
私が学生だった頃 〜メモの真実〜
ちょっと変わった先生がいた。先生の名誉のために、学生時代のどの場面で出会ったかは伏せておきたい。もしかすると、当時の年齢から考えて、天に召されているかもしれなが。
ここで、私が通っていた学校と私がどのような学生だったか知ってもらうために、ちょっとだけ背景を紹介したい。
私が通っていた学校は、ある分野でちょっと知られた学校である。とはいえ、今はそうだが昔は微妙だった。名前は言わないが、テレビに出てくる卒業生もいる。「顔を知らない後輩たち、よく頑張った」そんな学校。もちろん、卒業後に有名になった先輩方もいる。「ありがとうございます。」かな。
そして、そこへ通っていた私はどんな学生だったかというと、入学式早々から、式典中に怒られた。演壇に立つ校長先生に。私個人が起こられたのではなく、新入生全員で。前代未聞の出来事で、そこから数年間、同期生のなかでは笑いのネタになってた。
学校の名誉のために言っておきたいが、決してガラの悪い学校ではない。これからの日本は、どんどん女性も前へ出て活躍しなければいけない、男性は、前に出る女性を支えなければいけない、という大義名分のもと、女子生徒は全校集会で男性よりも前に並ばなければいけなかった。
が、当時からの友人は「女子の方が、よくしゃべるから」と言っていた。確かにそうかもしれない。
とはいえ、今こうして、この記事を書いている間も、テレビで後輩が紹介されている学校である。(これは偶然)
早速だが、この記事の中心になる先生の発言が何だったのかを紹介したい。
それは一言。「メモを取るな」
この一言は、数年後、社会に出た私にとって「やる気がない」「仕事ができないヤツ」という印象を周囲に植え付ける要因となる。
が、そこからさらに数十年たった現代では、実は重要な一言かも知れないと思っている。
この先生が言った「メモを取るな」の理由は、「世が世なら、そのメモを落とすことで、情報が漏れる」からだ。このとき、先生が指している「世」は戦時中である。
現代の情報化社会において、この「メモを取るな」は重要かもしれない。落としたメモが「落書き」ならまだしも「個人情報」ならエライことになる。拾った人がいい人なんて性善説は、残念ながら今の日本では通用しない。古き善き時代の話。
とはいうものの、この言葉を聞いた当時は、性善説がまだ残っていた日本かも知れない。
あっ、でも今は、紙のメモじゃなくてスマホの録音か。
私にとって「メモを取るな」の一言は、良い面も悪い面もあった。
良い面は「覚えられない予定は入れない」ようになった。個人的に「ごめん忘れてた」がキライで、これを言われると「ホンマか?」と言いたくなるからだ。
ちなみに、一度でもこれを言われた相手とは、二度と約束をしないことにした。私にとって、ストレスしか残らないから。
なので、人にはその言葉を使わないように、覚えられないなら「重要じゃない」か「キャパオーバー」だと思って、早々にお断りを入れるようにした。なんなら、即答できるくらいになった。
即答すると、相手に失礼かもしれないが、変な期待を持たせる方が申し訳ない。それに、相手も初めは「失礼な」と思うかもしれないが、「ダメなら次」という選択肢が選べる。必ずしも失礼だけが残るわけではない。
ただ、最近はカッコつけてスマホのスケジュール機能を使う「フリ」をするようになった。フリは大事であると知った。相手に「話を聞いてもらえている」という安心感を与える効果があるらしいと気が付いた。
とはいえ、「予定を入れてくれている」と相手は思っているので、見ようによっては騙しているのかもしれない。
学生時代に染み付いた「メモを取らない習慣」が、社会人なって私に「できないヤツ」のレッテルを張った。どうやら社会人になると「メモを取るヤツ=できるヤツ」になるらしいと知った。先生は「ウソ」をついたのか?
メモは、取りたい人は取ればいいと思うのだが、それを押し付けるのが組織である。仕方がないので、メモを持って聞いているフリをして落書きをしていた。まあ、学生時代に染み付いた、メモを取らない習慣のおかげで、とっても見返す習慣が無いのは、言うまでもない。とったメモの内容を、確認する人がいるわけでもない。
ある日、ある会社の新入社員がトイレにメモを落とし、中身が読まれる事態に発展した。そこに性善説はなかった。あっという間に、その企業の内部情報が、競合他社に広まった。
ただ、幸いなことに当時は今ほど「個人情報」や「コンプライアンス」に関する規定が厳密ではなく(恐らく、個人情報保護法については、まだ法律が施行されていなかったと思う)いわゆる「読まれて広まる」で終わったようだ。学生時代でいうなら「〇〇のことが好き」と書いたメモを落とし、次の日、黒板に相合傘が書かれているレベルなのだろう。はずかしいけど、大事には至らない、みたいな。そう考えると、性善説がなかったのではなく、若干の良心があったのかもしれない。
私は内心「ほれ、メモを取るのは危険もあるんだ」と思っていた。が、その後、転職しても「メモを取るヤツ=できるヤツ」が付き纏ったのは、言うまでもない。性善説は無くなっていくのに、謎の固定概念は残っているのだった。固定概念も多様性の時代に対応していただきたいと切に願う。
その後、私は転職をする。1度目の転職先には、「メモを取るヤツ=できるヤツ」には遭遇しなかった。が、2度目の転職先でメモの悪魔は華麗なる復活を遂げる。何と迷惑なことか。
転職先では最初の1年間は教育係がつき、上司がいた。
ある日、この教育係が、私がメモを取らないことを上司が不思議に思っていると言ってきた。「不思議」は、かなりオブラートに包まれていて、本当は「メモを取れ」と言いたかったのだと思う。
つまり「メモを取るヤツ=できるヤツ」が、ここにもいたのだ。
参考までに、この頃には個人情報保護法は完全に施行されており、私が転職した業種も守秘義務が必要とされる業界だった。もちろん、世の中のコンプライアンスも相当うるさくなっていた。
この教育係に「学生時代の先生に、世が世ならメモを落とすと大変だと言われた」という話をした。「今は戦時中じゃない」と一言で終わった。
その後、教育係は転職したので、もう確認できないのだが、もしできるなら「今でもそう思うのか」と聞いてみたい。
この先生は、「情報の重要性」を知っていた。それを「メモを取るな」という一言で、学生時代の私に教えてくれた。当時から、職種によっては厳しく守秘義務が言われていただろうが、現代のように「情報漏えい」と「コンプライアンス」が厳しくなると知っていたのだろうか。まるで予言者である。
先生は世の中を知る先輩だから、「メモを取るな=リスク管理しろ」を学生にもわかる一言で表現したのかもしれない。「リスク管理」と言ったところで、当時の学生に刺さる言葉でもない。
私は決して、メモを取る人を否定しているのではないし、ケンカを売っているわけでもない。自分がとったメモを管理して役立てられる人は多い。「メモを取るヤツ=できるヤツ」が、実際に存在しリスク管理ができる人を何人も自分の目で見てきた。
ただ、自分のメモを管理できないのであれば、メモを取らずに忘れることもリスク管理なのかもしれないと思う。とはいえ調子に乗って、彼氏や彼女の誕生日まで忘れてしまうことまでは、知らんけど。