
彗星が空に浮かんでいた日
今から十数年前、夕空には当時新しく発見された彗星が輝いていました。
彗星の名前は忘れましたが、彗星特有の尾を伸ばし、小さく輝きながら数日浮かんだように見えていました。
その彗星が見えていた頃、5歳になる次男との帰り道のこと。
夕空が地平線近くに下がり、紫色の夕闇が広がり始めた空に彗星が見えていました。
その空に見えていた彗星を指差しながら、次男に向かって
「ほら、あそこに彗星が見えとる。」
「えぇ、、、 あれっ」?
次男が指差します。
「そう、尾っぽが伸びてるやつ、ほかの星と違うやろ」
「あれが彗星?」
次男が私の方を見上げながらこたえます。
「そう、あの星は遠くから来とるけん、今だけ見えるんよ。」
次男は多少興味を持ったのか、しばらくじっと見つめていました。
「遠くの空から飛んできて、太陽のそばまで来るんよ。でもまたすぐ帰っていくけん、もうすぐ見れんようになるんやけどね。」
彗星を見つめる次男に、
「あれは小さいけど、ずっと昔、ハレー彗星ていう違う彗星が来た時は、もっと大きく見えてて、空の半分以上に尾っぽが伸びてたんよ。」
彗星といえばハレー彗星、
子供の頃、宇宙に興味があった私は多少の知識を持ち合わせていました。
ハレー彗星に関しても前々回太陽に近づいた時は、長い尾が空の半分以上にかかるほどで、それはそれは壮大な姿だったそうです。
そういう状態で見えていたらしいので、前回(1986年)太陽に近づいたときは大いに期待していたのですが、残念ながら全くの期待外れに終わってしまいました。
76年周期のハレー彗星は、今度は2061年にやってきます。
続けて次男に話します。
「でも、ちょっと前に来たときは、全然大きく見れんかったねぇ、」
「でもまた戻ってくるけん、そのときにはすごい大きな彗星が見れるかもしれんよ。」
次男にそう伝えると、
「じゃあ、そのときはお父さんとお母さんと一緒にまた見れると?」
そう返事する次男に向かって、軽く笑いながら
「そうね、そうなったら嬉しいけど、その頃はもうお父さんもお母さんも死んでしまって、おらんよ(いないよ)」
「じゃあ、兄ちゃんとあかね(妹)と一緒に見ると?」
その微笑ましく純粋な言葉に、3人並んで星空を見上げる姿を想像し、少し笑みが溢れると同時に少し切なさも感じました。
「そうね、そうしてたら嬉しいけどね」
今もその当時も、親としてはいつまでも兄弟仲良くいて欲しいと願っています。
今もときどき思い出す、小さな思い出です。
ずっと前に何かで読んだ言葉に、
「どんなに幸せだった人生でも、死ぬ間際に誰もそばにいなかったら不幸な人生だったと思う。」
「また、どんなに不幸だった人生でも、愛する人たちに看取られて死んでゆけば幸せな人生だったと思える。」
というのがありました。
私の人生も長くなり、ちらほらと身内や知人の訃報が届くようになりました。
若い時に何気なく知ったこの言葉も、たまに思い返して意識する歳になりました。
人生には波があり、幸せな人生だったかどうかの答えは最後に出るのでしょう。
この先いつの日か私の人生が終わる日、夜空に新しく発見された彗星が浮かんでいて、
葬儀の後に、3人の兄弟が揃って夜空に浮かぶ彗星を見上げていたら、それはそれでいい人生だったと思えそうです。
それがハレー彗星じゃなかったとしても。