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いろんな寂しさがある

    よりによって春だ。

    どれほど空が綺麗で、僕がなんでもできるような気がしても、もう何もするべきことはないから寂しくて、困っている。

    雑居ビルのワンフロアで一緒に暮らしていた恋人がヨーロッパに帰った。僕も彼女もそれぞれの人生をうまく進めていくために、僕は日本に残って彼女はヨーロッパに帰ることにした。

    出発の日が近づくにつれ、家の中の彼女のものが減っていった。靴の多い2人だったからいつも踏み場のなかった玄関も、今はブーツを落ち着いて履けるくらいのスペースが生まれている。家を分け合って暮らしていたのだから、片方がいなくなれば片方分の不在が生まれる。

    綺麗好きな彼女はとりわけ台所が整理されていることを気にしていた。今は台所のカウンターに黒胡椒が散らかり、食べかけのパンも放り出されている。汚くすると彼女の機嫌を損ねてしまうから気をつけていたが、今は誰も機嫌を悪くしない。

    午前中にはよく2人で喫茶店に行ってコーヒーを飲んだ。いつでも僕がアイスコーヒーで彼女がホットコーヒーだった。今では僕は、朝1人でコーヒーを淹れて、氷を入れたマグカップに注いでそれを興味ないようにただ飲んでいる。

    空間的にも時間的にも彼女と分かち合っていたから、今は突然できたその空白が空白として目を背けないほどに存在している。

    彼女がいなくなってすぐに、バクトという大きな祭りをやった。中心となっていたのは一緒に寮でイベントをやってきていた後輩たちで、僕は端っこでちょっと手伝いをした。イベントは忙しくてちょうど良かった。けれど、僕がいなくてもこんなに大きなイベントができるのは、傲慢だけれど寂しかった。何かを作らなければ僕は認められた気がしない。僕がいなくてもみんなすごくて、だから困る。

    大好きな人がたくさんいる。けれど話すことが思いつかないし、何を一緒にすればいいかも分からない。ちょろっと散歩に行くとか、喫茶店に行くとか、そこら辺で話すとか、したいけど何故かできない。大好きなのはその人と過ごしてきた時間とか思い出があるからで、僕はもう直ぐ京都を離れるんだろうから、これからがなくて、これからの話がなければもう何も話せない気がしてしまう。

    記憶があんまりない。あそこの美味しいお店、知ってる?と大好きな友達に聞いたら一緒に行ったことがあったりして、僕は何をしてるんだろうと思う。何をしてきたんだろう、か。

    僕がそこからいなくなっていっている。多くの人は、四月一日とか分かりやすい転換点があって経験するのであろうけれど、僕は緩やかに僕がそこにいないことを確かめる期間を過ごしている。耐え難く寂しい。自分が死んだ後も世界は回っていくんだろう。今はそれを喜ぶよりも寂しがってしまう。だって、もしそうなのだとしたら僕が何かやる意味はどこに見出せるんだろう?

    よりによって春だ、なんでもできる気がして、いつもは、例えばたくさん履修登録をしてみたり、面白い企画をやってみたり、全能感をあてる先があったけれど、不安の中に宙吊りで、僕ただ寂しい。

     
     
    東京のニート 書いてることは全部嘘です

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