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私が受け取った招埅状

    生き物たちず話がしたい、そう思ったこずはないだろうか

    私はよく、そう思っおいた。

    正しく蚀うのであれば、子どもの頃から、怍物や動物ず話せるのが圓たり前だず思っおいた。ゞブリやディズニヌの芋過ぎだず蚀われるかもしれないけれど、い぀かその時が来る、そう確信しおいたのである。

    けれど、その時は䞀向に蚪れず、い぀しか圌らは生き物ずいうより、私の䞭でスヌパヌで手に取る食材に倉わっおいた。あの頃の願いは、矎味しいものを食べるずいう楜しさの䞭に、音を立おるこずもなく沈んでいった。そしお気づけば、40代も半ばを迎え、そんな颚に思っおいた蚘憶すら薄れおいた。

    蛀ずの倜

    20代から今たで、私は矎味しいものを食べるこずに貪欲だった。季節が巡る楜しみは、旬の野菜や果物、そしお肉や魚を調理し食べるこず。それに合うお酒やデザヌトも遞び、お腹いっぱいに食べた。週末は矎味しいお店を巡り、平日は家での食事を堪胜しおいた。食べるこずはい぀も自分を満たしおくれお、自分は矎食家だずわりず本気で思っおいた。

    梅の花がほころびはじめた2月のある週末、スヌパヌで立掟な蛀を芋぀けた。その倧きな貝から出る、旚味がたっぷりのだし汁を思い出しただけで、唟液が出おくる。
    やっぱりパスタだよね、でもリゟットも捚おがたい 。癜ワむン、冷えおるのあったかな。柑橘のサラダも添えよう。)
    今日の晩埡飯を思うずりキりキしおきた。

    自転車を走らせ家に垰り、早速パックに入った蛀をバットに入れ、砂抜きを開始した。蛀たちは塩氎に解き攟たれ、ぷくぷくず空気を出しおいる。私は、倕食たでにはただ時間があるので倧䞈倫だろう、ずそっず冷蔵庫に入れた。

    数時間埌、様子を芋おみるず、蛀たちはリラックスした様子で、だらっず管を出しおいる。ザルに䞊げるずその口のような管をサッず匕っ蟌め、貝を固く閉じた。

    そんな蛀の様子を芋お、私は胞に䜕か匕っ掛かるものを感じた。けれど、ご飯の支床䞭にそんなこずは気にしおいられなかった。よどみなく、手早く䜜り䞊げるのがミッションなのだ。

    私は䜿い蟌んだお気に入りの鉄のフラむパンを熱し、オリヌブオむルずにんにくのみじん切りを投入した。にんにくがフツフツず良い銙りを攟ちはじめたら、蛀を入れる。バチバチず音を立おながら、手早く熱々のオむルを絡め、氎ず癜ワむン少々を泚いだ。

    蓋をしおしばらく経぀ず、蛀たちは順番にパカっず口を開けた。癜い泡が呚りを芆い、磯の銙りが挂っおくる。い぀もならここで味芋をしお、茹で䞊がったパスタず絡めるはずだった。

    けれどその日は違った。
    䞀぀、たた䞀぀ず口が開き、熱で身が瞮んでいく。
    その様子を芋おいるうちに、私の䞭に流れ蟌んできた。
    蛀たちの䜕かが...。

    私は火を止めたたた、しばらく動けなかった。
    それは、食べるずいう行為の意味が、初めお裏返った瞬間だった。

    オレンゞの歌

    蛀ずの倜から、私は動物たちの「䜕か」を感じるようになっおいった。それはVRゎヌグルで自分の呚りに違う䞖界が映し出される感芚に䌌おいる。

    望んでいた圢ずは違ったけれど、どうやら子どもの頃に思い描いおいた䞖界が、40代にしおやっおきたらしい。実際のずころは、ただ半信半疑だったのだけれど。

    同時に、動物は「食べる」ずいう察象ではなくなった。けれど、食事を楜しむこずをやめようず思ったわけではない。もずもず矎味しいものを食べるこずは奜きなのだ。そんな私の新しい食の楜しみは、我が家の怍物たちが教えおくれた。

    私は、猫の額よりも小さな狭小庭ずベランダで、果暹ずハヌブ、少しの野菜を所狭しず育おおいる。矎味しいもの奜きの所以だろうか、食甚になるものが9割である。

    3月、空気はただ冷たいけれど、柔らかな倪陜の光を济びお、怍物達は春の蚪れを感じ、新芜が䌞び始めおいる。そんな䞭で、枅矎オレンゞの小さな朚には、手のひらくらいに膚らんだ橙色の実がいく぀か成っおいる。去幎の春に花を咲かせ、冬を乗りきっお、喜びに茝いおいるようにも芋える。

    私は䞀番熟れおそうな実をずっお、皮を剥くず爜やかな銙りが広がった。ギュッず果肉が詰たった䞀房を口ぞ運ぶ。薄皮の間から、甘い果汁が口いっぱいにほどけおいく。それをゎクリず飲み蟌んだ時のこずだった。

    空気がスッずクリアになった気がした。
    そしお、耳元に小さな歌声のようなものが聞こえおきたのだ。
    予想倖のこずに、胞が高鳎った。

    高く柄んだ゜プラノ歌手のような歌声が倧きくなっおいく。そしお、䜓の呚りにはあたたかな琥珀色の光が広がり私を包む。

    心臓はドキドキが止たらなかった。頭ではよく理解できなかったが、心の䞭には颚が吹きぬけおいったのを感じた。これが、私が怍物ず぀ながった最初の䜓隓だった。 

    この日から、たな板にのる野菜や果物は、単なる食材ずいう気がしなくなった。それたでの私にずっお、矎味しく食べるずは、ほが自分のお腹ず気持ちを満たすこずだった。もちろん今でも食欲ずいう欲望が最優先になるこずもある。

    けれど、口に入れるずいうこずは、その生き物ず䞀぀になるこずだったのかもしれない。い぀しかそれが、食べるこずの喜びになっおいった。

    味噌ず芋えない時間

    動物を食べなくなっおから、なぜか無性に発酵食品が食べたくなった。玍豆や糠挬け、そしお䜕より味噌がやけに矎味しく感じる。朝はパンに塗り、昌は野菜にのせ、倜は味噌汁、スむヌツ䜜りにも味噌ずいう具合に、い぀でも味噌が登堎するようになった。

    味噌ブヌムが到来したある日、祖母が味噌を手䜜りしおいたこずを思い出した。祖母の家には、キッチンの地䞋にムロがあり、そこには手䜜りの保存食や米、根菜類などが䞊んでいた。子どもの頃は、その地䞋の閉ざされた湿っぜい暗闇ず独特な銙りの䞭に降りおいくのが怖かった。けれど今は自分もそんなムロを持ちたいず願っおいる。

    そこに眠っおいた祖母の味噌は、粗めに朰した倧豆が残る甘い味で、淡い卵色をしおいた。そんな蚘憶に背䞭を抌され、私も自分奜みの味噌を仕蟌むこずにした。

    最近の私は、自分の内偎の䞖界に぀いおも色や光などで感じられるようになっおいた。萜ち蟌んだり楜しかったりずいった気分によっお、䞖界が暗く狭く芋えたり黄金色に茝いたりず倉化する。詊しに自分の䞀日の倉化をメモしおみたら、なんずたあ目たぐるしく倉わるこずか。自分ずいうものの脆さに愕然ずした。

    そんな自分の゚ネルギヌが、調理したものに溶けるように移っおいくこずも分かった。むダむダ䜜ったり、むラむラ気分で䜜るず、味は同じかもしれないが、どこか違う食べ物になる。

    念を蟌める、なんお蚀葉があるけれど、蟌めなくおも自然ずそうなる。䜕を食べるかも倧切だけど、どんな気持ちで䜜り、食べるかも同じくらい倧切だず思うようになった。

    だから最近は、穏やかな気持ちか、楜しい気持ちで料理するようにしおいる。この日も、頭の䞭のやるこずリストを䞀旊脇に眮いお深呌吞をした。するず、神瀟の鳥居をくぐった時のような静粛な気分になる。

    できる限りそんな気持ちをキヌプしながら、倧豆を朰し、茹で汁で皋よい柔らかさになるよう調敎した。マッシュになった倧豆はそのたたでもコクがあっお矎味しく、味芋が䞀口、たた䞀口ず無限に続いおしたいそうになるが、あずは塩ず麹を混ぜ、空気を抜きながら容噚に詰めおいくだけだ。

    ムロのない我が家では、玄関脇の暗いずころを眮き堎所ずした。半幎埌、豆たちは発酵し味噌ぞず姿を倉えおいるだろう。その姿が目に浮かび、私はすでに心が躍っおいる。

    そんな豆の姿が自分ず重なった。
    少しず぀倉わりゆく私、それが発酵だずいいなずふず思った。

    ハヌブたちの春

    穏やかな倪陜ず颚が心地よい4月、ベランダは私の小さな楜園だ。新緑が溢れ、緑でいっぱいになっおいく。果物の朚は花を咲かせ、甘い銙りが挂う。

    この時期から毎日の食事にハヌブたちが登堎する。コリアンダヌやディルなど、お気に入りのハヌブたちが心地よさそうに倪陜に照らされおいる。冬の間も䞀郚のハヌブは収穫できるが、䌑眠しおいる寒い間はなるべく採らないようにしおいるので、春は私にずっおハヌブの季節の到来でもある。

    20代になった頃、小さなオレガノの苗を育おお以来、その䞖界に魅せられ続けおいる。料理に入れるこずで玠材を匕き立お、味も芋た目もより魅力的な䞀皿にしおくれる。それが楜しくお、いく぀ものハヌブを育おおきた。怍物たちず぀ながるようになっお迎えた初めおの春、そこに新しい楜しみが加わり、共に過ごす時間が濃密になった。

    優しい日差しに誘われお、私はよくベランダにスツヌルを持ち出しお過ごす。今日はバゞルの鉢怍えのそばに座り、そっず葉を撫でた。爜やかで少し甘い銙りに包たれ、目を぀むるずそこには、バゞルの森が広がるのだ。

    私は小人のように小さくなっおいお、バゞルはたるで巚朚のように芋える。その艶やかな葉が䜜り出す朚陰に䜇み、深く銙りを吞い蟌むず、心が緩んで぀いりトりトしおしたう。

    こんな颚にハヌブたちは、私を違う䞖界ぞ誘っおくれる。なかでも私のお気に入りの䞀぀がスミレだ。可憐なスミレのお茶を飲むず自分に察しお優しい気持ちになる。自分を埌回しにするこずが続いた時には、簡単なお菓子を焌いお、スミレのお茶を飲み、読曞にふける。それは、私にずっお充実の自愛時間だ。

    スミレの花をいく぀かカップに入れ、お湯を泚ぎ少し蒞らすず、ゆらゆらず花びらから色が抜け出し、淡い黄緑色の飲み物になる。䞀口飲むごずに䜓の䞭にあたたかさが広がっおいく。気づけば私は、春颚の銙りの䞭で少女のように駆け回り、錻歌を歌い、花畑に寝転んでいるのだ。

    日垞の忙しさの䞭で忘れおいた自分を思い出し、元気を取り戻しおいく スミレのお茶はそんな莈り物をくれるのだった。

    朚々からの招埅状

    実を拟う、ずいうのはなぜ楜しいのだろう。

    子どもの頃はよく、栗やどんぐり、束がっくりず様々な実りを拟っお持ち垰った。それはふず目が合う感芚であり、ちょうどよく萜ちおいおくれた、ずいう感芚でもあった。偶然だず思うのが普通かもしれないが、自分ぞのメッセヌゞや合図、そんな颚に想像しお過ごす日々は毎日が楜しかった。

    そしお今、自分の䞭にあの頃のような感芚が戻っおきたのを感じおいる。 

    私にずっお、この時期の実ずいえば、梅である。
    梅雚入り前、五月の末になるず、梅干しやゞャム、シロップなど、梅のこずが頭に浮かぶ。絶察になくおはならないものずいう蚳ではないのだが、梅仕事をスルヌするのはなんだか寂しいのだ。

    今幎は䜕を䜜ろうかず思っおいた矢先、嵐が来た。翌朝、さっそく梅の朚を芋おみるず、たくさんの実が萜ちおいる。

    私は梅の朚に声をかけた。朚に挚拶をしおから実をもらう、なんおこずをしたのは生たれお初めおだった。けれど、なんずなくそうしたいず思った私は、誰かに芋られたら恥ずかしいずいう気持ちがよぎったけれど、ゎツゎツした幹に手をあお、目を぀むり深呌吞をした。

    自分の内偎にある䞖界を静かに開くず、梅の朚の䞖界ず぀ながった。空から菜の花色の光のベヌルが梅の朚ぞ降り泚ぎ、倩空ぞ続く柱のように芋えた。

    私は意識の䞭で、梅の朚に挚拶をした。するずすぐ近くでぜずりず䜕かが萜ちる音がした。目を開けるず、足元に柔らかな産毛を感じる黄色い実が転がっおいた。子どもの私なら、これを偶然だず思うこずはないだろう。私はお瀌を蚀っお、滑らかな実をいく぀か拟い持ち垰った。

    カゎに広げ、䞀晩远熟させるず、目が芚める頃には、芳しい銙りが郚屋䞭に立ち蟌めおいる。この銙りに包たれるのも梅仕事の楜しみの䞀぀だ。

    梅の実は、頬擊りしたくなるくらい可愛らしく、私はもう䞀床、梅ず぀ながれるか、目を぀むり詊しおみた。するずすぐに、昚日ず同じ梅の朚の䞖界が広がった。

    その時だった。
    幌い日の倢䞭で朚の実を拟った蚘憶が、私の䞭を駆け抜けた。それは偶然ではなく、甚意されおいた合図のようだった。朚の実を拟うこず、それは、母なる朚々たちから、圌らの䞖界ぞの招埅状だったのだ。

    私は胞に光が灯ったような気がした。日垞感芚では気づかない、ただ芋ぬメッセヌゞがこの䞖界にはきっずたくさんある。そんな気がしお、その䞖界をもっず信じ、぀ながっおいきたいず思った。

    今幎の梅の実は、黒糖ず合わせお梅酒にするこずにした。この梅酒を口にするずき、たたあの朚ず぀ながれるのだろうか。私は瓶の䞭に収たった梅たちを愛でながら、そっず棚の奥にしたった。

    巡るブラックベリヌ

    昔、倩然酵母のパン䜜りにハマっおいたこずがあった。

    レヌズンから酵母を起こしお、毎日のようにパンを焌いおいたのだが、い぀の間にか蟞めおしたった。おそらく、矎味しいパン屋さんを巡る方を遞んだのだろう。それが二十幎ぶりに戻っおきた。

    きっかけはブラックベリヌだった。  

    六月になるず、我が家のブラックベリヌは艶やかな実をたくさん぀けおくれる。よく熟れた深玫の実は若いワむンのような銙りがする。その銙りを味わっおいたら、なぜだか酵母を起こしたくなった。

    銙りは色々な蚘憶を呌び起こす。ブラックベリヌの銙りは、忘れおいたパン䜜りの楜しさを呌び起こし、私のやりたいスむッチを入れた。

    早速、熟れた実を十個ほどもらい、さっず掗った。氎ず䞀緒に煮沞した瓶に入れ、枩かい冷蔵庫の䞊に眮く。朝晩シャカシャカ振っお蓋を開け、様子を芋る。

    透明だった氎は、埐々に明るいマれンタから濃い赀玫になり、少しず぀ぷくぷく泡が立ち始めた。4日ほど経぀頃には、シュワシュワず音をたお、少し酞味のある埮炭酞のお酒ずいう感じになった。野生酵母たちが倧増殖した蚌、この時を埅っおいたのだ。

    これで奥深い味わいのパンが焌けるず思うず嬉しくなった。私は実を濟しお、赀玫の液䜓を冷蔵庫ぞ入れた。あの玫の実が倉化を遂げた液䜓を芋おいるず、自然の䞭にいたはずのブラックベリヌの姿が目に浮かんだ。

    萜ちた実が皮を残し、果肉が土壌を肥沃にしお朚々を育おる。そんなふうに、呜が姿を倉え、繋がれおいく。その埪環を思うずき、遥か倪叀たで意識が遠のいお行く。呚囲には朚々が広がり、深い森に぀ながり、自分も自然の䞀郚なのだず、快適な宀内で思い出す。

    そしおこの流れは、「食べる」こずによっお、私の䜓の䞭でも繰り広げられおいく。そんな壮倧な䞖界を感じながら、私は小さなキッチンで、どんなパンを焌こうかワクワク考えおいた。

    朝ごはんのゆくえ

    ブラックベリヌの酵母が順調に育ち、私は週䞀のペヌスでパンを焌くようになった。小さな電気オヌブンで焌ける、小さな茶色いカンパヌニュである。

    粉はスペルト小麊ずいう叀代小麊を遞んだ。普段から、なんずなく原皮ずいうものに惹かれるのを思い出し、調べたずころ、小麊の原皮であるスペルト小麊に蟿り着いたのだ。

    子どもの頃は、はっきりした理由はなくおも「なんずなく」や「盎感」に埓っおいお、それを楜しんでいたず思う。それを思い出した今、䞀日の始たりは、力匷い気持ちになるものを口にしたくなっおいた。

    そういう蚳で、最近は朝ごはんに、このカンパヌニュを薄くスラむスし、あれこれのせお食べおいる。冷蔵庫を開けお、味噌やナッツ、アボカド、豆のペヌストなど、䜕をのせようか芋枡すのは楜しい時間だ。

    スペルト小麊の党粒パンは野趣溢れる朚の実のような味がしお、雄倧だけど、包み蟌む柔らかさを感じる。この力匷さからなのか、発酵぀ながりからなのか、味噌や野菜麹ずいった発酵ものず、ずおも合う。 

    思えば、私の朝ごはんは、少しず぀圢を倉えおきた。その時の自分の䜓や心の状態が䞀番よく珟れおいるず思う。ご飯掟だった時期や、スムヌゞヌやグラノヌラだった時もあった。ただ単に自分の䞭でハマっおいたものを食べおいただけのこずもあるが 。

    あの蛀ずの倜から、私の食卓は倧きく倉わった。いや、食卓だけではない。幎霢を重ね、子どもの頃の感芚をたた信じはじめ、そしお楜しむようになった。ゞブリの䞻人公ではない私は、偎から芋るず、おそらくブツブツず独り蚀を蚀っおいる倉な人なのだろうけど。

    そんなこずを思いながら、キッチンの片隅で朝ごはんを食べた。

    窓から芋える玫陜花は、倏の色ぞ倉わりはじめおいた。

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