
鍵を回す夜【創作】
薬を飲むことは、私にとって鍵を回すことだ。
過剰に締め付けられてきたものが、少しだけゆるまる感覚。
警戒のレベルが、ひとつだけ落ちる。
自分ひとりでは越えられない境界に、外部の力を借りて触れる感覚。何かに似ている気もするが、うまく言葉にならない。
薬を飲んだ夜を書くか。それとも、飲まなくてすんだ夜を書くか。どちらにしても、この話で言えることはたいして変わらない気がする。飲むことを決めたら、あとは薬を乗せた手のひらが、勝手に視界を覆うだけ。
次の日に残るだるい眠気。それが薬の作用なのか副作用なのか。わからないのが、憎たらしい。
もう飲まないと決めて、また飲んでしまうのも。「明日これがあるから」、「どうしてもしないといけないから」と理由を並べて、自分を追い込んでしまうのも嫌いだ。
飲んで眠れた私。飲まずに眠れなかった私。
飲んだのに眠れなかった私。飲まなかったのに眠れた私。
どれが本当の私で、どれが嘘の私なのか、もうわからない。
どちらに転んでも、朝になれば私は這うようにして体を起こす。カーテンを開けるために手を伸ばす。それだけのことにも、どこからか私を引っ張る力が邪魔をする。「起きてるよ」と返事するのすら、億劫だ。
うまくいかなかった二択のことを、時々思い出す。
あれは何だっただろう。あの日の承諾か。いつかの拒絶か。
あのときの恋愛か。それとも、どこかへの旅行だったか。
薬を飲むと決めた瞬間、私はいつも同じ感覚に陥る。
鍵を手に入れたような感覚だ。
ああ、これで未来が開く。これで明日へ続く世界に行ける。
けれど、その先に道があるのか、また同じ暗闇が広がっているのかは、鍵を回してみるまで一度もわかったことがない。
空想の世界にいる私は、無数にあるもやの中の扉に、いくつもの鍵穴を見る。これかなと直感で選ぶと、右手から応えるように、重くてひんやりとした鍵の触覚が伝わってくる。
これは、毎夜のギャンブルだった。
魂を少し削って、不健康な賭けをする。少しでも、心と身体が休まる方へ。
それがたとえ、ほんのほんの少しでも。
「こんなもの飲まないと、眠れないの?」
学校の友人が言った。その口調は、たぶん心配からくるものだった。
でも、その顔は見なくても、私には笑っているように思えた。どの私がそう感じたのかはわからないけれど。
──ガチャリ。
次の瞬間、私は教室の椅子に座っていた。
重い空気の中、控えめに周囲へ視線を泳がせる。時計の針は試験終了五分前を指していた。答案用紙は真っ白。このときは私も、白い顔をしていたと思う。
ずいぶん前から、私の心と身体は切り離されていたのかもしれない。それぞれ別の場所で、別の生活を送っているみたいに。
家に帰ると、自分の部屋には、敷きっぱなしの布団がある。
ベッドは昔壊れたきり、新しいものは買っていない。フローリングに布団を敷いて寝ると背が伸びる、と誰かが言っていた。
私はまだ、百五十五センチをあきらめたくはなかった。
今夜もギャンブルをする。
鍵を手に取る。
今度こそ。
今度こそ、明るい道のある場所に出るために。
明日へ続く世界に出るために。