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新しい部屋で、ラジオを聴く

あの日の私は、ラジオを聞いていた。どの周波数に合わせれば受信できるのかも分からない、越して来たばかりの街の、小さなアパートの一室で。
振り向けば、ガムテープでしっかりと閉じられたダンボール箱が、積み重なったまま、ほったらかしになっていた。それは、そのまま、やらなければいけない仕事の数々をしめしていた。

それでも、私はまず、ラジオの電源を入れた。そうして、耳を澄ましながら、えんえんと続くノイズの中に、かすかに混じって聞こえてくる人の声、メロディ、そんなものを探っていた。

そんな作業が、私はずっと好きだった。

私の実家は農業を営んでいて、もともとセロリ、ほうれんそうなんかを作っていたのだけれど、そのうちに花に作替えをした。私は、花の選別をしたり、いらない葉っぱをむしって、丈をそろえて束にしたり、そういった作業を手伝っていた。

祖母や両親や、時には手伝いのおばさんたちと一緒に、もくもくと作業をしていた。作業はつらくなかったけれど、みんながみんな仕事に没頭して喋らないものだから、あまりにも静かすぎて気が滅入りそうになった。そんな時に、ラジオの電源を入れた。

農村の、それも山すそから広がる林と道ひとつ隔てただけの、畑ばかりの場所で、ラジオの電波もなかなか拾えなかった。でも、私はあきらめず、選局のダイヤルをじりじりと回しながら、やがて誰かの喋る声が聞こえるまで、音楽が流れてくるまで、粘り強く耳を澄ました。そうして、ノイズの隙間から、求めていた音が聞こえてくると、胸がときめいた。
そうやって拾った電波にノイズが入ろうが、まったく気にならなかった。静かすぎるより、よっぽどましだった。


大学進学とともに、農村を離れた。初めての引っ越しは、手伝いに来た両親とともに。その時、手元には音楽を聞けるものが何もなかった。だから、引っ越して、なんとなく落ち着いてきたころ、仕送りの中から何か音楽が聴けるものを買おうと思い立った。
それで、強引な勧誘員から、無理やりに契約させられた新聞の折り込み広告に、家電量販店のセールチラシが入っていたのを見て、電車で2駅ほどの街へCDラジカセを買いに行った。

音質にこだわりがある訳ではないから、もちろん、高いものを買う必要はない。私が選んだものは、数千円で買えるカシオの黒いCDラジカセだった。

2回目の引っ越しの時、たどりついた新しい部屋で、まず私はラジオを聞いた。どの局だったのかは覚えていない。でも、もっとも近いラジオ局はNack5だったから、あるいは、それだったかもしれない。それとも、J-WAVEだっただろうか。「エイティワンポイントスリー、ジェイウェ~ブ」という当時のジングルを、私はとても気に入っていたし、なんとなく東京にいるんだという気分を味わえたので。

大学1年の春に買ったカシオのCDラジカセから、ややこもったような人の声が聞こえてきて、私はほっとした。
軽快な語り口で喋りまくる人の声が、心をふっと軽くする。それから聞いたことのある歌が流れてくる。

(ここから、また新しい暮らしが始まる)と、思った。

アパートの周りを探検しなくちゃいけない。スーパーやドラッグストアを見つけておかなくちゃ。きっと、なんとかなる。
今になって思えば、不安を感じる余地もないように、自分の心を守るようにと、無意識に仕向けていたのかもしれない。
寂しさに打ち勝てるほど強くもなかったし、寂しさに打ち勝たなくちゃいけないと思うぐらいには若かったから。

アルバイトを始めると、お給料の中から、また新しいオーディオを買うことにした。池袋の大きな家電量販店のオーディオコーナーで、その頃はまだ勢いのよかった三洋電機のミニコンポを買った。CDが3枚、MDも3枚、それにカセットテープも使えるタイプのものだった。もちろん、ラジオも入る。


3回目の引っ越し先でも、ラジオを聞いた。そうして、また違う街での暮らしが始まるんだと心を決めた。

この年から、私は社会人になったのだった。暇さえあれば、同期や先輩社員と飲みに行き、少ない休日があっと言う間に終わってしまう暮らしの中で、少しずつ、自分の中に、うまく処理しきれないものをため込んでいった。眠れない夜には、音量をしぼってミッシェルガンエレファントのCDを聞いていた。

そんな日々の中で、ミニコンポは、まずカセットテープが使えなくなり、MDもだんだん調子が悪くなり、次に引っ越すときには、もう手放してしまった。


4回目の引っ越しの時、私は結婚していた。結婚相手の住むマンションで、私も生活をしようと決めて越してきたのだった。引っ越してきた日、もちろん、ラジオを聞こうとした。

しかし、ラジオの電波を拾うことができなかった。これまで、引っ越しのたびにおこなってきた儀式が、ここで途切れてしまうことは、悲しかったが仕方がなかった。環境が変わったのだ。

血液型がどれほど人格に影響をあたえるのかという問題。それは、科学的根拠にとぼしい話らしい。とは言え、O型の私は、当時もっとも相性が悪いとされていたAB型の男性と結婚することを選んだ。
俺はマイペースな男だからね、というようなことを彼は言っていた。たいしたことはないだろうと、私は、たかをくくった。

もしかしたら、ラジオの電波が入らなかったというのは、その後の生活の暗示だったのかもしれない。

結婚生活の中で、もちろん、面白いことも多々あった。しかし、同じ日本語を話していると思えないぐらいに、意思疎通が難しいこともあった。お互いに自分の主張を曲げなかった結果、ハードな持久戦にもつれ込んだこともある。私は自分が折れた分だけ、順調にストレスをためた。

ある休日のことだった。
「ラジオ、入るようになったで」
と、夫が晴れやかな声をあげた。

彼がいたのは、東向きの小さな部屋で、ほとんど物置のようになっていたところだ。私が引っ越してきた当時は、足の踏み場もないほどに物で溢れた、ゴミ屋敷ならぬゴミ部屋といった空間だった。時間を作っては部屋を片付け、足の踏み場を作って、夫がまた散らかしてということを数年間くりかえしてきた。

去年あたりだろうか。物置部屋の東向きの窓ぎわに、小さな折りたたみ式のテーブルを置いて、不可侵の私のためのスペースとした。テーブルの上には独身時代に私が買ったVictorの小さなスピーカーを設置した。ずっと大切に持ち続けていたアイポッド・クラシックをセットにして。

引っ越してきた当初、私がラジオを聞こうと試したのも、このスピーカーだった。FMアンテナがついていたのだ。でも、リビングでFMを受信することができず、それ以来、物置の隅に追いやられることになった。
というのも、リビングには、夫がセッティングした4.1チャンネルのオーディオシステムがあって、外部入力でアイポッドの中の曲を聴くこともできるためだ。バーチャルサラウンドの小型スピーカーには、出る幕もなくなってしまった。

しかし、私のための作業スペースを作った時、久しぶりにこのスピーカーの電源を入れた。純粋に、アイポッド用の充電スピーカーとしての仕事を担ってもらうために。

それなのに、ラジオは入った。

マイペースな私の夫が、頼んでもいないのに、ラジオの電波を拾える場所を見つけてくれたのだった。

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