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彼岸花と私【創作】

    財布野紐ゆるみ

    街を歩いていたら、ふと視界の隅に鮮やかな赤が飛び込んできた。
    彼岸花──曼珠沙華とも呼ばれ、別名がいくつもあるその花は、いつもどこか儚げで、でも凛とした強さを持っているように見えた。

    彼岸花には、各地方で派生した違った呼び名がいくつもあるらしい。
    死人花、幽霊花、灯籠花……。そして赤い曼珠沙華。
    どれも彼岸花だけど、どれが「本当の彼岸花」かなんて誰も知らない。

    私も同じだった。
    周りや社会の期待に応えて、その通りに役割を演じるだけ。

    朝のミーティングでは笑顔を作り、上司へは期待に応えて頑張っているフリをする。お局の嫌味はそつなくかわし、特に親しくなりたくもない同僚と無難に会話をする。

    仮面をつけているかのような重々しさがあった。
    本当に思っていること、言いたいことはどこか置き去りのまま。

    「自分らしい自分」って一体どういうものだっただろう。
    あるいは、それは最初から存在していなかったのかもしれない。

    幼い頃、母が「これは彼岸花よ」と教えてくれた。
    でも大人になってからは、名前さえも気にかけなくなっていた。あの時は、ただの赤い花だった。今は、その花がまるで自分を映す鏡のように思える。

    さっき、その赤い花の名前を思い出すのに、少し時間がかかった。日々の雑踏に押し流され、心の隙間がどんどんなくなっていくのを感じていた。

    ──それでも。

    その彼岸花の赤は、私を一瞬立ち止まらせた。

    名前がいくつあっても、変わっても、彼岸花は彼岸花だ。
    私もまた、変わり続ける呼び名や役割の中で揺れることがあっても、
    私のままでいいのだと、少しだけ思えた。

    翌朝、私は職場に向かう途中、小さな花屋に立ち寄った。
    いつもは素通りしていたが、今日は違う。
    店には鮮やかな赤いサルビアが並んでおり、私は迷わずその鉢を一つ選んで購入した。

    デスクの端に小さめのビニール鉢のサルビアをそっと置く。仮面の重さに押し潰されそうな時、この花を見て、自分を思い出せるように。

    今日からはもう少し、心に余裕を持とう。街の小さな花の名前にも、ちゃんと気づける自分でいよう。


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