メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bytomekantyou1

【エッセイ】ささくれは優しく撫でて

    なんでこうなんだろう。

    幾度となく考えてきた。

    別に自分が嫌いとか、いやだとか、そういうんじゃなくてただ純粋にそう思う。

    私はなぜこう在るのか。

    それは今まで生まれ育った環境とか、経験とか、遺伝とか、そういうものが複雑に絡み合って蓄積されるものなんだろうけど。


    でも結局はその環境も経験も、どう「受け取る」かは自分次第で、それをどんな風に「感じる」のかも自分次第じゃない?
    例えば、小さい赤ちゃん二人にキラキラとした宝石を見せたとき、そのとき与えられた環境、つまり「宝石を見せる」というシチュエーションは同じでも、興味を示すか示さないかはその赤ちゃん次第ではないの?
    専門家じゃないので詳しいことは分かんないけどさ。


    だからやっぱり、「そういう星のもとに生まれた」としか言いようがないのかな。

    だとするとそれはなんだかちょっと不公平じゃないか。確かに、経験とか環境も多少なり影響するんだろうけど、そもそもそれを感じ取る「心」が最初から決まっていたのなら、結局変えようがないじゃないか。

    「人は変われる」って…どこからどこまで?結局「変わる」のにも限界が定められているんじゃない。


    ああ、卑屈だ。つくづく思うけど、私は卑屈なんだ。
    変わりたいとずっと思ってきた、何もしてなくても周囲の情報がいちいち入ってきてしまうこの過敏すぎる「心」は、なぜこう在るんだろう、と。

    たぶん、卑屈なのは小さいころ病弱だった弟ばかりに構われて寂しかったのが根源にある。だからと言って愛されていなかったわけじゃない。私は愛されている。母を責めるつもりなんてこれっぽっちもないのだ。
    ただ、それをいつまでもいつまでも引きずってしまうのはやっぱりこの「心」で、それがどうにも煩わしい。


    与えられた環境以前に、どう感じ取るかの「心」を取り換えられたら、もう少しカラっとしたやつだったんだろう、私も。それで、多分今日も、学校を休むことはなかったんだろう。

    本当に理由は無かった。昨日丸一日模試を受けて疲れたのもあるけど、なんだか今日は本当に、教室に行ってはダメな気がした。ささくればっかり作る私の「心」がそう言った。

    周りの声が嫌でも耳に入ってくる。自分のことに集中したくても、常に何かを感じ取って考えてしまう。厄介なことこの上ない。

    でもこの「心」じゃないとできないこともいっぱいあるし、再三言うが自分が嫌いなわけじゃない。むしろそういう自己愛というのは結構ある。
    だって、鏡を見るのも好きだし、褒められることもいっぱいある。
    (↑すぐ調子に乗る)

    ただそういうときに、聞かなくてもいい余計な声にまでアンテナを張ってしまうのが、玉に瑕なだけ。周りは気づかないのが普通で、それがちょっと寂しいだけ。自分が感じたことが、みんなとちょっとずれているのが、ほんの少し切ないだけ。


    けどそんなこと言ったって私は私だし、わかってくれる人もたくさんいるって知ってる。たまたま今がこんなことを考える気分なだけで、明日になったら忘れてる。朝はちょっと足が重くても、意外と大丈夫だったりするって知ってる。


    なんでこうなんだろう。って、ずっとずーっと考えてる。

    でもひとつ違うのは、もう扱い方を知ってるってこと。こういう時は、とにかく自分の好きなことをするか、勉強したりして、達成感を味わえば大体解決する。通り雨みたいなものだ。


    だから、明日は晴れだといいな。


     
     
    りんごの惑星の王さま  大体エッセイ。 いつもなにか考えているので、実がつまっている。 きっと甘い。

    あなたへのおすすめ