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短編小説|さよなら、ケガ日記

    『わける -Luck, Loss, and Light-』のスピンオフで、本編の1年半後を描いています。
    今回は、ナリとノエがついに!😁
    ノエ視点です。この暑い時期に、舞台がクリスマスの物語ですみません。
    約1万字ありますが、読んでいただけたら嬉しいです。



    ①便利屋の12月


     理恵さんが恭しく「いんさつ」と言いながら、マウスをクリックした。古いパソコンなので処理時間が長く、ちゃんと生きてるのか?と心配になった矢先、ジジッとプリンターが動き出した。
    「出てきた出てきた!」
     プリンタからゆっくりとハガキが出てくる様を、理恵さんはパチパチと拍手をしながら見守る。
    「理恵さん、こういう時は拍手じゃなくて、オーライオーライ!って誘導すると早く出てきますよ」
     プリント出口に向かって手招きをしながら言うと「もうやだ、ノエちゃん」と理恵さんは僕の肩を叩いた。
     
     12月の便利屋は忙しい。主な仕事はお掃除系だ。気軽に頼めるハウスクリーニング業者も増えているけど、この辺はお年寄りが多く、たいてい古い家屋に住んでいる。古い家の設備は独特で、例えば、雨樋や雨戸の天袋の掃除なんかは、ハウスクリーニング業者のメニューに入っていない。お年寄りは自分でやるか放置するしかなくなるんだ。そこで、地域密着型の便利屋「かすみ沢」の出番になる。
     今日は珍しく掃除以外の仕事だった。年賀状の作成とプリントまでの指導。理恵さんは69歳で、僕のお得意様の中では若手だ。娘のお下がりだという、もはやヴィンテージの匂いのするWindowsパソコンで、コツコツと年賀状を作った。半日掛かりだったけど、理恵さんとお喋りしたり煎餅を齧ったりしながらの作業は、息抜きみたいなもんだ。怪我のリスクもゼロだしね。
     帰り際に理恵さんは、「はい、鶏ハム。タンパク質」と密閉袋を差し出す。料理上手で流行りのレシピは試したくなるたちの理恵さんは、鶏胸肉を使ったチャーシューのような「鶏ハム」を僕が大喜びで受け取ったら、毎回作ってくれるようになった。ちょっと前まで僕は、折れた骨や痛んだ筋肉を早く再生させたくて、やたらタンパク質の摂取にこだわってたから。


     理恵さんのお宅を出て、便利屋に向かう。つい先々月、商店街にあった合鍵屋が店じまいすることになり、僕の客でもあった合鍵屋の店主が居抜きで店舗を譲ってくれた。たった5坪だけど、ほとんど物置みたいな使い方をしてるから広さ的には十分。合鍵を作れる機械もそのまま置いてあるから、ぼちぼち研修でも受けに行って、合鍵屋も兼ねようかと思ったりしてる。
     思ったりしながら、僕は時々後ろを振り返る。最近、どうも誰かにつけられている気がするんだよな……。こういうのは理屈じゃない。なんとなく立ち止まったり振り返ったりすると、サッと何かの影が動くんだ。
     この間の帰り道は、落とし物を探している人に遭遇した。一度行きかけて、回れ右して戻った瞬間、僕の視界の先が不自然だった。例えるなら「間違い探し」の違和感。首を傾げながら落とし物探しに加わったけど、違和感は続いていた。
     幸い今日は背後になんの気配も感じない。まあ、僕には、つけ狙われる覚えなんかないし、ストーカーになりそうな元カノなんてのも全く心当たりがないんだから、やっぱりただの気のせいなのかな。あ、便利屋が見えてきた。
    「お帰りなさい。早かったですね」
     店のカウンターから身を乗り出して颯汰くんが手を振っている。
    「お疲れ!颯汰くんも早かったね。問題なかった?」
    「ありません。側溝、雨樋、かなり手慣れてきましたよ。溝系の掃除は任せてください」
     颯汰くんは24歳、金髪で甘めのイケメン。チャラそうな見た目に反して、礼儀正しく人当たりがいいから、「ギャップ萌えする」とおばちゃんたちに人気だ。なんなら俺より愛されている。若いし。
     この店舗を使わせてもらうことになってすぐ、「便利屋かすみ沢」と書いた看板を取り付けていたら、「バイト募集してませんか?」と話しかけてきたのが颯汰くんだった。新卒で入った会社を2年で辞めた彼は、自分も将来便利屋を出したい、と奇特なことを言っていた。
    「12月はちょうど忙しいから、1ヶ月お試しでもいいかな? そんなに面白い仕事でもないから、1ヶ月やってみて続けるか決めたらどう?」
     そう提案して話がまとまり、あっという間に1ヶ月半が経とうとしていた。

     どっぷり昭和感漂う文化アパートに帰った。部屋はキンキンに冷えていたけど、石油ストーブをつけて、その上でお湯を沸かすと、たちまちあったまる。
    「お湯を沸かすのはマスト」と教えてくれたのはナリさん。僕の大事な人。淡々と繰り出す言葉の8割が面白い人。思い出すとニヤける。今日は何時に帰るのかな?
     鶏ハム用にパクチーとネギを刻んでソースを作ってから、冷蔵庫のありあわせて何を作ろうかと考えていたら、ゆっくりとドアが開いた。
    「ただいまー!疲れたー!寒いー!眠いー!」
     カメラ機材が入ったキャリーケースを玄関まで引き込むと、乱暴に靴を脱ぎ捨ててソファに倒れ込んだ。
     ナリさんは結構な売れっ子カメラマン。雑誌や広告の写真を撮っている。12月はいつもにも増して忙しいみたいで、毎日朝早く撮影に出かけ、帰ってくるとMacBookを立ち上げて遅くまでデータ処理をしている。でも今日はまだ6時半だから、だいぶ早いご帰還だ。
    「早かったね。今、何作ろうかなと思ってたとこ。なんか食べたいものある? 鍋とか?俺とか?」
    「もういい加減、セクハラジジイみたいな発言やめてもらえませんかね?」
     ちょっとだけ下ネタ(ってほどじゃないけど)を挟むと、ナリさんがもれなく照れるのがおかしくて、ついつい言ってしまう。もう一人の自分が俯瞰して、お前もかなり恥ずかしいやつだな、と言った。
    「鍋、食べたい。でもさ、さすがに今日はうちに帰らなくちゃいけないみたい。デスクトップで仕事しないと」
     Mac、持ってくればいいじゃん。と言いたかったけど、Macがあればいいってもんじゃないんだろう。ナリさんの仕事部屋を思い浮かべながら、露骨にがっかりする。
     ナリさんが「鍋食べたら帰る。目標は……」と時計を見上げて「9時」と言った瞬間、反射的に彼女を抱きしめていた。付き合い始めてもうすぐ1年半になるっていうのに、いつも別れ難くて苦しくなる。ナリさんを好きになっている過程で、僕は1回、いや1.5回死にかけた。死にかけたことより彼女を失いそうになったことがトラウマになってるんだと思う。でもそんなの、それこそ恥ずかしくて知られたくない。必死でクールなフリをしてるんだけど、バレてるかな? ダサいな俺。
     ナリさんの冷えた頬がみるみる火照っていくのを至近距離で眺める幸せに、今日も僕は感謝しかありません。

     12月20日、やっと二人とも仕事が落ち着いてきた。昭和な商店街では、音質最悪のスピーカーから、古めのクリスマスソングが流れている。山下達郎、ユーミン、広瀬香美。完璧だ。
     今日は、書道教室のクリスマス会で、サンタとしてプレゼントを届ける、という仕事が入っていた。昔ながらの書道教室は、畳敷きの20畳。サンタは縁側から徒歩で登場。締まらない、とぼやいていたら、ナリさんは「屋根から降りて来れるように滑り台みたいな仕掛け作ったら?」と提案してきた。
     颯汰くんに相談してみたら、「あの家、古いから屋根瓦が割れると大ごとになりますよ」と反対される。でも、優秀な彼は、庭に立派な柿の木があったのを思い出し、柿の木に隠れてスタンバイし、ターザンロープでシューっと縁側に降り立つというプランBを練ってくれた。
     ナリさんのプランA、颯汰くんによる却下からのプランB、ここまでの流れが感慨深い。だって俺は、不運で怪我ばかりする男。普通に生きていても怪我が俺に向かってくるほど、包帯に愛された男だ。体を張った演出を勧めてくるのは、俺のことを消そうと企む頭脳派の殺し屋くらいなものだった。
     でもナリさんも颯汰くんも、楽しそうにプランを建ててくれた。僕が死なないって信じてくれてる二人。

     柿の木からの登場は、予想以上に沸いた。颯汰くんはボーイスカウト出身で、ロープの結び方に長けている。絶対解けず、柿の木にも優しい結び方で、僕の命綱になるロープの仕掛けを作ってくれた。
     木が折れることもなく、勢い余って家の壁に突っ込むようなこともなく、ノエサンタは和室に降り立った。そして、担いだ袋からプレゼントを出して、みんなに配った。
     書道教室といえども、この街では年齢層が高い。プレゼントの包みを開けると、マッサージローラーとかカウントできる縄跳びとか、健康グッズか便利グッズがわらわらと出てきて、ひゃー、まぁまぁ、あらあら、という格調高い歓声が上がる。その様子をほのぼの見回していたら、床の間の前に僕の母親が腕組みをして仁王立ちしていて、目が合うと「よくやった」と言わんばかりに深く頷いた。ラスボス感がすごい。相変わらず。これを年末の挨拶とさせていただこう。
     僕は、Ho-Ho-Ho と言って、縁側に揃えてあった靴を履き、舞台裏へハケた。本日の業務はこれにて終了。
     
     家に戻るとナリさんがいた。今日は早朝から近場でロケがあったけど、10時には家に戻れて、あとは仕事部屋でデータ処理をしていたらしい。
    「年内の撮影はあと2件。データも年内の納品はもう終わったよ。だから今日はゆっくりできる」
     何よりも嬉しいことを言ってくれる。
    「やった。ゆっくりし・て・いいの?」と控え目にボケると、ナリさんは真剣な顔をして「本当に辞めた方がいいよ、それ。癖になって、誰かいる時にもうっかり言っちゃうからね」と言って、僕の唇の前で人差し指を立てる。シュンとしている風の僕の顔を見てすぐに笑い出す。「仕方ないなぁ。いいよ」と言う。こういう反応も好きなんだよな。
     二人で商店街の町中華に行き、満腹ほろ酔いで家に帰ってきた。
     なんとなく、壁のカレンダーを見た。12月20日。奥の部屋に行き、ソファの前にある、筋トレグッズの棚からノートを取り出す。「ケガ日記」と表紙に殴り書きされたノート。開いて最後のページを見る。6月20日。
     カレンダーを横目に、7、8、9…と指折り数えていると、ナリさんが「なあに?妊娠でもした?」と僕をバックハグしてお腹をさすってくる。ほろ酔いじゃなかった、かなり酔ってる。
    「6月20日から書いてない」
     ノートを指さして言うと、ナリさんもハッとした顔で同じように指折り数え始める。
    「半年も、無傷!」
    「記録更新中!」
    「We are the champion! Yeahーー!」
     僕たちは架空のシャンパンを振ってかけ合う。苦情が来てもおかしくないくらい騒ぐ。
     去年の夏、ナリさんと出会ってすぐ、大怪我をしてデートの約束をすっぽかすことになった。やっと会えた時にはもうこの人がかけがえない存在だとわかってた。退院後2日目、鎖骨が折れて左腕を固定されて、全然うまく動けない僕と、彼女は結ばれることを望んだ。謝ったり謝られたりして、笑いながら、愛し合った。
    「こういうのが全部、いい思い出になると思ったんだよね」
     そう言ってた。
     でもそれから1ヶ月も経たないうちに、僕は通り魔に刺されて死にかけた。ICU2日、一般病棟2週間、自宅療養2週間。回復まで長かったな。あの間、僕がどれだけナリさんに触れたかったか、凡人にはわかるまい。
     それから少しずつ、日常を取り戻して、便利屋の仕事も増やしていって。
     
     12月5日。立て看板が強風で飛んできて、頭をかばうためにかざした右腕がザックリ切れた。でも僕からすれば切り傷なんて、神経までいってないなら楽勝。7針縫って、1週間で抜糸。2週間目には傷も綺麗に消えてた。
     3月14日。桜の季節の刺客は犬だった。レトリバーの散歩を1週間頼まれ、あいつとは仲良くやれていたのに、最終日に裏切られた。春先のフェロモンを撒き散らすメスに、やつは辛抱たまらず駆け出したんだ。僕はリードに足を取られて転倒、肋骨にヒビが入った。でもこれもまあまあ楽勝。全治1ヶ月ってところ。肋はヒビ程度なら固定もしないでいいし、禁止動作もない。ただ、くしゃみと咳と爆笑が弱点。なのに、ナリさんが全力で笑わせにくるのに参った。
     そして、6月20日。怪我じゃなくて熱中症になった。トランクルームの整理作業中、うっかり閉じ込められてしまったことが原因だった。あれは結構ヤバかった。スマホはドアの外の鞄の中。時間が過ぎ、意識朦朧としていたら、ドアが開いて後光を背負ったナリさんが入ってきた。とうとうお迎えがきたか、って思ったよ。ナリさんがGPSを頼りに見つけてくれなかったら、これは本当に洒落にならなかったよね。
     でもその日を最後に「ケガ日記」は止まってる。僕は怪我をしていない。物心ついてから初めての無傷の半年だった。
     そういえば、今日、母親がやけに力強く頷いていたのって、この流れに気づいてたからだろうか。

     ナリさんは照れ屋が過ぎる。だから一番照れることを、最高に照れる舞台装置の下でしようと思った。
     クリスマスイブにプロポーズする。
     とりあえずそばにいた颯汰くんに宣言しとくか。
    「おめでとうございます。うまくいくよう祈ってます」
    「え、うまくいかない可能性ってあるの?」
     僕は思わずそう言ってしまう。颯汰くんは涼しい顔をして、美しい指で金髪をかき上げる。
    「だって人生には何が起こるかわかりませんからね」
    「颯汰くん?なんでそんなふうに脅かすんだよ?俺に恨みでもある?あ、時給安過ぎる?」
    「違いますよ。だってノエさん、迂闊だから。まず、無事に現場に行けるのか心配ですし。あ、指輪とか買いました?」
     グッ。言葉に詰まる。確かに気にはなってたんだ。クリスマスだし、何かプレゼントを、と思わなかったわけじゃない。だけど、僕は長年、誰かにプレゼントをするのを避けてきてた。不運を分けることにならないか?って思ったから。不幸のデパート勤務の僕が、不幸のデパートで買った呪物になってしまわないか、って。だから、なんとなく気が乗らなかったんだ。
    「指輪じゃないまでも、何か贈り物はあったほうがいいと思いますよ。最高に照れさせたいんでしょ?」
     颯汰くんの言う通りだった。ケーキ食べたら指輪がガリっと歯に当たる、とか、シャンパンに指輪が沈んでる、とか、最高にキザなヤツを……と妄想していたら、「とはいえ、ケーキの中に仕込むとか、シャンパンに沈めるとかは、辞めた方がいいです。あれは嫌だ、っていう女性の声を読んだことあります、Webで」と颯汰。
    「普通に、ケースをパカっと開けて見せるのがいいんじゃないですかね」
     指輪のデザインもケースのデザインも、颯汰くんの意見を全面的に取り入れながらイメージを膨らませる。そして一度帰っていい服に着替える。これも彼のアドバイスだ。髪を整えて、お勧めされたジュエリー店へと向かった。
     約2時間後、僕は上品なブルーのケースを携えて店を出た。12月23日のことだった。 

    ②幸運な男


     クリスマスイブは、あいにくの雨だった。イルミネーションに飾られた広場の噴水の前で待ち合わせにした。さぞや人が多いだろうと覚悟していたけど、雨のせいか、人はまばら。
     運が悪い、って言葉を使わないようにしてきた半生だけど、今日はやっぱり思ってしまった。こんな日が雨だとはなんて運が悪いんだろう。僕と雨の相性は最悪なんだ。嫌な予感がする。いや、考えるな!
     コートのポケットに手を入れて探ると、指がゴワッと固いものに触れる。待ち合わせの時間まで15分。僕はついそのゴワッとしたものをこの目で確かめたくなって、取り出して手のひらに置く。ブルーの指輪ケース。うん、綺麗だ。
     左手のひらのそれを愛しく眺めていると、腕にすごい衝撃が走った。酔っ払った輩がぶつかってきたんだ。嘘だろ? よろけてバランスを取ろうとした時、あろうことか手のひらを広げて指輪ケースを放り投げてしまった。背後で、ポチャンという音を聞いたような気がする。トレビの泉じゃないっての!
     僕は右手に持っていたビニール傘もかなぐり捨てて振り返る。果たして指輪ケースはプカプカと噴水の袂に浮いていた。
     隣で「うあああ、サーセン!!!」と叫び声が聞こえたかと思うと、声の主は噴水にジャブジャブと入っていった。いやいや、マジ? そこまで、わずか2、3秒の出来事だったと思う。
     そいつは僕にぶつかった酔っ払いだった。すぐに指輪ケースを拾い上げて、噴水から戻ってきた。膝から下がズブ濡れだ。噴水の池が浅かったのは不幸中の幸い。
    「サーセンッした!指輪っすよね?」
     深々と頭を下げて、僕の前にケースを差し出す。僕がプロポーズされてるのか?という構図に、笑いが込み上げてくる。受け取らずにいると、男のせっかちな親切心が発動して、中を改めるべくケースを開いた。空だった。
    「うわああああ!指輪がない!」
     彼はまた絶叫する。すると今度は、僕の右側で水音がした。誰かが噴水に入っていくのが視界の隅に映った。見ると、黒いダウンに黒いパンツ、黒いニット帽を被った若者が、中腰になって噴水の中に手を突っ込んでいるところだった。ニット帽から金髪が覗いている。
    「は?颯汰くん?」
     颯汰くんがなぜここにいたのか、僕は瞬時に理解した。僕のことが心配で変装までしてついてきたんだろう。何かあったらフォローする気満々で。その挙句にやはり起こった、不運な出来事。迷惑系酔っ払いも噴水に戻ろうとするのを僕は慌てて止めた。
    「颯汰くんも戻ってきて! 指輪、もともと入ってなかったんだよ!」
     思いがけず大きな声になってしまった。辺りがシンと静まり返る。いつの間にか僕たちを遠巻きに眺める人だかりができていて、みんなが固唾を飲んで見守っているのだった。
     颯汰くんがジャバジャバと噴水から出てくる。雨のクリスマスイブ。膝から下を濡らした男が二人、僕の言葉を待っていた。堪えきれずに吹き出してしまう。
    「ごめん!昨日、指輪を探してたら、どれもなんだかしっくり来なくてさ。ナリさんこだわりあるだろうから、一緒に選べばいいや、って思って、ケースだけ買ったんだよ」
     ギャラリーがどよめく。遠慮がちな笑いがさざなみみたいに広がっていく。
     きょとんとした顔をしたあと、「マジっすか!よかった!」と叫んだのは、酔っ払い氏。颯汰くんは「ノエさん……」とだけ呟いて唇を噛んだ。
     ギャラリーをかき分けるようにして、小走りでこっちに向かってきたのはナリさん。見たことのないスカートを履いている。それだけで嬉しかったんだけど、第一声は、僕向けじゃなかった。
    「ちょっとー!笹団子アイスのバカ息子じゃない!」
    「あッれ?カメラマンさんすか?」
     どうやらナリさんと酔っ払い氏は顔見知りらしい。そしてやっと僕の方を向いて、言う。
    「ノエ、今日も面白すぎる。颯汰くんは優しすぎる。で、あんたはバカすぎる!」
     
     ナリさんが僕ら3人に傘を差し掛ける。
    「とりあえずどっか避難しようよ。寒いし、恥ずかしい」
     と、いうことで、僕たちは近くのサブウェイを目指すことにした。
     途中でコンビニに寄ってタオルを4枚買う。サブウェイまでの道中で、僕はレストランにキャンセルの電話をかけ平謝りする。ナリさんは笹団子アイス氏についての説明を始める。

     一昨年の夏、ナリさんと酔っ払い氏ーー改め笹団子アイス氏は、T市の夏祭り取材で知り合ったそうだ。
     そして、ナリさんが彼と知り合う1年前の夏祭りの日、笹団子アイス氏は、僕が呼び込んだ(とされる)ゲリラ豪雨により、今の嫁と結ばれた。だから僕は彼にとって縁結びの神なんだという。

    「マジっすか!そんな恩人に俺、なんちゅーことを!」
     笹団子アイス氏は頭を抱え込む。
    「ほんとだよ。でもあんたにとってはすごい幸運だったね。ほらほら、お礼言いたいだけ言いなさいよ」
     ナリさんに促され、彼は僕の前に立ちはだかり、深々と頭を下げる。そのままの姿勢で威勢よく何ごとか喋っていたが、僕には「うー」とか「だー」としか聞こえなかった。何語なんだろう。
     後でナリさんが教えてくれたところによると、彼は、縁結びのお礼と、再会の喜びを述べ、来年の夏祭りではどうかうちに泊まってくれ、と懇願していたらしい。
     そして、サブウェイに着くなり、スマホを見て「あ、嫁と連絡つきました。俺、行きますね!」と言う。
     なんでも、二人で東京に遊びに来て、イルミネーションを見ていたらはぐれてしまい、テンパってウロウロしていた時に僕にぶつかったらしい。
    「ノエさん、本当、サーセンっした!T市で会いましょう!」
     自動ドアが開ききるより先に出て行こうとして、肩先をドアにぶつけながら、彼は去った。
    「あ、また名前聞きそびれちゃった。今年の夏も来年の夏ももう笹団子アイスなんか売ってないのにね」とナリさんは笑う。
     
    「で、颯汰くんは? なんであそこにいたの?」
     続けて、ホットチョコレートのカップで暖をとりながら尋ねた。颯汰くんはズボンの裾をパンパンとタオルで叩くように拭きながら、不貞腐れ気味に答える。
    「ノエさんが心配だったんです。何か不運に見舞われそうで……」
    「そしたらその通りになったから噴水に飛び込んだ、と。でも颯汰くん、なんで? なんでそんなにノエを気にするわけ?」
    「そうだよ、颯汰くん。クリスマスイブなのに俺の尾行なんかして……って、え?今日だけじゃなかった?尾行?」
     あの気配は颯太君だったのか?
     だけど、僕とナリさんがどんなに問い詰めても、颯汰くんは「今は言えません。いつか言います」としか答えなかった。気になるけど、彼は頑なで、僕たちは諦めた。
     颯汰くんはズボンの水分をあらかた拭き取ると、メリークリスマス、と微笑んで店を出ていく。
     
     なんだったんだろう、ここまでの時間。時計を見ると、待ち合わせの時間から1時間経過していた。なんだか無性におかしかった。自分らしくて。
    「俺たちも帰ろっか」
     サブウェイを出ると雨は止んでいた。
     脱力している僕の腕に、ナリさんが腕を絡めてきた。そのまま僕のコートのポケットに手を入れ、ゴワッと毛羽だった箱(かなり湿っぽい)に触れたらしく、ゆっくりと僕を見上げた。
     今日のメインイベント忘れてた!
    「ナリさん、あのさ。あのね」
     僕は自然と破顔している。
    「ナリさんと会ってから、俺、いいことしかない。死にかけたり、怪我したり……いろいろあったけど、全部ナリさんとのいい思い出になっちゃってるんだよね」
    「そうだね」
     ナリさんは寒そうに首を縮めて嬉しそうに微笑んでた。
    「結婚、してもらえますか」
     最高のロケーションで、と心に決めてたことなんか忘れて、口をついて出た。ラーメン食べませんか、餃子もつけますか、みたいな口ぶりで。
     ナリさんは合図のようにゆっくり瞬きをする。その黒い目にイルミネーションが反射している。

    「指輪ケース、パカッてやらないの?」
    「あ、忘れてた」
    「そのためにあんな大騒動になったのに?」
    「だよね」
     肯定はしたけど、そのポーズを取るでもなく、そのまま僕たちは歩き続けた。ポケットの中では手を恋人繋ぎにしながら。
    「さっき、指輪は、一緒に選びたい、って言ってた?」
    「うん。ナリさん、好きなデザインがあるでしょ?きっと」
    「うん。ありがと。頼みたいデザイナーさんがいるの」
    「いいね。似合うの作ってもらって。ずっとつけてて」
    「うん。今日のサプライズ、100点満点で200点だよ」
     どこまでもイルミネーションの道は続いている。どこまでも歩けそうだけど、いや、そんな場合ではない。僕はやっと歩を止めて、ナリさんに向き直る。
    「で……、結婚はしてくれるんでしょうか?」
    「あー、その前に、指輪の前に、1つ欲しいものがあるの」
    「なに?」
    「ケガ日記」
     そう答えるナリさんの真意がわからない。あればっかりは恥ずかしくて、見せたこともないのに、あげられるわけがない。ナリさん、俺を困らせようとしてる?
    「あれってノエの戦いの記録じゃん。あれほど愛しいものって他にないと思うよ。でも、あれがあると……怪我を待っているみたいな気もするの。だから、私がもらって封印する」
    「封印、って……RPGっぽいね」
     うまく冗談にできなかったよ。だってナリさんはすでにケガ日記を封印してる。
     帰ったら、ケガ日記を渡すことを約束すると、ナリさんはキッパリと言ったんだ。
     「結婚します」って。
     
     1月の終わりに颯汰くんがバイトを辞めることになった。
     便利屋の仕事はだいたいわかったし、そろそろ地元に帰って母の面倒を見ながら、便利屋を始めてもいいんじゃないか、と思ったからだという。イケメンで人当たりがよく、仕事ができる。きっと人気の便利屋になるだろう。僕は快く送り出すことにした。
     ナリさんを交えて、家でやった小さな送別会。颯汰くんが帰ると、手紙が残されていた。手紙なんて奥ゆかしいものを残していくあたりもイケメンがすぎる。ナリさんと二人で便箋を広げた。

    「まず最初に、偽名でバイトをしていたことを謝ります。
     僕の本当の名前は、勝見洸太です。15年前は、中尾洸太でした。なかお・こうた、この名前、聞き覚えありませんか?」

     目に飛び込んできた書き出しの一文に、僕は叫んでしまう。
    「中尾洸太くんだったのか!」
    「え?誰だっけ?」
    「高1の時の、自転車事故の……」
     息を飲むナリさんを横目に、僕は当時の情景を思い出す。
     幹線道路にかかった陸橋のスロープ。上機嫌で自転車を飛ばして滑り降りていた僕は、誰かがイタズラで張ったテグスのトラップに見事、引っかかった。自転車ごと何度も回転しながら転倒した。
     あの時、目に涙を溜めて駆け寄ってきた小さな男の子は、颯太くんだったのか。
     僕は彼に救急車を呼ぶように言い、「イタズラしたことは黙っとけ」と伝えたんだ。彼が重い罪に問われないように。自分は死ぬと思ったから。
     そうか。中尾洸太くん。大きくなったな。
     
     僕は続きを読む。
     
    「あのあと両親が離婚したので、僕は母方の苗字を名乗るようになりました。
     あの頃は、家の中が殺伐としていて、僕と犬のリッキーをどちらが引き取るのか、両親は揉めてばかりでした。
     それで、僕は、あの時、ノエさんの事故の原因を作ってしまったのです。
     ノエさんが、このことは黙っておけ、と言ったのをいいことに、僕は誰にも何も言わず、自分の罪を隠して大人になりました。
     本当に苦しかった。だからと言って、罪を告白する勇気は僕にはありませんでした。

     僕はノエさんが今何をしているのか、元気でいるのか、去年から調べ始めました。
     それで便利屋をしていることを知り、偽名で雇ってもらったのです。
     便利屋のお客さんから、ノエさんのたくさんのケガ伝説を聴き、心配になって時々尾行していました。
     イブの日、噴水前にいたのはそういうわけです。

     ノエさん、今更だけど言わせてください。本当にごめんなさい。
     そして、元気に生きていてくれてありがとうございます。
     ノエさんに会って、ノエさんが心からの優しさで、僕の罪を隠してくれたことを確信しました。
     ノエさんを尊敬しています。
     僕もノエさんのように、強く、人に幸せを分けられる人になりたい。
     嫌われそうでやっぱり怖くて、本当のことを言えなかったけど、会えてよかったです。
     どうかナリさんと末長くお幸せに。」

    「なんだよ、颯太くん。連絡を取りたかったのは俺の方だよ」
     空くうに浮かんだつぶやきの向こうで、ナリさんが婚約者の目も憚らずに鼻をかんでいた。

     12月24日。
     吹っ飛ばされた指輪ケースは、僕に思いがけない贈りものをもたらした。
     僕はきっと、幸運な男だ。
     

    (了)


    ⚫︎あとがき
    やっぱりハッピーエンドが好きなのです!
    そして、この子達が大好きすぎるので、まだ続きを書くと思います。
    ここまで、一連の作品を全て読んでくれた方、奇跡をありがとうございます。心から感謝です。便利屋のクーポンを差し上げたいです。

    美柑🍊

    ⚫︎本編

    ⚫︎本編の半年後
    ※颯太(洸太)が起こしたあの事故の話も語られます

    ⚫︎高校時代
    ※颯太(洸太)が起こしたあの事故の当時


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    美柑

     
     
    noteデビューを機に、小説を書き始めました。 数年前にとある国に移住し、永住権保持者になりましたが、 息子が「日本の学校へ行きたい」と言い出したため、現在、一時的に東京暮らし。 TBS NEXT Writers Challenge 2025 一次選考通過(シナリオ公募)。

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