メインコンテンツへスキップ
見出し画像

「膨らみすぎた風船と、欲しかった病名」

    ガラガラと新婚夫婦が車に缶を付けて走る「あれ」でもあるまいし、なんで担架の音ってこんなにうるさいんだ。

    「何やってんだ私」
    担架で運ばれる私は、一体なにをやってるんだという恥ずかしさと、これで休める、という安堵が胸の中でせめぎ合っていた。
    吐き気のせいで仰向けで寝れないのか。
    いや、これは恥ずかしくて上を向けないだけだ。
    顔を隠して横向きにうずくまる。

    「え、あさひさんどうしたん?」
    同僚の声が聞こえるが、見てわかるだろ!察してくれ!!と心で叫ぶ。
    耳障りなガラガラという音とともに私の神経はすり減っていき、
    町中を引きずり回される罪人のような気持ちになった。
    しかし、この病院の照明は白すぎないか?といらんことを考えるうちに担架のまま診察室に入る。

    「んー、妊娠の可能性は?」

    「絶対、ないです」
    本当に体調が悪いのか?と疑われる速度で反応する。
    なんで、こんな質問には反射神経を発揮するんだ。
    そうか、これが脊髄反射か。

    「妊娠の可能性もないことだし、
    原因はわからないけど、点滴しとく?」
    原因不明の四文字熟語が私の頭蓋骨にヒビを入れる。
    受けてもいない衝撃に頭がくらりと揺れた気がした。

    「え、先生、こんなに気持ち悪いのに?」

    「な、なにか病名はつかないんですか?」
    と口を突いてでる。声は震えている。担架でガラガラ揺られたせいだ、と思いたい。

    「うん、わからん。顔色は悪いけどね。」
    顔もろくに見ずにキーボードを打ち込む医者。
    きっぱりと言い放ち、今度はマウスをカチカチ鳴らしている。もう話すことはないとでも言うように、そばにいた看護師に処方箋を渡す。

    「じゃ、点滴するから処置室いってね、お大事に」
    冷徹な医者は終ぞ、私の顔をちゃんとみることはなかったが、私は診察室を出るまで未練がましい視線を背中に突き刺していた。

    処置室では、不思議と仰向けに寝られた。
    まな板の上の鯉状態だ。思考が高速で走り回るから、息切れして勝手に口がぱくぱくしている。
    震える指先は嫌に冷たく、ここでやっと消毒液の匂いが鼻を突いた。
    原因がわからないこの吐き気は、気のせいってこと?
    今日の業務放棄できてラッキー!とか思ってたのに。
    ああ、原因不明!
    明日から同じ部署のみんなに「ネガティブのせいで休む人」って思われながら仕事をするの?
    体はこんなにも悲鳴をあげて吐き気まで催しているのに!
    病名という名の印籠が取り上げられて、自分の吐き気が正統ではないと突き付けられた絶望感。
    ベッドの上にいるはずなのに、逃げられないようにじわじわ追い詰められている気持ちになる。
    実際には点滴のために上腕を縛り上げているだけなのだが。

    「はい、じゃあ針差すねー」
    顔見知りの看護師さんは最低限の声掛けしかしてこない。お陰で私の内側で暴れる気持ちをなだめることもできず、まな板の上に仕事をしたくない成人女性が横たわる図が完成してしまった。

    なんだ、この気持ちは。

    確実に今日は休む!という大義名分が手に入ったぞ!やったー!って手放しで喜んでる。
    いやいや、原因もわからない吐き気で、担架で運ばれて点滴までされて大げさなんじゃない?
    明日からどんな顔して出勤する?突きつけられた現実に背中の冷汗が止まらなかった。
    二時間の間、答えの出ない自問自答を繰り返していた。
    剥げそうなくらい真っ白になった私は、処置室からフラフラと歩いて出て、長椅子にめり込むように座って会計を待つ。
    受付の周りには、外来で通院している顔見知りの患者さんやその家族もいる。なんと言う針の筵。制服を着て長椅子に座っているのはあまりに不自然で、周りの風景から浮いている。何があったのか視線や気配で伺いはするものの、誰も話しかけてこない。
    触れられないけど、注目されている。この状況がより吐き気を増幅させた。

    チリッと私を焦がしながら普段のスタッフルームの雰囲気がよぎる。
    耐えきれずに前屈みになり、首を垂れる。マスクで顔半分は隠れているのだが、とにかく隠したかった。罪人みたいだ、と自嘲する。
    疲れた。誰にも否定されない理由で職務放棄できて、
    ゆっくり二時間横になっていたのに、それなのに盛大に疲れた。
    今度は長椅子の背もたれに体を預けて上を向く。細く、長めに息を吐く。

    あぁ、吐きそう………な気がする。

    チカチカッ

    視線の先で点滅する蛍光灯をぼんやりと眺める。

    ーいや、違う。自分で「吐きそうだ」と演出してるんじゃないか?

    パチンッ

    頭上の蛍光灯が弾けて体が跳ねた。
    深い眠りに入る前の、一段だけ落ちた時のようなガタンッとする感覚がした。誰かに見られていたら、と耳が熱くなるがやっぱり誰も話しかけてはこなかった。

    もともと、こんなきらいはあった。
    やりたくないことが迫ってきているとき、不安が強いときに体に症状が出る。
    始まりは、小学校のマラソン大会だった。
    私の友人は、喘息を抱えていたにも関わらず、並走していた健康な私を置いて颯爽とゴールしてみせた。なんてことない小さな裏切り。それ以降、マラソン大会の記録がままならないのはこの吐き気と咳のせいだ、と自分を呪いはじめた。
    そして、わかりやすいのが数学のテストの日。問題用紙を見るだけで吐き気がした。吐き気と闘いながら朦朧としていないと、理解力の低さと言う現実が目の前に見えて辛かった。
    そう、「病は気から」の悪用を繰り返してきた。
    できないこと、やりたくない現実から逃げるために自分を貶めてきた。
    嫌な授業がある日、行きたくないと強く思えばお腹が痛くなり微熱も出た。
    母は「あ、こいつ行きたくないだけだな」と分かってはいたが、休ませてくれた。
    明日は行けよ、と一言を添えて。
    その一言は、私の逃げを正当化してくれている気持ちになった。母に許されている安心感からか、次の日にはむしろ進んで学校にいけた。

    ストレス、そう言ってしまえばまだ聞こえはいいのだろうか。我慢をして、一番逃げたいときに吐き気は襲ってきた。
    だから、自分には逃げ癖がついているんだ、と思っていた。気の持ちようで、何とかできるはずのことをちゃんとできない私。この妙な成功体験を積んだ「病は気から精神」を持ったまま大人になってしまった。


    「あさひさんさ、休み方をもう少し考えてほしいんだけど」
    ガランとしたリハ室でカルテを入力していると、
    委員会から帰ってきた課長が静かに話しかけてきた。

    「え?」
    パソコンから顔をあげると、視線をずらして気まずそうな課長がいた。

    「体調が悪くなることはあると思うけど、その後のフォローとか、個人がチームに対してもっと配慮できることがあると思うんよな」
    カッと全身が燃え上がるように熱くなった。
    課長に悟られないように視線を固定する。

    「体調管理も、仕事のうちだからさ」
    課長の声は、静かなリハ室にしみ込んでいきそうなくらい優しかった。
    諭されている、そう思うと恥ずかしかった。
    必死でわがままを押し通そうとしている、と思われていることが、だ。
    コントロールのできない体調不良を管理してほしいと言われたことが、雲をつかむように不確かなことで混乱した。

    「病む体を引きずってでも出勤しろということですか?」
    と危うく飛び出しそうになる言葉をなんとか飲み込む。

    「すい、ませんでした。気をつけます」
    飲み込んだあとに絞り出した言葉は、プリンターの稼働音にかき消えそうなくらいか細かった。

    「………うん、じゃあお疲れ様」
    リハ室を出る課長の背中を見ながら、途方に暮れる。どうやったらいいんだろう?考えるが、答えは出ない。

    冷静になると、月一で体調不良は異常だと思う。
    どんなに優しい言葉をかけられても、誰にも分かってもらえない、どうしたらいいのかもわからない、と嘆くだけで欠勤は続いていた。
    今となっては、私の存在はリハ室にとって異質だったのかもしれない、と思えるようになった。
    辞めさせる、という課長側の裏ミッションがあったのだとしたら、かなり成果があったと思う。
    今の私なら、笑顔で課長に拍手を送れる。

    毎年変わる配属先に「なんで私ばっかり!」
    と被害者面を決め込んでいたが、全然違った。
    どこに行っても体調不良が続くから、腫れ物に触るように次の病棟へ押しつけられていただけなのだ。
    大人たちが気を揉んで絞り出した「優しさの部署異動」。大人に囲まれていた私は存分に甘えて、自意識を風船のようにパンパンに醜く肥大させていった。

    「居なくなって、きっとみんなほっとしてる」そう自虐することでしか、あの頃、必死で踏ん張っていたつもりで空回っていた私の背中を撫でてやれない気がする。
    自分でも説明できない体調を、相談すれば誰かわかってくれたんだろうか。

    「本当にこれでいいのか?」と悩みながら目の前の患者さんに正面から向き合い続ける覚悟が、あの時私の手からはすでに抜け落ちていた。
    張りつめすぎたパンパンな風船は、割れもせず空気が抜けきった後成す術もなく、しわしわになる。

    私の心は元に戻らなかった。

    「勉強をずっと続けれないと、セラピストはできんよ」
    なぜ、今、理学療法士の叔父の言葉がリフレインするのか。
    目をそらしたから、頭に直接訴えかけてきたのか。
    私は作業療法士には向いていなかった。
    そうやって白旗を振って、傷つくことからやっぱり逃げたのだ。

    「ははっ…なんてね」
    書くことを仕事にしたい。リビングで食後のコーヒーを飲んでいる時に切り出してみた。

    「やってみたらいいんじゃない?」
    夫は私よりもずっと軽やかに返事する。

    「好きだから、なんとかなって欲しいな」
    マグカップを指でなぞりながら自分の心を撫で付ける感覚になる。そう、これはただの私のやんわりとした希望。
    やり切れるのか、なにをやり切ったと言っていいのかもわからない、踏み込んだことのない世界。
    不安が一滴、波を立てると風船がやんわりと膨らみ始める。

    「まぁ、失敗しても、やめてもいいよ」
    顔を見ると、ニンマリと笑う夫の顔がある。
    人の気も知らないで、と毒づきそうになるがコーヒーで流し込む。

    「ありがとう、一行書いてみる」
    空気の入りきらない風船は、寂しげだったが
    しばらくはそのままでいい、そう思う。


     
     
    元作業療法士の生き物好きライター。 サカナ専門メディア「サカナト」で執筆しながら、 メダカやイモリとの暮らし、子育て、日常のあれこれをエッセイにしています。 読んだあとに少し笑えて、ちょっと元気になれる文章を目指しています。

    あなたへのおすすめ