
愛読書はファミ通だった。自分にかけた呪いが、40代でやっと解けた話。
小学生のころ、世間体を気にして買ってもらったリカちゃん人形。
ふわふわのブルーのワンピース。ラメが光るハイヒール。
わたしのリカちゃんは服を一着しか持っていなかった。
日常のささいな判断さえ消費しないように、と毎日着る服を決めていた、かのスティーブ・ジョブズとは別の意味で、来る日も来る日も彼女は同じ服に袖を通していた。
当時女の子は、三種の神器のごとく、もれなくみんなリカちゃん人形を持っていて(ジェニーちゃん派の子もいたが)お人形遊びに夢中になった。
長いまつ毛に縁取られた瞳はキラキラと輝き、春風のようなやさしい微笑を浮かべ、亜麻色の髪を艶やかになびかせるその姿に女の子は憧れていた。
女の子はみんなリカちゃんを持っていて、お人形遊びをするものだ。
透明だけど無視できない、色付きのセロファンのような共通認識が当時はあった。
本当に欲しいものではなかったけれど「リカちゃんを持っていない」というバツの悪さから逃れるために、両親にねだって買ってもらった。
それでも彼女の存在が体現するキラキラなライフスタイルには少しの憧れも芽生えなかった。
色とりどりのドレスを好きなだけ着替える楽しみも、サッカーで小麦色に日焼けしたボーイフレンドイサムくんとのデートも。
どこか自分には関係のない話を聞かされているみたいに感じた。
リカちゃんとわたし。友だちなるには共通点が無さすぎた。
結果、わたしのリカちゃんは、初期アバター状態でタンスの奥で眠ることになった。
では、リカちゃんをロールモデルとしない少女は何の夢を見るのだろうか。
当時わたしが寝食を忘れるほどに、熱中したもの。
それは1983年発売のファミリーコンピューター、通称ファミコンだ。
物心ついた時から、まるで空気のように当たり前にあるものだった。
幼少期をファミコンに育てられた、と表現しても言いすぎていないと思う。
弟と一緒にアイスクライマーをプレイしてチームワークの大切さを学んだ。
2Pを犠牲にしてまで掴んだ栄光に何の意味があるというのか?
人は死ぬ。わかってはいるつもりでも、こうもかんたんに死ぬのか。
世の中の理不尽さ、人間の無力さはスペランカーが教えてくれた。
『何もしない虚無の5分間』がクリアの条件だったたけしの挑戦状。当時は分からなかったが、これは明らかにマインドフルネスの先取りだ。忙しなく生きる現代人への啓示だったと今は思える。
そう。ファミコンの世界には、すべてがあった。
ブラウン管が映し出すドットの世界に魅了された幼少期の記憶は、三つ子の魂百までも。
わたしの人格形成にまちがいなく影響を及ぼした要素のひとつだ。
80-90年代はまさにゲーム全盛期の時代で、ゲームが学力低下などの悪影響を及ぼすという風潮も少なからずあった。
家でばかり遊んでいてはダメだと、お達しがあれば渋々外に出かけた。
近所の友だちと秘密基地をつくり、竹ひごで弓矢を作り、木の棒を手にパーティーを組んで冒険ごっこに興じた。
王子さまが助けてくれるのを待つ、か弱き存在ではなく、お姫さまとして生まれながら、自分の意思で城を飛び出し、冒険に身を投じ、ガチムチを極めるドラクエ4のアリーナに憧れた。
そのころはまだ、同年代の女の子の友だちとの違いを自覚していなかったものの、じぶんの好きなものを選ぶ意思は着実に育って行った。
あなたはりぼん派?それともなかよし派?
当時少女たちは、いずれかの派閥に属していた。
大人気のちびまる子ちゃんが読めるりぼんは同級生の間での人気はダントツだった。
わたしはと言えば、りぼん派だった。いや、正確にはりぼん派を装っていた。
りぼんを隠れみのに「ファミ通派」に所属していたのだ。
少女雑誌には当然、恋愛マンガが多くを占める。その甘酸っぱいストーリーの中に知りたいことは何ひとつとして見つけられなかった。
架空の人物の色恋沙汰よりも、最新ゲームの特集、開発の裏話の方が断然楽しいではないか。
ゲーム黎明期である80年代〜90年代。
関連雑誌も数多く創刊されていた。
中でもファミ通やマル勝スーパーファミコンを楽しみにしていて、発売日には近所のコンビニの雑誌コーナーを徘徊していた。
小学生のお小遣いでは毎回ファミ通を買うことはできない。
何せ表向きはりぼん派だ。りぼんは当時一冊400円だった。それに友だちと駄菓子屋へ行ったりして、放課後も付き合いがあるから、極端に節約することも難しい。
親戚からもらう、たまのお小遣いなどの臨時収入でなければ買えないけれど、ゲーム雑誌は表紙を見るだけでもワクワクと心が踊った。
ゲームをしていない時間にも、大好きなゲームの世界を感じられる雑誌は最高だった。
図書券(当時は紙だった)がもらえたときは本当にうれしかった。雑誌の発売日まで待ちきれない気持ちを抑えながら、鍵が掛かる一番上の引き出しに大切にしまい、本屋に行く日を指折り数えたものだった。
図書券に描かれた清少納言と目が合うと、
児童が買うべきはファミ通ではないのだろうな…
と少し後ろめたい気もしたが、いざ雑誌が手に入ればそんな気持ちもすぐに忘れて夢中でページをめくった。
学校に行かずに毎日朝から晩までゲームができたらどんなに楽しいだろう?
本気でそう願うような子供時代を過ごしたのだった。

『大人になったら何になりたい?』
『わたしはアイドルの○○くんが好き!みかちゃんは?』
小さいころにはよくある質問に大抵わたしはこう答えていた。
『んー、特にない』
友だちは苦笑いして、いつも気まずい空気が流れた。
今の直線上に未来の自分がいるとは思えなくて、具体的に想像できなかった。
共感は仲間である証だった。
でも、将来の夢も、好きなアイドルも、みんなが当然持っているものがわたしにはない。
大縄跳びの中に入れなかったような、寂しさ。
ゲームの中でレベル99まで到達しても、それを話せる友だちが現実の世界にはいなかった。
だから、馬鹿正直に「ゲームが好き」だなんて言わないで、周りに合わせておこうと思うようになった。
ゲームとの再会は意外な形で
大人になって、恋に仕事に忙しい毎日の中で、ゲームは少しずつ遠のいていった。
あれほど、朝から晩までゲームできたらいいな、と思っていたのに、大人になって時間にもお金にも余裕があるのに、それをゲームに費やすことはしてこなかった。
それでも子供のころに熱中したゲームの世界を忘れることはなかった。
駅のコンコースを歩いているとき、フリーマガジンやフライヤーが置いてある場所で、見慣れたロゴを見つけた。
思わず近づいて手に取ってみると、それはドラゴンクエストのコンサートのチラシだった。
以前からコンサート自体は知っていたものの、足を運ぶ機会がなかった。
ピコピコ音とも称されるデジタルな音が奏でるゲーム音楽。
それをプロのオーケストラが演奏するというゲーム好きには夢のようなコンサートなのだ。
スマホで撮る写真1枚がファミコン100本分と同じ容量だった時代。
技術的な制限がある中で生みだされた音楽は、時を超えて今でも名曲として語り継がれている。
時とともに薄れていく、幼かったころの記憶を手繰り寄せる気持ちで、ドラクエのコンサート、さらにはファイナルファンタジーのコンサートにも立てつづけに足を運んだ。
ふだんはクラシックのコンサートやリサイタルなどが開催される音響設備の整ったホールで聴くゲーム中の音楽。
小さなブラウン管テレビにかじりついて、何時間も飽きずに熱中していたあのころの景色がありありと浮かんでくる。
ファミコンが同時に奏でられる音はたった3つ。
その限界の中から、なぜあれほどの名曲が生まれたのだろう。
デジタルでくりかえし聴いてきた曲が荘厳なオーケストラに姿を変える。
デジタルな音と、リアルな楽器の音。まったく違う理から生まれるメロディ。
まるで聴覚が全身にあるかのように、360度すべての方位から音を浴びて鳥肌が立った。
会場はぎっしりと埋まっていて熱気が溢れている。みんなかつて子供のころに夢中になったゲームを懐かしみに、ここへきたのだろうか。
ああ、周りにはひとりもいないと思っていたゲーム好きは、本当はこんなにたくさんいたんだ。
毎日のようにテレビに向かい、カセットをセットして、コントローラーを手にしていた。
リアルタイムでは共有できなかったけれど、わたしたちはそれぞれの場所で、たしかにあの時代をゲームに熱中し、共に生きていたんだ。
呪いをとく
80年代〜90年代のファミコン全盛期。ゲームが好きな女の子は、少なかった。実際、わたしの周りにはひとりもいなかった。
SNS、ましてやインターネットもない時代だ。
今では想像できないほど、世界は狭かった。
多数派の声は大きい。
周囲に同じ趣味を持つ子がいなければ「もしかしたら、自分がヘンなのかな」と思ってしまうのも無理はない。
女の子はお人形遊びをするもの。
ゲームは男の子のものだから、女の子はゲームをしない。
世間は間違えるはずがない。
だから、きっと間違っているのはわたしの方だ。
疑うことを知らなかった。
そのまま、鵜呑みにした。
誰かに言われたわけでもなく、両親に禁じられたわけでもない。
いつのまにか、"ありもしないルール"を自分自身に課してしまっていた。
ドラクエの作中には、一度装備すると外すことのできない呪いの装備がある。
わたしが思い込んでいた"ルール"は、まさに呪いそのものだ。
ゲームに性別は関係ない。
そう思えていたのなら、「わたしはゲームするのが好き」と、言えたはずだ。
時代や社会のせいではない。
わたしが自分に呪いをかけてきた。
"女の子らしく"しなければいけないのだと。
その呪いを解いてくれたのが、あのコンサート会場だった。

そこで体感した光景は、あの日のわたしに答えをくれた。
誰かと分かち合った喜びも、ひとり密かに守ってきた感動も。
一人ひとりが大切に胸の中にしまっていたそれぞれの思い出を持ち寄って。
まるで透き通ったクリスタルのように、同じ音楽のもと輝く。
見知らぬ人だらけの会場なのに、どこか深いところでつながっている感覚があった。
コンサートに集うことは、『これが好き』という宣言そのものだ。
わたしの呪いは解けた。
周りとの違いに戸惑っていた、あの日の自分に声をかけてあげられるとしたら。
『世界は広いよ。大丈夫、仲間はたくさんいる』
40代になって手に入れたのは、強さじゃなくて図々しさかもしれない。
でも、たぶんそれでいい。