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命の回数【創作】

    財布野紐ゆるみ

    受け入れ先分野長の先生との面談は、終始和やかなムードだった。高校、大学とまったく違う畑の研究に身を投じていた僕を、その先生は好意的に受け入れてくれた。

    はじめて訪れる、情報系の研究室。ヒトゲノムのシミュレーションを行っていて、大きな居室には数多くの無機質なモニターが計算結果のログを表示していた。

    ここで僕は、やりたかったことができるのだろうか。

    大学院の学務課から修士課程試験の合格通知の知らせがあったあとも、僕はそんな漠然とした不安を抱えていた。

    * * *

    もともとは、獣医を目指していた。

    中学のころに、飼っていたペットの犬の「死」に触れたこと。そのときに連れて行った動物病院の匂い。目の当たりにした、先生の手際のよい処置。

    動物が好きという根幹はあった。命を救いたいという倫理がそれを支えた。目指すことは、熱血というよりも「当たり前の選択」に近かった。

    見かけた、獣医学部のパンフレット。

    この道に進めば、何者かになれる気がしていた。

    * * *

    本格的なマウス実験に関わったのは、大学に入ってからだった。

    手順。倫理審査。麻酔に、安楽死。周囲は、淡々とこなしているように見えた。

    普段の仲間との雑談からもわかる。僕だけが特別に優しいわけではない。ただ、僕の身体は拒否した。

    「必要な犠牲だ」と理解はできる。

    でも、手が止まる。

    より多くの命を、今後救うため。より大きな問題を解決するためにも、実験をしなければならないとわかっている。いや、わかっていたはずだったのに。

    * * *

    学部四年間をなんとか終えた。

    向いていないから逃げたと思われるのが嫌だった、というのはある。けれど、ここでしか得られない体験と、刺激はあった。

    理解しようとして耐える中で、身についた技術と感覚は、無駄ではなかったと考えている。

    僕は大学院出願のタイミングで、研究テーマを変え、専攻を変えた。

    「命を扱わない」分野へだ。

    周囲の友人からはいろいろな声があった。「合理的な判断だ」という色も、「向いてたのに」という色もあった。

    唯一、実家の家族、とりわけ理解を示してくれたのは母だった。

    あのとき亡くなった犬。激しく苦しんで息をするところを見てショックを受け、震えたまま動けなかったとき。僕の手を握ってくれて、病院に一緒に連れて行ってくれたことを思い出す。

    結局あの子は、安楽死になった。

    どうにもならない病態だった。

    それを告げた医者にも、それを受け入れた母にも、腹を立てるのはお門違いだった。

    残ったのはやるせなさだった。

    それと同時に、ほっとした自分自身が取り残されていた。

    僕はあのときから変わらず、すぐに逃げる臆病者だった。

    * * *

    次の居場所では、黒い画面がいつも僕を苛んだ。

    研究室を変えたあと、最初に渡されたのは、白衣ではなくサーバの接続先情報だった。

    この研究室に、生物の気配はない。人はたくさんいるのに、おかしな話だと思う。

    生物系の「手を動かす空気」と、情報系の「環境構築で一日終わる空気」の差も大きかった。その景色の違いを見せつけるようにそこにあるのが、先ほどの黒いターミナル画面だ。

    画面に打ち込む文字列を、何度も見返した。

    Permission denied.

    意味はわかるのに、理由がわからなかった。

    接続手順の確認。接続鍵の権限の確認。

    接続できたら、次はサーバ内ファイルを閲覧する方法。ファイルをサーバ内で更新する手順。

    ジョブスケジューラの使用方法。適切なスクリプトの作成と実行。

    隣の席の学生は、コーヒーを飲みながら平然と何枚ものログを眺めている。彼らはマウスの保定も知らない代わりに、エラーへの心構えも違った。頭を抱えながらも、なお前向きに立ち向かっていく。

    最初の数ヶ月。僕は毎日、自分が場違いな場所にいる気がしていた。

    * * *

    季節が何度か、移り変わった。

    打ち合わせを重ね、試行錯誤を繰り返し、情報系の研究が進む。ヒトゲノムのモデルが精緻になっていく。

    研究室の仲間とも打ち解け、中身のある議論ができる機会も増えてきた。

    執筆中の博士課程論文の文脈で、「これによってマウス実験の回数を減らせる」という希望の言葉が出てくる。指導教員との執筆の過程で、入れたいと強く主張した文言だった。

    ここで、ようやくだった。

    初めて、過去と現在が線でつながるような感覚。しかし、実感は湧かない。

    目の前にある命であれば、どうしたっていつも熱量に満ちていた。それは常に、僕らの心に訴えかけるなにかを持っている。

    しかし、データ上の数値はどうだろう。技術的な理解や、業界を通しての理解は深まってきた。しかし。

    ここでは、飼育ラックの匂いもしない。機械とモニタがあり、格納された情報だけが自分の見つめ合うべき相手だった。

    これまで触れてきた、命の手触りは、ここになかった。

    * * *

    実験ログの異常値には、背筋が自然と伸びた。

    「このデータの裏に動物がいる」という感覚を、失いたくはなかった。結果の精度のチェックだけでなく、「何匹分の実験か」というフィルターを通して見るようにつとめた。同タイミングで入学した学生が「データ数」と呼ぶものを、僕だけは「命の回数」として見た。

    「追加でn数を増やしましょうか。」

    共同研究のミーティングで、誰かが言った。画面には、「ただの数字」が並んでいる。他の学生にとっては、統計的な不足でしかないのだろう。

    けれど僕の頭に浮かんだのは、統計ではなかった。

    ケージを持ち上げたときの、想像より軽い重さ。麻酔導入後、呼吸確認のために胸郭へ触れた感触。

    必要サンプルを取った後、未使用個体をどうするか。倫理委員会への報告で並ぶ、「使用数」「処分数」という数字。

    そして、自身の命を他者によって掌中に収められている、その事実すら悟っていない瞳。

    画面の向こうにある「追加」が、どういう作業なのかを、僕だけは知っていた。

    * * *

    僕は獣医になれなかった。自分から、その道から降りたからだ。

    命に触れる覚悟から、目を背けたからだ。

    この仕事は、何を減らしているのか。

    「救った」と言うには、少し景色が遠すぎる。

    けれど「消費されなかった命」は確かにある。僕から、命の感触は薄れていた。けれど、その代わりに見えるものも、少しずつ増えていた。

    今日も計算が回っている。

    離れたキャンパスのサーバ室を、実際に見学させてもらう機会があった。実物を前にすることで、実感できることもある。ここで、僕の計算が、研究が動いている。

    使いこなすのに苦労したGPU搭載サーバ。メモリの食いすぎで他のユーザに迷惑をかけたことも数知れない。数日回した計算が一行のエラーで消える失態に、地団太を踏んだこともあった。

    サーバ背面からのファンの音と排熱から、機械ながら感じられる温度。それに、どこか胸がほどける感覚があった。

    * * *

    静かな、生物の匂いが遠い部屋で。それでもログは、ただ積み上がっていく。

    査読対応を終えた論文は、すでにアクセプトされていた。あとは公開を待つだけだった。

    博士論文公聴会のスライド修正をしながら、何度も結果図を見返す。

    「実験条件探索を自動化するAIエージェント系」。

    それが、博士課程最後の数年間で僕が向き合ってきたテーマだった。数年前の自分なら、その一文に救いを求めたのかもしれない。

    修士で飛び込んだ頃には読めもしなかったログを、今では毎日のように眺めている。

    僕の実験で、どこかでマウスが一匹、使われずに済むかもしれない。しかしそれは、慰めにもならないし、誇れるとも思わない。

    自分が何者になったのかは、まだわからないままだ。

    手元のPCのファンの音が響いている。その音とは似ても似つかないはずなのに、滑車を回るマウスの姿を思い出していた。


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