
【エッセイ】何も実績のない私の、たった一つのお守り
小学校。ひんやりとした体育館に、マイクの反響音が響き渡る。
「それでは表彰を始めます。名前を呼ばれた方は起立してください。」
表彰の時間。私は、もしかしたら呼ばれないだろうかと考えてそわそわとした。
体育座りの体勢から、スッと立てるように、足を崩せる準備をする。表彰される心当たりなど、何もないと言うのに。
県大会で優勝したとか、書道のコンテストで最優秀賞を得たとか、「受賞」というものにあこがれる。だって、何かを成し遂げたことが形になるって、かっこいい。
そうして憧れたまま、大学生活最後の年になってしまった。
卒業研究や就活で手一杯で、私は「受賞」という経験がないまま、学生生活を終えることが確定したのだ。
私は、スポーツができるわけでも、芸術の才能がある訳でもない。
就活のために自己分析をしていくと、実績のなさが可視化されて辛いばかりだった。
みんなは履歴書に、「県大会出場」とか「コンクール入賞」とか書くのでしょう。ずるい!私なんて「毎日起床を実行した」しか書けないというのに。
そんな何もない私が、せめて自分を保つためにすがったのは、「真面目に生きる」ということだけだった。
バカ真面目、と言えるほど立派な志がある訳ではない。
しかし、「自分がダメだと思うこと」はしっかり守ってきたつもりだ。
学生生活でいうなら、授業中のスマホなんてもってのほかだと思っている。
授業に集中すべきだし、スマホを触るなんて「話を聞いていません」の意志表示だ。
にもかかわらず、周りではスマホを触っているクラスメイトであふれていた。信じられなかった。最初は注意していた先生も、キリがないため見て見ぬふりをするようになっていた。
そんな中、「絶対触らないぞ」と、確固たる意志で貫いた。私だけでも、真面目に授業を聞くんだと。
そう思いながら、私は授業中に寝てしまう学生だった。
勉強が苦手でまったく集中できないし、頑張って起きていても気づけば意識がなくなってしまう。
先生に「寝るなよ~昨日何時に寝たんや(笑)」と茶化された時は、
「22時です」と答え、「夜更かしじゃないんかい」と、若干困らせてしまった。ごめんね。
真面目なだけで、要領はすこぶる悪いようなのだ。特に勉強は、私のストレスランキング3位以内に入ってくる強者である。
集中も理解もまったくできない。問1ですらつまづいて、ページは進まないのに、時計の針はどんどん進む。
あまりのストレスに、全く見ることはないであろう、教科書の最後のページを開き、5cmほどピリッと破ってみたこともあったが、それで発散できるはずもなかった。
それでも、授業は絶対サボらないし、なるべく背筋を伸ばして教授の話を聞いていた。
理解していない癖に、あかべこのようにうんうんと頷き、当てられそうになれば亀のごとく首を引っ込める。
真面目なんだか不真面目なんだかよくわからないが、「自分なりに真面目に生きる」ということだけは、大切にしてきたつもりだ。
なにせ、それしか、自分を肯定できる材料がないから。
不器用で要領の悪い私は、「真面目でいること」でしか、自分の存在価値を見出せなかった。
「真面目な奴は損をする」だなんて言論には耳をふさいで、何の実績もつくれないまま。それでも、なんとか無事に卒業できることになった。
勉強が大の苦手な私が、ついに卒業。大げさではなく、これは奇跡だと思う。
結局、「卒業」以外に成し遂げられたことなどないが、仕方ない。
私は私の出来る範囲で、頑張ったのだから。それでいいのだ。
ある日、担任の教授からチャットが来た。
コロナ禍の影響により、Teamsというアプリ内で、教授とのやり取りをしていたのだが、担任からの連絡は珍しい。
「はて、なんだろう」
私の大学には学級担任がいる。
非常にサバサバとした性格で、はっきり言って苦手だった。
自分のクラスに「テストの点数が高ければえらいと思ったら、大間違いですからね」と言い放った時は、かなりビビった覚えがある。
その教授が担当している授業はかなり難しく、必修科目を除いて、すべて受講しなかった。
正直興味のある分野だったのだが、あまりの勉強の出来なさに「真面目に授業を受けろよ……」と思われてしまう気がしたからだ。
つまり、滅多に関わりがない。すれ違う時に「おはようございます」というくらいだ。
不思議に思いながらチャットを開くと、こんなメッセージが書いていた。
「もしよければ、卒業式の記念品の受け取りを、お願いできませんか?」
当時のスクリーンショットがないので、もう少し違う文章だったとは思うのだが、概ねこの内容。
えっと、な、なに、なにゆえ?
本当に理解ができていない。どうして私?
...…状況は理解できないが、こういうのに憧れは、ある。
受賞経験とは少し違うが、間違いなく「大勢の中から選ばれた」という実績。今までに、一度も経験してこなかったもの。
人生最後の学生という立場。これから一生ない経験。ちょっとくらい調子に乗ってもいいんじゃないか。そう思い、おそるおそる返信した。
「もし、ほかに受けたいという方がいなければ、私なんかで良ければ、お受けさせていただければと思います。」
たどたどしい文章。とりあえずアピールは控えて、一応受ける方向で返信した。
ふぅ……と一息つきながら、いろいろな考えが頭をよぎる。
私はただのすべり止めで、他に適任がいるんじゃないか。
ふたを開けてみたら、「もしこの人が休んだらお願い」とかなんじゃないか。
というか、この文章の稚拙さを見て、「こいつで大丈夫か?」と思われるんじゃないか。
そんなことを思っていると、チャットが返ってきた。
「あなたはとても真面目に取り組んでいるので、『私なんか』ということはないですよ。十分な資格があると思います。」
…
うそ、うそだ。
だって、ほとんど関わりもないのに。
なんで?どこで、なにをみて?
テストだって、点数は悪いし、決して褒められた成績でも、ないのに?
本当に訳がわからない。
どうしてそう判断したのか、何にもわからない。けど、
口元が嬉しさで緩み切っていることだけは分かった。
「自分の行いは、誰かが見てくれている」
それは、モチベーションを保つためであったり、自分を鼓舞するための気休めでしかない。
そう思っていたのに、まさか自分に訪れるなんて。
身近な友人ならまだわかるが、関わりの少ない教授から言ってもらえるなんて、思ってもみなかった。
最終的に、私は誰に自慢するわけでもなく、ひっそりと卒業式のリハーサルに参加した。そして、本番でも無事名前を呼ばれた。
スっと立てるように少し崩していた足を使い、檀上へ登る。そして、記念品を受け取った。
さも当然のように、クールに、ギクシャクとした動きでこなした。
卒業式を終え、誰に何を言われるわけでもなかったけれど、私はこの経験が、人生の大切なお守りになった。
社会人になった今でも、私は変わらず不器用で、要領が悪くて、不真面目なのにうまく立ち回る人を見ては、自分が嫌になる時がある。
「真面目に生きるのなんてばからしいのかな」
そんなことがよぎった時に、決まってあの日のチャットを思い出すのだ。
履歴書に書けるような分かりやすい結果や、立派な賞状なんて何一つない。
でも、私がただ自分を保つために守り抜いた、滑稽で不器用な真面目さを、ちゃんと見てくれた大人がいた。
その事実のおかげで、私はこれからも、私の信じる「真面目」を貫いていけるような気がする。
世の中には、私と同じように、要領よく生きられなくて、真面目過ぎる自分が嫌になって、それでも不真面目にはなれないような人が、きっとたくさんいる。
だからせめて、そんな人たちの真面目さを、心の底から肯定できる人間でありたいと思う。