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【日々】アイスやさんの2階


    なぜ大人になるとおままごとは楽しくなくなるのだろう。


    5才の娘は今、おままごと全盛期だ。
    保育園から家に帰るとダイニングの椅子や小さい机、おもちゃの箱などをリビングの真ん中に集結させて「お家」やら「お店」やらを作り始める。
    おもちゃもそのへんに散乱し放題だ。散らかす才能は申し分なかった。
    対して広くもないリビングの真ん中で繰り広げられるその光景は、仕事終わりの私の心をなかなかに消耗させる。

    娘はいつも私をおままごとに誘う。
    別の部屋で束の間の休憩をしていた私を「ママ〜2かいだてのあいすやさんできたよ〜!」と呼びに来た。
    2階建てのアイスやさんかあ。2階部分はどうやって作ったんだろ。


    「あー、うん、わかったよ」と、私はぎこちなく返事をした。娘に気づかれないように小さくため息をついて椅子から立ち上がる。
    夕飯を作らないといけないが、夫は今夜は飲み会でいない。時計を見ると針は午後4時半を指していた。適当なものを作ることにして、少しだけ一緒に遊ぶことにした。
    リビングに行くと、いつも通りの散乱した光景が目に映った。やはり、2階部分はどこなのかよく分からなかった。まずは娘がお店の人をやると言う。


    「いらっしゃいませ〜!あいすどうですか〜?」
    「アッジャアイチゴアイスクダサイ」


    絵に書いたような棒読みで言ってしまった。
    さすがにもう少しだけ気持ちを込めようと、一度だけゆっくりと強く瞬きをした。


    今度は私に店の人をやれと言う。


    「いらっしゃいませ〜」
    「いちごあいすください!」
    「ありがとうございます。◯◯円になります〜」
    「あれっ?おかねがない!ど〜しよ〜!」

    過剰気味のリアクションは、多分YouTubeで見た動画の中の話し方を真似ているのだろう。


    「すみません、お金がないと売れませんね〜」
    「そんなあ〜!」


    すると娘は、商品棚(?)に置いてあった星型の小さなボールを一つ手に取り、「あっ!スターがあった!これでかえる〜!」と言った。
    5才らしい無茶苦茶な論理だったが、私はもうめんどくさかったから「よかったです〜!こちらアイスです〜」と言った。

    「ママ、いっしょに2かいであいすたべよ!」と娘が言った。いいよ、と返した。
    しかし、2階がどこなのか分からない。

    「ね〜、2階のお部屋ってどこ?」
    「え〜?ここだよ〜!」

    娘は床に置いてある小さな紙箱の中を指差した。
    私は「あ〜ここかあ」と言った。






    小学6年生くらいまで、私はおままごとが大好きだった。本気でやっていた。
    放課後や休みの日、近所の友達2人と私の家で集まって遊んでいた。折りたたみ式の机を裏返して家に見立てて、そこに食玩や雑貨を置いていく。私と友達はいつも『となりのトトロ』の小さなぬいぐるみを分身として使っていた。それぞれの家を作り、お互いの家にも頻繁に遊びに行った。部屋の真ん中で、机や棚や布なんかを集めて組み合わせていくと、いつの間にか小さな街のようになっていた。


    気づけば私は大人になっていた。
    たまに屋内のこども向けの遊び場に行った時も、滑り台やアスレチックならまだいいが、おままごとコーナーに向かわれると心の中でため息が出た。
    そしてこの場合は遊ぶ億劫さに加えて、他所のこどもとのおもちゃの譲り合い(という名の取り合い)という要素が加わるから余計に気が休まらない。


    どうして私はおままごとがこんなに楽しくなくなったのだろう? 


    当然ながら、現実の食べ物は木製でもプラスチック製でもない。触ればベタつくし、臭いもする。切れば汁が出るし、焼けば焦げたりもする。
    私は娘が差し出してくれたおもちゃのアイスをプラスチックのスプーンで食べるふりをしながら、心の奥のほうで微かな怒りが湧いていることに気づいた。
    現実がこんなに綺麗なわけがないだろ、というほんの小さな怒り。時計をちらりと見ると午後5時半だった。外を見ると、雨が降っていた。
    そろそろ夕飯を早く作らないと、と思った瞬間、「今日は午後から雨が降る」という天気予報を見たにも関わらず、うっかり外に洗濯物を干してしまったことを思い出し、スプーンを動かしていた手が止まってしまった。
    「ちょっと待っててね」と娘に声をかけ、私は窓からベランダを覗いた。洗濯物は当然のようにびしょ濡れになってそこに佇んでいた。やり直すしかないだろう。
    もうコインランドリーにでも行こうか。
    おもちゃの洗濯機の中に放り込まれた洗濯物を、私は頭の中で思い浮かべた。シミも泥汚れも食べかすもついていない、ただの綺麗な布。



    こどもの頃の私とおままごとの間には、何も邪魔してくるものはなかった。
    今の私は、「おままごとをする」ではなく、「おままごとに付き合う」なのだ。



    だけど、ちゃんとやればちゃんと娘に伝わることも知っている。少し前に休日に屋内の遊び場に行った時のことだ。その時は私はなぜかいつもより心と体に余裕があったから、いつもより真面目におままごとをしてみることにした。
    おもちゃのキャベツ、にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、お豆、肉を手に取り、包丁でサクサク切る。鍋に水と食材を入れコンロにかける。コンソメもイメージの中でちゃんとひとかけら投げ入れた。そしでお玉でゆっくりかき混ぜた。そしてタイマーをかけ、煮込む。完成し、娘が用意した器にそっとよそっていった。
    私の様子を見ていた娘は、なんだかすごく嬉しそうにしていた。
    心を込めてやった時はちゃんと伝わることも知っている。その時の私は、おままごとをちゃんと「していた」のだ。トトロを動かしながら料理を夢中で作っていたあの頃の私が一瞬オーバーラップした。


    しかしいつもこんな風に遊べはしない。
    むしろ、こんな余裕などない日のほうが普通である。
    私の背後に迫る「今日の夕飯なににしよう」という憂鬱な問いをふいに自覚し、あの頃の私は通り過ぎて気づけばもとの世界に戻っていた。




    ごめんね。




    娘の様子をみると、ケラケラ笑いながらアイスをぬいぐるみたちに売り捌いていた。
    「2かいでたべられますからね〜!」と言った。
    あの日々の私は、もう手が届かないくらい遠いところから娘の隣にいる私を見ている。
    アイスやさんの「2階」は、結局どこにあるのだろう。
    私にはもう見えなくなってしまった。



     
     
    名前のない違和感、消えきらない記憶、日々の揺れを散文(エッセイ)や詩、小説として残しています。

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