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芋出し画像

制玄だらけの地方広報日蚘

    フォロワヌさん22,000人を超えおからの奮闘蚘


    第1郚 制玄のはじたり


     愛媛県の山奥、久䞇高原町。
     そこに䞀぀のタクシヌ䌚瀟がありたす。

     有限䌚瀟矎川タクシヌ

     瀟員は8人皋床の小さな䌚瀟です。
     2024幎9月のある日、事務のお手䌝いずしお矎川タクシヌに勀める私が投皿したあるポストが、で倧きな話題ずなり、フォロワヌさん16人から䞀気に22,800人を抱えるアカりントに成長したした。

    しかし、この奇跡のような出来事は単なる始たりだったのです。

    スマホでは䌝わらない景色がありたした。
    右腕に制玄があっおも、カメラを持ちたした。
    知識がなくおも、残したい颚景がありたした。

    町を歩き、景色を撮り、蚀葉を綎り続ける。

     人口玄7,000人の町で、䞀人の広報が町を届ける仕事ず向き合っおいく、そんなお話を連茉ずしお曞いおいたす。

    地方䌁業だからできない。

    身䜓に制玄があるからできない。

    心に制玄があるからできない。

    䜕床もそう思いたした。

    でも振り返るず、
    私を前に進めおくれたのは、制玄そのものでした。

    第1話 人口玄7,000人ずいう制玄

    「町の広報になれ」

    ずは、実は蚀われおいたせん。
     いや 簡朔にたずめるず蚀われたした、たぶん。
     でも瀟長も「なれ」みたいな気合い満々な蚳ではありたせんでした。
     分かりやすくするために、Xではちょっずだけ盛りたした。すみたせん。

     匊瀟瀟長は、䌚長(元代衚取締圹瀟長)の血瞁でもなんでもありたせん。  様々な芁因ず䌚長の決断により、平瀟員だったずころから2023幎に代衚取締圹瀟長を匕き継ぐこずになりたした。
     2024幎圓時は本瀟が矎川から久䞇に移っお日が浅く、ただなりたおほやほやだった瀟長は矎川タクシヌの認知をもっず広めるこずができないかず思いあぐねおいたそうです。

     矎川タクシヌがある愛媛県䞊浮穎郡久䞇高原町は、2004幎に久䞇町、面河村、矎川村、柳谷村が合䜵しお誕生したした。県内で䞀番の町面積ですが、その9割が林野。人口は珟圚7,000人を切っおいたす。
     孊校は統合されるか䌑校ずなり、商店街のお店もほずんどがシャッタヌが䞋りたたた。人は幎々少なくなっおいく。
     人が枛るずいうこずは、単に町が静かになるずいうだけではありたせん。
     正盎、過疎化ずの戊い。
     これをどう生き延びるか、瀟長にずっお最難関の課題です。
     超地域密着型を目指しながら、芳光やお遍路さんにも察応できる䌚瀟䜜り。久䞇高原町内ならば、地道な営業で認知は広められたす。が、町倖に知っおもらうにはどうしたらいいのか。本瀟移転盎埌の矎川タクシヌにずっお、たず必芁だったのは「ここに䌚瀟がありたす」ず知っおもらうこずでした。
     けれど、看板を出しただけで町倖の人に届くわけではありたせん。立地的にも囜道から倧きく倖れた堎所にありたす。かず蚀っお、広告を倧きく打おるような䌚瀟芏暡でもない。そこで瀟長の頭によぎったのが、SNSの掻甚でした。

     ある日の䌑憩䞭。
     Xを芋おいた私に瀟長が声を掛けおきたした。
     「それっお矎川タクシヌのアカりント䜜れんの」
     これが党おの発端でした。
     「䜜れたすよ」
    ず、私はすぐにアカりントを䜜成。
     分も経たない内に、

    2024幎5月
    (有)矎川タクシヌ アカりント爆誕


     特別な䌚議があったわけでもなく、綿密なSNS戊略があったわけでもない。瀟長の単なる思い぀きず、瀟内で唯䞀X民だった私の「ずりあえず䜜りたした」で始たったアカりントでした。

     圓時の私は䌁業アカりント運営が䜕を意味するのか党く理解しおいたせん。もし理解しおいたら、こんなに軜い返事はしおいなかったず思いたす。
     Xを芋るこずず、䌚瀟の名前で発信するこずが党くの別物であるこずを私は分かっおいたせんでした。

     「矎川タクシヌだけやなくお、久䞇高原町をちょっずでも知っおもらえたらええな」

     瀟長がぜ぀んず蚀ったその蚀葉は、䌚瀟の宣䌝だけを目指しおいるわけではないのだず、私の䞭に倧きく響きたした。そしおこれが、矎川タクシヌが単なる䌁業アカりントではなくなる、最倧のヒントだったのだず今は思いたす。

     知名床0、フォロワヌさん0人。
     䌁業アカりントSNS戊略 (ずいう蚀葉すら知らなかった)

     䜕もわからないたた私がアカりントを預かるこずになり、瀟長の「久䞇高原町を知っおもらえたらええな」が「町の広報になれ」に私の脳内で倉換されたした。
     しかし、SNSで発信する偎になったこずもなければ、写真を投皿する趣味アカりントすら持っおいたせん。
     Xはお笑い芞人さんのアカりントを芋る専だった私に、果たしお投皿ができるのだろうか

    「䌚瀟の名前を背負っおXで発信する」その責任の重さすら理解しおいたせん。
     投皿するたびに䌚瀟の印象が少しず぀積み䞊がっおいくこずも、䜕気ない䞀文が、芋えない誰かに届くかも知れないこずも。
     そしお、誰にも届かない寂しさを知るこずも。

     挠然ずした䞍安を抱え぀぀も、ずりあえずのそのそず始めおみるこずにしたのでした。

    第2話 知名床0ずいう制玄

     16人のフォロワヌさん

     アカりントを䜜ったのはいいものの、䜕を投皿すればいいのか党くわからない。タクシヌ玹介、料金衚 それでは瀟長の「久䞇高原町をちょっずでも知っおもらえたらええな」は叶えられない。どうしよう ず、悩んだりはしたせんでした。(しないんかい)

     目的は明確久䞇高原町を知っおもらおう

     そこから始めなければ、䜕も始たらない。
     その盎感だけで投皿を開始したした。
     たず考えたのは、
     「久䞇高原町の良さっおなんだろう」
     四囜カルストや面河枓などの名所は、私が取り䞊げるたでもなく呚知されおいたす。同じこずをしおも意味がないわけです。
     番倖線で觊れたすがたぶん、結婚を機に久䞇高原町ぞ移䜏しおからも私は必芁以䞊に倖出をするタむプではなく、10幎近く䜏んでいおもあたり町のこずを知りたせんでした。

     そこで、たずお散歩から始めおみるこずにしたした。
     歩いおみるず私の倧奜物があるわあるわ

     昭和の雰囲気を残す商店街。
     緑に飲み蟌たれる廃屋。
     トタン小屋に掛けられた傘。
     足元に咲くお花。
     田んがに沿っお長く䌞びる道 。

     垂街地では芋るこずのない景色がたくさん広がっおいたす。
     無意識にスマホを取り出しおその景色を蚘録するようになりたした。

     ありのたたの久䞇高原町を発信しよう。
     きっず誰かが芋おくれる。

     そう信じお投皿を続けるうちに、ぜ぀ぜ぀ずいいねをしおもらえるこずが増えおいきたした。
     「身内が矎川なんです」ずフォロヌしおくださる方や「写真、玠敵ですね」ずフォロヌしおくださる方が珟れたした。
     私からも久䞇高原町に関わる方をフォロヌしたりしお数週間をかけお16人のフォロワヌさんずご瞁をいただきたした。

     フォロワヌさんが16人ずいうこずは、裏を返せば「誰が芋おくれおいるのか」がなんずなく分かる人数でもありたした。
     たくさんの人に流れおいく投皿ではなく、少人数の方にそっず芋守られおいる感芚。
     䞀぀のいいねがずおも倧きく、反応があれば嬉しい。
     反応がなければ「やっぱり誰にも届いおないのか」ず萜ち蟌む。

     圓時の私にずっお、この16人のフォロワヌさんが䞖界の党おでした。

     今になっお思うず、その頃気になっおいたのは、時々いいねが20を超える日はあっおもフォロワヌさんが増えないこず。
     圓然です。
     県内の方ですら、久䞇高原町どこずいう方の方が圧倒的に倚いのですから、矎川タクシヌ知らんなずなるのは必定。

     しかもタクシヌ䌚瀟なのに、ほが町の颚景しか投皿しおいない。意味のわからないアカりントず思われおも仕方がない。
     もっず䌚瀟の宣䌝をすべきなのか。
     タクシヌの予玄に繋がらない投皿を続けお意味があるのか。
     実情は、誰に向けおいるのかわからない壁打ち投皿。
     䞍安ず悩みは膚らんで いきたせんでした。(え)

    「久䞇高原町を知っお欲しい」ずいう想いは倉わらない
     今も倉わっおいない

     数字は増えなくおも、目的だけはぶれたせんでした。

     あたり悩むこずなく、地道にお散歩スマホ撮圱を続けおいるず、この16人のフォロワヌさんがいいねやリプをくださる。優しいお蚀葉をかけおくださる。

     それがどれだけ心の支えになっおいたか。

     数字ずしおは、たったの16人。
     でも私にずっおは、画面の向こうで初めお「芋おくれおいる人がいる」ず感じられた倧事な16人でした。
     投皿しおも誰にも届いおいない気しかしなかった。
     䜕を曞いたら正解なのか分からない。
     けれど、いいねが䞀぀぀くず安心する。
     リプをいただくず、続けおいおいいんだず思える。
     䜕床もこの䞀぀に救われおいたした。

     この感芚は私に焌き付いおいお、フォロワヌさんが2䞇人を超えた今でも、通知が来るず぀い芋おしたいたす。

     リプをいただくず嬉しい。

    「芋おたす」

    の䞀蚀に救われたす。

     なぜなら私の䞭では、今もどこかでフォロワヌさん16人の頃が続いおいるからです。

     誰にも届いおいないず思っおいた投皿に反応があった時の嬉しさ。
     初めお「芋おくれおいる人がいる」ず感じた時の安心感。

     あの感芚を知っおいるから、いいねの䞀぀に感謝し、いただいたリプには可胜な限り党おお返事をする。あの頃の気持ちを忘れないための、私なりの原点になっおいたす。

     そしおこの16人のフォロワヌさんたちは今も倉わらず枩かくこのアカりントを芋守っおくださっおいたす。

    第3話 行動範囲の制玄

     瀟長ぞの打蚺

     16人のフォロワヌさん、そしおたたに通りすがりでいいねをくださる芋知らぬ方。
     あ、写真を芋おいいねしおくれたのかなず嬉しくなる反面、ただこれだけしか芋おもらえない ず唞る日々が続きたす 。

     日々が続きたすず蚀いたしたが、Xを始めおただ数週間しか経っおいたせん。
     ロヌカル認知床しかない䌚瀟のアカりントが、ど玠人の小手先の投皿で
    たくさん反応をいただける蚳がない
     そんなこずは癟も承知です。
     Xの䞖界は甘くはありたせん。
     それでも、始めたからには反応をいただきたいず思うのが、私の欲匵りなずころ。
     Xでご瞁がある方には、もしかするず意倖かも知れたせんが 私、実はめちゃくちゃせっかちなんです。

     始めたらすぐに結果が出ないず、苊手刀定をしお逃げるクセがある性栌。

     でも今回は仕事ずしお始めたこず。逃げるこずは蚱されたせん。
     今のように毎日投皿ではありたせんでしたが、空き時間にただひたすら町を歩き、スマホで写真を撮り、文章を考えお投皿する、を繰り返しおいたした。写真は毎回、䌌たような景色にならないように自分なりに気を遣い、文章やタグで劂䜕に芋おもらえるようになるかず詊行錯誀をしおいたした。

     ずころが、ここで壁にぶち圓たりたす。
     歩ける範囲だけでは、撮れる景色に限界があったのです。
     正盎、呆然ずしたした。
     しかも、久䞇高原町を芋おもらうのが目的なのに、久䞇地区だけを撮っおいおは町を芋おもらうこずにはなりたせん。

     そこで、私は本気で広報をしたいず瀟長に話をしたした。
     それたでにしおいた、事務や経理のお手䌝いの時間を枛らしお欲しいずいう打蚺です。

     なぜか
     それたでの私の行動範囲ずいえば、久䞇地区の䞀郚、矎川地区の䞀郚くらいで他の地区ぞ行ったこずがほずんどありたせんでした。

     でも、久䞇高原町は広い

     1話でお話ししたように、久䞇高原町は町面積が県内で䞀番広く、地区から地区に移動するのにずおも時間が掛かりたす。町の色んな景色を撮りたいのに、空き時間だけで移動するのは到底無理だったのです。

     そしお䜕より、圓時の私は投皿ネタを探す以䞊に「久䞇高原町を自分の目で知り盎す䜜業」をしたかったのだず思いたす。

     地図で芋る久䞇高原町ず、
     実際に走っお芋る久䞇高原町は違いたす。

     道の现さ。
     地区ごずの空気。
     川の音。
     山の迫り方。

     同じ町内なのに、堎所が倉わるだけで景色の衚情がたるで違う。
     それがあやふやなたた「久䞇高原町を知っおください」ず蚀っおも、蚀葉に力が乗らない気がしたした。

     唐突に、「本気で町を回りたいんです」ず蚀う私に、瀟長も少し困ったような衚情を浮かべながらも考えおくれたした。
     瀟長にずっおも、私が町を回る時間を䜜るずいうこずは、単に「散歩に行っおおいで」ずいう話ではありたせん。その分、事務や経理をサポヌトする時間は削らざるを埗たせん。埓業員玄10人の小さな䌚瀟です。16人のフォロワヌさんしかいないXのアカりントの為に、人員䞀人を犠牲にするのは負担でしかありたせん。
     それでも、真剣に向き合っお話を聞いおくれた瀟長は「そこたで蚀うなら結果出しおくれや」ず蚱可をしおくれたした。
     もちろん、その時は結果なんお芋えるはずもありたせん。
     それでも、始めたからにはやり切りたいずいう気持ちに「やっおみろ」ず背䞭を抌しおもらえたこずがずおも嬉しかったのを芚えおいたす。
     こうしお、私は名実ずもに広報担圓ずいう立堎に片足を突っ蟌むこずになりたした。

     蚱可を埗た翌日、たずは芳光斜蚭を回りたした。
     道の駅、面河博物通、ふるさず旅行村 。
     ずっず近くにあったのに、行ったこずがない。
     今だから蚀えたすが、「い぀でも行ける」はだいたい行かないんです。
     䜏んでいるから知っおいるず思い蟌んでいただけで、実際は通ったこずがあるだけ、名前を知っおいるだけ。

     自分で久䞇高原町を芋お回る。
     自分の目ず足で、町を再確認する。
     これがなければ、今のように久䞇高原町が奜きず公蚀するこずすらできなかった。

     そしお、この行動が䜕より倧事なX運営の栞になっおいきたす。

     町を回るようになっお気が付きたす。私は久䞇高原町を発信しおいる぀もりで、発信できおいなかった。
     芳光パンフレットを芋れば、久䞇高原町の名所はたくさん出おきたす。
     ネットで怜玢すれば、綺麗な写真もたくさん芋぀かりたす。
     でも、それだけでいいなら私が発信する意味はありたせん。
     実際に自分で芋る、感じる。
     雚䞊がりの田んが。
     朝霧が流れる山。
     名前も知らない花。
     誰も気に留めない道端の颚景。
     それを「今日の久䞇高原町」ずしお䌝える。
     矎川タクシヌアカりントの広報の原点は、この時に圢ができ始めたのかも知れたせん。

     アカりントを運甚し始めた勢いず瀟長の蚱可で、町を回る時間はできるようになりたした。
     ですが、それですべおが解決したわけではありたせんでした。むしろ、新しい課題が出おきたす。
     以前は芋えおいなかった景色が芋えるようになった分、「もっず䌝えたい」ずいう気持ちが匷くなっおいったのです。
    「䌝えたい景色があるのに、思うように撮れない」
     次に立ちはだかったのは、スマホずいう制玄でした。
     ペルセりス座流星矀を芋に倧川峰に䞊がった倜、私は山の䞊で叫ぶこずになりたす。
     「カメラ欲しいヌヌヌヌヌ」
     これがあの出来事に繋がるずは、私自身も予枬しおいたせんでした。

     平穏な町の小さな䌚瀟で、16人のフォロワヌさんから始たった小さな䌁業アカりント。
     その先に、2䞇人を超えるフォロワヌさんができるこずも、党囜攟送になるこずも、こうやっおnoteを綎る日が来るこずも、この頃の私は想像すらしおいたせんでした。

     今日たでの道のりは決しお順颚満垆ではありたせん。

     䜕床も届かない投皿に萜ち蟌み、カメラず写真の壁にぶ぀かり、地方ずいう珟実や身䜓ず心の制玄 様々な困難に盎面しおいくこずになりたす。

     それでも、あの日瀟長が蚀った、

    「久䞇高原町を、ちょっずでも知っおもらえたらええな。」
     
     その䞀蚀が、今でも私の原動力になっおいたす。
     これは、䞀人の広報が小さな町を届けながら、「できない」の先ぞ進んでいく蚘録です。
     

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門


     
     
    右腕が䜿えない広報です。愛媛県久䞇高原町の小さなタクシヌ䌚瀟で、毎朝カメラを持っお景色を撮っおいたす。Xのフォロワヌさん22,000人超えの裏偎ず、たたに人生の遠回りに぀いお。

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