
双月の森 【第45話】
王都オルセンディルへ戻ると、俺たちは国を救った英雄として迎えられた。
正直そこまでの道中は覚えていない。気づくと王都の石畳を踏んでいた。
眩い光に満ちた王宮へと集まった無数の民衆たちの前で、テラスからオルドウィンは語った。
「今日、ここに五十人の英雄が集うはずであった。姿が見えぬ十人の友よ、卿らの魂は今玉座の隣にある。生き残った者たちよ、卿らが生きている限り、彼らもまた共にある。この国が続く限り、我らリナリスの民は五十人の名を呼び続けるであろう」
周りでは盛大な拍手が起こっている。誰もが笑顔を浮かべて、訪れた平和を喜ぶ。夜空に沢山の花火が上がった。
拍手、声、花火の音。響き渡る音の中、自分だけが浮いている気がした。
俺は無感情なまま花火の明かりに照らされて、ただ集まった人間を眺めていた。
ふと見下ろした民衆の中に、ベルンの顔があった。
ベルンは歓声の中で俺の姿を見つけ、笑顔で手を振ってきた。
しかし、俺の隣にアリスの姿がないことに気づいた瞬間、全てを察したように顔を歪めて大粒の涙を流していた。
そこにいないと告げられた『十人』に、アリスの名前は入っていた。
──もう、会えない。
そして祝宴、葬儀、叙勲式と、俺の意思とは無関係に目まぐるしく時間が過ぎていった。
戦いで命を落とした騎士たちも、この世界から消え去ったアリスも、王家の墓の側に埋葬されている。
埋葬の時、俺は『からっぽの棺』をオルドウィンと運んだ。オルドウィンは王として最大級の敬意と礼を尽くしてくれた。
……だが、虚しかった。誰もが黒い礼装で葬儀に参加する。消えたら死んだことと同じなんだと変に納得した。
俺やニーロやリィンは騎士の称号を与えられ、アリスは歴史にその名を永遠に刻む「救国聖者」として称えられていくのだという。
でもそれがなんだっていうんだろう?温度のない記号みたいなものなのに。
ニーロやセレーナ、リィンが何度も話しかけてきたが、何も返す気にならなかった。
みんな悲しそうに目を伏せて、肩に手を置くとそっと離れていく。
ニーロだけは何度も俺の元に来ては一人で話し、長い時間側に座っていた。
「オレ、一回故郷戻るけど、また必ず会いに行くからな!」
俺が森へ帰る日、ニーロもオルセンディルから去って行った。
アリスが残していった物は杖だけだった。
俺はそれを布で包み、森へ持って帰る。
かつて、あいつと共に歩んだ懐かしい街道を、今はただ一人で歩いていく。
俺はアミュレットを服の中から取り出して眺めてみる。
「これも持っていったんだな……」
ふと視線の先の夜空を見上げて、星座を結んだ。
『ふふ、ルシはほんとに星が好きなんだね』
本を読んでいるといつもそう言ってきた。
興味深そうに本を覗き込み、「これは?」と質問をしてくる。
それが嫌ではなかったし、時々リトを思い出して懐かしさを感じていた。
アリスは俺が何気なくあげた星図を持ち歩いていて、夜になると広げながら空を見上げていた。
教えてあげたい星の名前や物語が、まだまだたくさんあった。
森に戻ってからでいいと思っていたから、ほとんど教えてやらなかった。
出会った頃に、あんな寂しい星座しか教えなかったことが悔やまれる。
「…………ごめんな」
溢した呟きは、夜空に向かって吸い込まれるように消えていった。
──霧の森は何も変わることなく待っていた。
一歩足を踏み入れた瞬間、空気が清浄なものへ変わっていく。
真っ暗な森へ入っていくのは、これで二回目だなとぼんやり考える。
小屋までの道筋は身体が覚えていたから、明かりが無くても迷わなかった。
月明かりに青白く照らされる小屋が見えてきた時、窓の明かりが見えなかった。
なんとなく思ってはいたが、ヴォルマノスももういないのだろう。
キィと扉を開く。
古びた本と薬草の香りがする。
しんと静まった室内に、天窓から白い月明かりが射している。
「……ただいま」
返事はもちろんなかった。
俺は布を解き、アリスの杖をそっと窓際に立て掛けた。
そして、アリスのベッドにもたれて床に座り込む。
そのまま目を閉じて眠った。
翌朝目覚めたとき、テーブルに手紙があることに気づいた。
ヴォルマノスが、アリスと俺へそれぞれ宛てたものだった。
ゆっくりと、その手紙を開いた。
『お前たちが戻るころには役目を終え、わしはいないじゃろう』
手紙は美しい筆跡で、そう始まっていた。
アリスを神から託されたことや、アリスがどう成長していったかなど、細かく記してあった。
『この小屋へお前が戻るとき、ひとりでないことを祈っておる。お前たちは互いがいないと生きてはいけないだろう?ふたりでひとつの命を共有するように生きて行ってほしい。ルシ、アリスを頼む。』
そう締めくくられていた。
俺は封筒へ、丁寧に手紙をしまう。
それから、北の泉へ向かっていった。
木々の覆うけもの道をゆっくりと歩く。
差し込む陽射しが斑に道を照らしている。
視界が開けると、そこにはあの日と全く変わらない美しい泉があった……。
あの春、俺はここから歌うアリスを眺めていた。
その光景は息をするのを忘れるほど綺麗で、泣きたくなったのを覚えている。
さらさらと揺れる長い髪。白いワンピース。
華奢な腕。光と踊る姿が目に浮かぶ。
振り向いた瞬間の、あの瞳も。
自分とは遠い世界なのに、欲しくて、手を伸ばした。
俺は泉の側でしゃがみ、水へ指先を入れる。
音もなく、幾重にも波紋が広がっていく。
「アリス……」
どうして隣にいないんだろう。
一緒にいられたら、それだけでいいのに。
泉が呼応するように、淡い青色に光る。
さっと手を引く。
そして、泉を後にした……。
残った夏はゆっくりと去っていき、やがて秋が来た。
広葉樹の葉が色づいていく。
薪を割ることも、水を汲むことも、自分一人のためにしていると気が滅入る。
しかし、僅かに胸に残る期待で、森を去ることも出来ない。
空を見上げると、秋らしい澄み切った空が広がっている。
俺はぼんやりと空を眺めて一日を過ごす。
膝の上の本が風でぱらぱらと捲られていく。
小屋にあった本だった。
そこにはアリスの書き込みが多く残っていた。
撫でても何もないのに、温度を感じる気がして本を開く。
そして、気づくと冬がきた。
今日はどんよりと厚い雲がかかっている。
「また雪か……」
森には先日降った雪が残っていた。
サクサクと雪を踏んで森を抜けていく。
丘へ登り、辺りを見回す。
吐く息が白い。尾を引くように風に流されていく。
森も草原も、今は雪に覆われ真っ白だ。
前の冬、アリスと散歩に出たときを思い出す。
『ルシ、見ててください!』
両手で雪をすくって、青い空へ向かって放つ。
粉雪が光を反射しながら風に舞ってきれいだった。
こちらを見て笑った顔も覚えている。
鼻先と頬が少し赤くなっていて、はにかむような笑顔だった。
空から雪がはらはらと舞う。
一緒にいられたのは、一年半という短い期間だけだった。
なのに俺の記憶のほとんどをアリスが占めている。
「アリス」
雪が音を吸い込んでいく。
「会いたいよ」
静かだった。
マフラーに顔を埋める。
目を閉じて、ゆっくりと開く。
もちろんそこは変わらない雪景色で、また少し寂しさが募る。
寒い日は三人で暖炉の側で過ごした。
俺はひとり、小屋へと戻っていった。


本日もお疲れさまでした。
エピローグにあたるこの話をもって、第1部が終了となります。
第2部からはルシが主人公となってお話が続いていきます。
『双月の森/standalone』という、同一主人公たちの別のお話を入れつつ書いていきます。
今回のBGMはこちら。
今回アップされたものも雰囲気がとっても好きでした。
それではまたどこかで。