
お母さんの麺つゆのレシピを、まだ聞いていないあなたへ。
今日は7月7日。七夕です。
1年に1度だけ、大切な人が巡り合う特別な日。そんな日の夕食にそうめんを茹でながら、私はふと、ある「味」のことを思い出しています。
それは、昔母が作ってくれた、手作りの麺つゆの味です。
鍋から湯気と一緒に立ち上る、豊かなだしの香り。
市販のつゆよりも、少しだけ甘め。
鰹節だけではなく、昆布としいたけからもじっくりと時間をかけて引かれたそのつゆは、まろやかで、どこかどっしりとした深いコクがありました。
白いそうめんにその琥珀色のつゆを絡めてすする瞬間は、私にとって最高のご馳走でした。それは母が家族のために、ひと手間もふた手間も惜しまずに作ってくれていた、愛情の証拠だったのだと今なら分かります。
「今のうちに、お母さんに麺つゆのレシピを習っておきなさい」
昔、父からそう言われたことがあります。
父はきっと分かっていたのだと思います。
形のない「我が家の味」が、どれほど貴重で、失われやすいものなのかを。
けれど、当時の私は「うん、また今度ね」と軽く聞き流してしまいました。
いつでも聞ける。お母さんはずっと元気で、あの甘いつゆはいつでもそこにある。
心のどこかで、そんな風に高を括っていたのです。
分かち合える時間は永遠ではないと、当時の私はわかっていませんでした。
「また今度」の時間は、静かに終わりへと向かっていました。
母も高齢になり、少しずつ記憶が曖昧になっていってしまったのです。
今となっては、あの麺つゆに何をどれくらい入れていたのか、もう母自身も思い出すことができません。あの黄金比のレシピは、どこにも書き残されていませんでした。
「ちゃんと、聞いておけばよかったな」
そう思っても、もう遅いのです。私はもう、あの味を二度と食べることはできません。
今日の我が家のそうめんは、市販のつゆです。
美味しいけれど、喉を通るとき、あの少し甘めの味を思い出して、どこか切なくて、ほろ苦い味がします。
私たちはいつも、大切なものは「ずっとそこにある」と錯覚してしまいます。
親が作ってくれた料理の味、何気ない生活の知恵、温かい言葉。そうした形のない大切なものは、私たちが気づかないうちに、指の隙間からこぼれ落ちるように消えていってしまうものです。
もし、あなたの心の中に、思い浮かぶ「あの人の、あの味」があるのなら。
まだそれを受け取れるチャンスが、あなたの手の中にあるのなら。
どうか「また今度」にしないで、今、聞いてみてください。
「これ、どうやって作るの?」って、その手を止めて尋ねてみてください。
失ってからではもう再現できない、世界に一つだけの無形文化財が、きっとどの家庭にもあるはずだから。
夕食の準備をしながら、もう二度と戻らないあの麺つゆの味と、父の言葉を噛み締める、そんな七夕の日です。