
生を感じすぎているから、死にたくなる
どこの街でも、河川敷は同じ景色をしている。
引っ越して生活が変わっても、ここだけは変わらないままでいてくれる。街がどれだけ入れ替わっても、この場所だけはどこか同じ顔をしている。
夜、酒を飲みすぎて終電を逃すと、私は決まってここに辿り着く。
世界はすでに寝静まっていて、遠くで車の音がかすかに聞こえてくる。川のせせらぎと、虫のさざめきだけが、途切れることなく続いている。
都会にいるはずなのに、この場所だけ少し空気が違う。
わずかに澄んだその空気が、乱れたままの思考をゆっくりと落ち着かせていく。
今日も話しすぎた。
酒の勢いと、その場のノリに任せて、必要以上に言葉を重ねてしまう。場を盛り上げるために、笑われる側に回って、空気を繋ぐ役を引き受ける。
たぶん、みんなを楽しませたいからだと思う。
でも、その場にいるのは本当の自分じゃない。
うまく振る舞うために作った「ピエロ」が、代わりにそこに立っている。
そのピエロが酔い潰れて、記憶も曖昧なまま歩き続けて、気づけばこの場所に辿り着いている。
河川敷に来る頃には、着飾った言葉も、無理に作った表情も、全部剥がれ落ちている。
残るのは、何も演じていない自分だけだ。
ここには誰もいない。
誰かが待っていて、迎えてくれる場所でもない。
みんなから嫌われるのが怖いのかもしれない。
誰かに必要とされなくなったとき、自分の中から生きる理由のようなものが消えてしまう気がする。
自分ひとりでは存在を保てないような、そんな感覚がある。
どこかで、自分は他者依存的にできているのだと思う。
誰かに求められて、誰かに認識されて、初めて「ここにいる」と言えるような不安定さ。
だからこそ、場に合わせて振る舞ってしまうし、必要とされる役を選んでしまう。
でも、その繰り返しの中で、本当の自分がどこにあるのか分からなくなっていく。
気づけば、もうとっくに見失っている。
どうしてこうなったのか、振り返るといくつかの分岐点がある。
特別やりたいことがあったわけでもないまま、社会に出た。
流れに乗るようにして働き始めて、そのまま何年かが過ぎた。
環境は悪くなかった。人にも恵まれていたと思う。このまま続けていくこともできたはずだった。
でも、どこかでずっと引っかかっていた。
このまま終わるのか、という感覚。
もっと違う何かがあるんじゃないかという、根拠のない焦りが消えなかった。
最初は、裏側を支えるような場所にいた。
表からは見えないところで、全体を回すような仕事だった。
それなりにやれていたけど、このままずっとここにいるのかと思うと、納得できなかった。
別の場所を求めて、環境を変えた。
でも、そこで突きつけられたのは、自分の積み上げのなさだった。
ある程度の責任を持つ立場になった頃、近くにいた人が突然いなくなった。
その人は仕事ができる人だった。
その人がいなくなったあと、自分がその役割を背負うことになった。
正直、何が起きていたのか、よく覚えていない。
ただ、回さなければいけない現実だけがあって、それに押し潰されそうになっていた。
自分には、その役割を支えるだけの力もなければ、そこで上に行こうという気持ちもなかった。
ただ流されているだけだった。
それは長く続かなかった。
結果として、その場所を離れることになった。
そのあと、何もできなくなった。
しばらくの間、時間だけが過ぎていった。
それでも最初のうちは、なんとか立て直そうとしていた。
新しい場所を探して、動いてみた。
でも、うまくいかなかった。
自分の中には、一つやりたいことがあった。
一度失敗した人間が、何度でもやり直せるような仕組みを作れないかと考えていた。
理屈の上では成立するように思えたし、社会にとっても意味があるように感じていた。
でも、それをそのまま外に出しても、現実は何も変わらなかった。
どこにも引っかからなかった。
そのうち、全部どうでもよくなった。
そこからは、何も考えずに時間を使った。
欲望のままに過ごして、それでもどこかで分かっていた。
このままじゃまずい、と。
そんなとき、たまたま別の場所に流れ着いた。
気づけば、そこに居続けている。
環境は変わった。
でも、自分の中の何かは、あまり変わっていない。
仕事を辞める決意をしたときのことを、今でも覚えている。
現実から切り離されたような時間を過ごしたあと、ふと戻ってきたとき、ぽっかりと穴が空いた。
また同じ日常に戻るのかと思った瞬間に、全部がどうでもよくなった。
気づいたら、薬を手に取っていた。
一瓶分の錠剤を、酒で流し込んだ。
一度では飲みきれなくて、何度かに分けて、無理やり喉に押し込んだ。
飲み終えた直後は、何も起きなかった。
でも、これから何が起こるのか、どこかで待っている自分がいた。
しばらくして、身体が熱を持ち始めた。
心臓の鼓動が、異様に速くなる。
内側から焼けるような感覚で、じっとしていられなかった。
気づけば家を飛び出していた。
向かったのは、いつもの河川敷だった。
落ち着かなくて、ただ歩き続けた。
何かから逃げるみたいに、同じ場所を何度も行き来した。
このまま壊れるんじゃないかと思った。
それでも歩き続けているうちに、少しずつ身体が重くなってきた。
戻らないといけないと思った。
家に戻って、吐き出さなきゃいけないと思った。
トイレに駆け込んで、指を喉に突っ込んだ。
でも、その瞬間、視界が止まった。
便器の中に、蛆虫がぐるぐると回っていた。
ありえない光景だった。
幻覚だった。
心臓の音が、さらに強くなる。
どくどくと、身体の内側から鳴り響く。
意識がぼやけていく。
そのとき、低い音が聞こえた。
どん、と。
もう一度、どん、と。
不自然な音だった。
でも、そのときの自分には、それが死神の足音のように聞こえた。
本当に、死ぬと思った。
その瞬間、はっきりとした感覚が戻ってきた。
やっぱり、生きたいと思った。
理由は分からない。ただ、そう思った。
気づけば、部屋のドアの鍵を開けていた。
誰かが来たときに、すぐ入れるように。
助けを求めたのかどうかも分からない。
ただ、そうしていた。
そのままソファに倒れ込んで、長い時間眠った。
目が覚めたときには、身体の異常は消えていた。
何もなかったみたいに、元に戻っていた。
でも一つだけ、はっきり残っていたものがある。
このままでは続けられないという感覚だけだった。
だから、生きづらくなると、いつも川沿いに行く。
特別な理由があるわけじゃない。ただ、気づいたらそこに向かっている。
そのまま寝そべって、空を見て、考えているようで、考えていない。
ここで終わらせることもできると分かっていながら、結局は飛び込まない。
そして、また歩き出す。
歩いているうちに、頭の中のものが少しずつ整理されていく。
身体が疲れてくると、今度は休みたくなる。
その感覚が戻ってくると、不思議と「生きる」ということを思い出す。
死にたいと思っていたはずなのに、気づけばもう少しだけ続けようとしている。
たぶん、死にたいという感情は、生を感じすぎている状態なんだと思う。
強く感じているからこそ、終わらせたくなる。
でも同時に、終わりを意識したとき、人はまた生きる方に引き戻される。
その繰り返しの中で、なんとかバランスを取っている。
結局、自分はどこまで行っても大きくは変わらない。
それでも、完全に止まるわけでもない。
死にたいと思いながら歩いて、
歩きながら生きることを思い出す。
それを何度も繰り返している。
今日もまた、同じように歩き出す。