
『深夜の言い訳』第14話「回送電車」
僕には母がいる。残念だけど、『いた』がこの世界では正しいのかも知れない……
僕は昔から母が大好きだった。父が厳しかった分、母に甘える事が多かった。僕の幼少時代は、気弱で、人見知りで、泣き虫。
そんな僕を見て母は
『大丈夫?』
じゃなく
『誰に似たんだろうね?』
と首を傾げていた。
僕の母は東京生まれの下町育ち。一にお祭り二にお祭り。美空ひばりの
『お祭りマンボ』
の世界観そのもの。とにかくパワフルな人だった。
僕が唯一、
「面白さではこの人には勝てない」
と思うのは、松本人志ではなく母かも知れない。
僕は子供の頃、
『なんで人は死んで、生きるのか?』
みたいな事をよく考える子供だった。ある日の夕方、スーパーで買い物を済ませた母の自転車の後ろに座りゆらゆらと揺られていた。空を見上げると満月だ。
しばらく満月を見上げてるとずっと追いかけて来る。僕はそれが不思議に感じて母に
「なんで月って追いかけてくるの?」
と子供心に尋ねた。
すると
『知らない!自分で考えなさい』
僕のイマジン生活はスーパーの帰り道から始まったのだった。
あれは家族旅行で行った佐渡ヶ島。まだ小学生だった僕は父がチョイスする家族旅行の場所の渋さがわからなかった。
長い洞窟を観光していると、母が急に
『オシッコしたい』
と言い出した。
周りにはちらほらと観光客がいる。カメラを首から掲げた父は
『我慢できないのか?』
と詰め寄る。しかし母は
『無理!』
と突っぱねる。
僕が飲みかけで持っていた
『午後の紅茶』
の缶を見つめて、
『まだ入ってるの?』
と母が聞いてくる。
「入ってるけど……」
と言うと、
『早く飲んじゃって!』
父が
『何するんだ?』
と母に聞くと、
『午後の紅茶の中にオシッコする!』
と言い出した。
家族全員が
「えっ!?」
ってなる。
僕は午後の紅茶を一気飲みして、母に渡すと
『あー漏れちゃう、漏れちゃう』
と言いながら、すでにお尻半分出して洞窟の奥へと消えていった。空き缶にホールインワンしたようだった。数分後、午後の紅茶の缶を片手に戻ってきた母の満面の笑みは一生忘れない。
またある時、親戚が亡くなった。父が運転する車中で
『挨拶はちゃんとしなさいよ。チンチンするのよ!』
と母にきつく言われ、
「わかってるよ~」
と応え、母の教え通りお葬式をそつなくこなして、再び車で家に帰ると父が玄関先で
『おい、何だよコレ!』
と声がした。
僕と姉が
「なんだ?」
覗き混むと、
玄関に塩は塩でも『味の素』が置いてあった。
母は
『塩切らしてたのよ~』
父は
『お前だからって、味の素はないだろう……』
それに呆れたのか、猫のミーだけがペロペロと味の素を舐めていた。
そんな天然なのか、狙ってるのかわからない母は結婚何年目かの春、父を亡くした。一時は泣いてたものの、すぐに立ち直り生命保険会社で働き出した。僕と姉を育てようと必死になってくれた。
唯一女である姉は、母の気持ちがわかるのか、母を心配していたが、母は保険会社で結果を出して、イヤ、出しすぎてしまい周りから妬まれるくらいに稼ぎに稼ぎまくった。
アメリカンドリームは聞いたことあるが、『千代田生命ドリーム』はなかなか聞かない。2000年に経営破綻した千代田生命を僕は母のせいだと未だに思っている。
その稼ぎ出したお金で母は入れ歯を作るために歯医者に通い出した。母は基本歯を磨かない。ずっと歯磨きガムをクチャクチャ噛んでいて、ある時僕が
「なんでいつもガム噛んでるの?」
と聞くと
『歯を磨いてるの』
と言う。
僕は意味がわからなくて
「どういうこと?」
と再度尋ねると
『お前もうるさいな!これ歯磨きガムだろ?噛んでりゃ歯を磨いた事になるだろーが』
僕の
「イヤ、ならないよ!」
の突っ込みも虚しく、母は40代にして見事に全ての歯を失ってしまったのである。
ある日、歯医者に行ったはずの母から家に電話が掛かってきた。たまたま学校から帰っていた僕が電話を取る。
「はい、もしもし」
『塗料!』
母の怒鳴り声する。僕は何を言ってるのかわからずに
「なに?」
と聞き返す。
『だから塗料塗られたんだよ!』
「塗料!?」
全く意味がわからない。すると続けて
『冷蔵庫見て!ソースある!?』
僕は電話を置いて、冷蔵庫の中を確かめる。ソースがあった。
「あったよ!」
と伝えた瞬間電話は切れた。
帰ってきた母の口元を見るとくしゃっと凹んでいる。母は台所に向かい入れ歯にブルドックソースをかけた。
僕が
「なにしてるの!」
と言うと、
『あのヤブ歯医者、騙しやがったな!』
どうやら入れ歯を装着する際に塗られた液がペンキの塗料のように強烈に臭かったらしい。
でもだからって、何故ソースをかけたのかは未だに謎だ。入れ歯をヤキソバと勘違いでもしたのだろうか?あれは母の究極のボケだったんだろうか?
そんな母は学生時代から国語が苦手だったらしい。僕が家で宿題の作文を楽しんで書いていると、
『あんたバカなくせして作文は書けるんだね~』
とよく言われていた。普通なら
『ちょっとー』
とか言うんだろうけど、僕も僕でアホだから
「うん!」
と元気に返していた。そして僕と姉を女手一つで育て上げてくれた母は、姿形もてっきりおばあさんになっていた。
しかし70代に突入しても、自虐ネタを噛ましては笑わしてくれた。母がポロリと呟く。
『あたし無人島行ったら、ワカメしか食べられないわ……』
歯がないだけでこんなにボケられるのかと感心していたら、
『アフリカ行ったら狩り出来ないわ。食いついても歯がないから逃げられちゃう……』
食べているお菓子を、ボリボリ落としながら言うその姿には、妙に説得力があった。
2023年の夏。
母がお尻の穴が痛いと言い出した。ポラギノールを塗っても良くならず、大きい病院に行った。
『大腸ガン』
だった。
しかもステージ4の末期ガン。
母の本当の気持ちはわからないが、
『ガンになっちゃった!』
と気丈に振る舞っていた。即入院した母を心配して夜携帯に電話すると、
『夜の病院の庭って綺麗だわ……』
と、どこか寂しそうな声で囁いた。手術をし、1ヶ月半くらいで退院した。僕は母の担当医から呼び出され、
『持っても3ヶ月』
と言われていた。
僕は悔いのない3ヶ月を母と過ごそうと、母が二度目の入院となる病室で手紙を渡した。母に手紙を書くのはこの時が初めてだった。
母の負担になるだろうと、
短く、
『生まれ変わっても、また貴方の子でありたい。』
と綴った。
母は声を絞りだすように、
『よくできました~』
と初めて僕の文章を褒めてくれた。
結局それが最後の母の言葉となった。
悲しいけど悲しくなんかない。
僕らはまたいつか逢えるのだから。
母さん……もう少しで夜が明けそうだよ。