組にはいじめのようなものもなかった。大曽根くんは、熱血かクールかで言えば、クール寄り。

    クラスの中心からは外れてはいないけれど、年中半袖半パンの僕らのグループの遊びに、積極的には入ってこない子だった。

    あの家、中見せてもらえたりするのかなあ。

    大曽根くんの家は、去年引っ越しをした。引っ越し先の家がご近所で、「大曽根」という表札の文字がなんだか厳めしかったのを思い出していた。

    * * *

    休み時間、教室のみんなは口々に言った。

    「すごいよね。」
    「優秀賞だって~。」
    「新聞にも載るんじゃない?」

    そんなふうに。

    僕は大曽根くんの、賞を取った短歌を学級だよりで見た。確かに、難しくて目を引く短歌だった気がする。

    でも、そのくらいの感想だった。

    先月の国語の時間だったかな。授業で、短歌をみんなで書いた。提出された中で良さそうなのを先生が選んで、市の募集していた公募に出したのだ。

    そうすると、大曽根くんのが一番に選ばれたってわけ。

    僕のやつや、僕のイチ押しのキー坊のは選ばれなかった。

    * * *

    大曽根くんの家は大きかった。門をくぐると、駐車場みたいなところにはバスケットのゴールまであった。

    車がたまに通る道だけど、今は家の前の通りは静かだ。僕は、賞状の入った筒と、プリントの入ったファイルをなんとなく確かめた。

    呼び鈴を鳴らすとき、指が少しだけ震える。押してからピンポンの音が鳴るまで、ちょっとだけ間があった気がした。

    二階から、誰かが降りてくる足音が聞こえる。顔の見えない誰かの音は、なんだか違う世界のもののように感じる。

    がちゃり、と確かめるように少しだけ開いた扉から、いつもの大曽根くんの顔が覗く。

    「よっ。」

    見覚えのある顔に、いつもの挨拶を投げる。心配したけれど、風邪とかではなく元気そうだ。

    「おう。まあ、上がってって。」

    言われるがまま、お邪魔する。大曽根くんが出てきたということは、たぶん家の人はいないんだろう。あたりを見渡すまでもなく、生活の音はない。

    そばにあったおしゃれなコート掛けも、つやつやした玄関の床も。橘家にはない文化だった。うちよりも高い天井へ、思わず手を伸ばしたくなる。

    階段を上がり、二階の部屋で腰を落ち着けるまで、ここに来た用事をつい忘れてしまっていた。

    「そうだ、これ。」

    賞状を渡す。黒い筒の中にある賞状に、なんて書かれているのかはちょっとだけ気になった。もらうこと自体に大きな意味があって、中に書いてある文字列なんてだいたいどの賞状でも同じだということは知っている。

    でも、それを本当の意味で受け取る権利は、授与された者にしかない。算数のテストで、30点を書き換えて80点にしても、意味がないのと同じ。

    「ありがと。わざわざ悪かったな。」

    黒い筒は、持つべき者のもとへ渡った。

    そして、そのまま。

    ぽい。

    近くにあった、蓋のない箱の中へ。

    「え?」

    勘違いかな、と思って、覗き込んだ。でも、その中にはちり紙やお菓子の空の包装紙が入っている。やっぱり……ごみ箱だ。

    「いらないから。」

    僕の言葉を待たずに、大曽根くんからはそんな言葉が返ってきた。

    数ある中から認められて、その結果贈られた中身は、見られることすらなかった。

    * * *

    麦茶の入ったコップが、空になる。手についた水滴をズボンでぬぐって、僕は手提げかばんに手をかけた。

    腰を上げようとして、ゲーム機が目に入る。丁寧に、箱にしまわれていた。

    「あ、ゲーム持ってんだ?」
    「うん。」

    その箱の開閉部分は外装が少し剥げていて、完全な新品には見えない。毎回遊ぶたびに、片づけて箱の中にしまっているということだ。うちでは、ゲーム機は毎日出しっぱなし。お母さんにも、とうとう何も言われなくなった。

    「やる?」

    僕の視線に気づいたのか、彼は言った。特に、断る理由がなかった。やっぱり、今日は風邪でお休みしていたわけではないようだ。

    キャラクターのたくさん出る、対戦格闘ゲーム。僕は指の皮がごつくなるくらいにはやり込んでいて、お父さん相手でもそうそう負けない。

    「ずる! 今の反則!」
    「ガード中の硬直は説明書に書いてるよ。」
    「そんなの読まないでしょ。」

    僕の方がほんの少し強い。でも毎回ギリギリだ。コンピュータ相手と、対人戦では、緊張感も熱の入り方も全然違う。

    どちらが勝っても負けても、自然と次の対戦画面に進んだ。お互い、もう一回、の言葉は必要なかった。

    隣を見る。僕に負けると、悔しそうにのけぞる大曽根くん。でも、そのときの表情の方が、さっきの賞状を捨てたときのものよりもずっと身近に感じられた。

    どこか生活感のない家で、ここだけ。人の体温が熱気になって渦巻いていた。

    * * *

    「遅くなっちゃった、ごめん。」

    長居するつもりなんてなかったのに、日が沈みかかっていた。地面が濡れている。遊ぶのに夢中で、雨が降ったことにさえ、気づかなかった。

    僕は「大曽根」と書かれた表札の前で、振り返って聞く。

    「なんで、賞状捨てたの?」

    僕の顔を見る表情が、少しだけ無機質なものに戻る。

    「ただの、紙だから。」
    「でも賞状だよ? そねっちの短歌がよかったって。」

    大曽根くんは、顔をしかめて言った。

    「……辞書に書いてあるそれっぽい言葉を、適当に並べただけだよ。思い入れなんて、なんもないし。」

    その意味は、よくわからない。大曽根の表札を、ちらっと見る。彼がここに越してくる前。僕は大曽根くんのことを「そねっち」とは呼んでいなかった。

    去年、彼は名字が変わった。前は苗字が「和田」だったから、「和田っち」があだ名だった。みんなもそう呼んでいたし、僕も同じ。

    「みんなの書いたの、見ただろ。俺は橘のも悪くないと思ったけど。」

    きょとんとした。僕の書いたやつ。読んでくれてたのか。なんか、うまいこと書こうとして、でもうまくいかなくて。でも先生には「発想が面白いね」ってコメントもらえた短歌。

    セミは鳴く
    命短しとセミは泣く
    今年も去年も来年も

    橘 葵

    「セミ、喋ってるじゃんって思って。」

    大曽根くんは、笑顔だった。認められて賞をとった子に褒められて、なんとなく背中がこそばゆくなった。

    「僕は……キー坊のとか、わりといいと思ったな。」

    一年に三百六十来るという
    この大波に俺は乗ってる

    北口 宗汰


    「ああ! キー坊のな、あれ俺もなんか好き。」

    大曽根くんは、自分のものよりも、他の子の書いたものの話をするときの方が、ずっと同学年っぽい表情をした。ゲームのときと同じように。

    「じゃあな。」
    「じゃ。明日は学校来なよ。」
    「ああ。」

    帰り道、僕は手提げに入ってしわくちゃになっていた学級だよりを引っ張り出した。そこに書いてある大曽根くんの短歌をもう一度、読み返す。

    やっぱり難しい、と思った。でも、なんとなくきれいだとも思う。

    あたりはまだほのかに明るい。水たまりが夕焼けの空を映している。ちょうど、歩く途中で光り、きらきらとした中を歩くみたいになった。

    短歌の中に書いてある「半透明の空」って、こういうことだったのかな。

    いや。やっぱり違うかもしれない。僕は、学級だよりをもう一度手提げの中に押し込み、光の道を駆けて家に向かった。


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