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流れに身を任せ、負けない自分を信じる

    AかBで迷う、という経験がある人は多いのではないだろうか。

    Aが欲しいけれど、そのためにはBを手放さなければならない。

    少し前の私はそんな状況を目の前にして、悲しくて、悔しくて、なんだか情けない気持ちになっていた。

    しかもそのAは絶対に手に入るとは限らないし、そのタイミングはコントロールできない。

    この数年、AかBのどちらかを選ばなければならないときの対処法を、試行錯誤のなかで身につけてきたつもりだった。

    たとえば、AとBの両方を叶えられることがあること。

    たとえば、本当に望んでいたのはAでもBでもなく、その先にあるCだったこと。

    そんなことに気づくなかで、これなら今後どんな願いも叶えていける、そう思っていた。

    しかし、今回に関してはどちらも当てはまらず、本当にAかBを選ばなければならないようだった。私はなんだかずっとしっくりこなくて、本当にそうだろうか、とモヤモヤしていた。

    モヤモヤし続けていると、あるときふっと、目の前の霧が晴れることがある。

    今回もそうで、ある瞬間に頭上からぽたっと落ちてきたような、新鮮で、なんだかホッとするその答えは、「Bは手放したくないだけで、いま欲しいのはAだ」ということだった。

    以前の私はBが本当に欲しいと願っていた。それはまるで宝探しでようやく見つけた宝のようなもので、それを手放してしまったら、それまでの苦労が水の泡になるような気がした。けれどもその宝はいつか手放すときがくるかもしれないもので、私が楽しんでいたのは探し当てるまでの過程だったのではなかったのかと自分に問いかけたくなっている。

    もちろん宝を手にしてからの日々はこれまでと違う景色が現れ、そこでしか味わえない経験がたくさんある。時間の許す限り、その宝のような日々に浸りたいと願う。


    と、ここまで書いて、これは生きることと同じなのかもしれない、とふと思った。

    私はいつかこの世での生活を終える。そのタイミングはコントロールできないけれど、きっと次にいくべきところがあって、いつかそのときがくるのだろう。

    この世界でやりたいこと、感じたいことがたくさんあって生まれてきた気がしていて、でもそれらは簡単に得られるものではなくて、泣いたり喚いたり落ち込んだりしながら、あるとき突然「このために生まれたのかもしれない」と心が揺れたり、いやいや生まれた意味なんてなくてただここに存在したかっただけなんだと腑に落ちてみたり、いろんなことを感じながら生きていくこの過程こそが、私が得たかったものなのだと思う。

    いつか手放すときがきても、それは決して水の泡なんかではない。たとえそれがどんなに短い期間だとしても、そこに芽生えたものがあるのだから見つめてごらんと、心の中にいる小さな自分が、必死に訴えている気がしてならないのである。

    そうは言ってもやりきれない感情が残ることもある。時間をかけて受け入れていくこともある。
    結局自然に身を委ねるほかない。
    流れに身を委ねることは、決して楽なことではなく、むしろ、本当にこのまま流れていっても大丈夫なのだろうかと不安になる。けれど、きっと自分は大丈夫だと信じ、どこに辿り着いたとしても、そこであるがままに存在していくのだと決めることで、恐れずに進めるのだと思う。

    もう少し詳しく言うなら、これまでは、「ああなってしまったらどうしよう」と不安で仕方なく、それを「そうなる確率は低いから大丈夫」とか、「きっとうまくいく」と、言い聞かせてきた。しかし、これからはそれに加えて、「もしそうなってしまっても、私は負けない」と自分を信じる必要がある気がしている。負けない、というのは誰かに勝つという話ではなく、自分の決断やそれまでの過程、つまり自分自身を、否定したり可哀想に思ったりし続けない、ということでもある。

    流れに身を任せ、いまに辿り着けたのだから、これからもきっと大丈夫。いまできることは、まだ来ぬ明日の不安は考えすぎずに、辿り着く先で豊かな時間を味わう自分を信じ、流れに身を委ねるのみである。

     
     

    mika

     
     
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