人生のトロフィー(後
皆さんにとって、ご両親とはどんな存在で距離感はどんなものだろうか。
近くにいる人、遠くにいる人、あるいはもう会えない人もいるかもしれない。親を恨んでいる人だっているだろう。
私は幸せなことに親に恵まれた。
だから今日は、私という一人の人間が、両親という存在の「最期」にどう向き合おうとしているのか。
その個人的な独白に付き合っていただければ幸いだ。
一般的に親孝行と言えば、何を思い浮かべるだろうか。
初任給で食事に誘うこと。旅行をプレゼントすること。形に残る贈り物をすること。
恥ずかしながら、私はそれらをほとんどしたことがない。成人してからは父の日や母の日、誕生日に贈り物を欠かさないようにはなったが。
月に一度、食事を共にする習慣もある。
だが、その支払いは決まって親が持つ。これは私が吝嗇(りんしょく)だからでも、気遣いができないからでもない。
「親が子に払ってもらうのは、違う」
それが二人の譲れないポリシーなのだ。私はその価値観を尊重し、ありがたく甘えることにしている。
だからこそ、せめてもの贈り物は半ば押し付けるようにして渡してきた。「来年からはもういいからね」という親心混じりの拒絶を、数年かけて突破し、最近ようやく素直に受け取ってもらえるようになったばかりだ。
大人になった今、私は親の凄さを痛感せずにはいられない。
私は神戸の出身だが、私が生まれるわずか2年前、この街は大きな震災に見舞われた。その混乱と苦難の背景を思えば思うほど、奨学金も借りさせず、何不自由なく大学まで育ててくれた二人には頭が上がらない。
ある時、親戚を交えた会食で、父がぽろっとこぼした言葉があった。 私の年齢を聞いた親戚たちが「その歳の頃は何をしていたか」という話で盛り上がっていた時だ。父は少し遠くを見るような目で、こう言った。
「俺は、そのぐらいの歳の頃は……本当に頑張ってたな」
その一言が、不意に心の奥底を突き上げてきた。
今の私と同じ年齢の時、二人はすでに幼い私を抱え、懸命に生活を営んでいたのだ。今で言う副業のような仕事もこなしながら、文字通り必死で私を育て上げていた。
数年前、母が長年続けていた家計簿をやめたと聞いた。
理由を尋ねると、「もう、いいかなと思って」と笑っていた。 私を一人前に育て終え、ようやくお金の心配をする必要がなくなったのだ。
二人は文字通り、一人の人間を完成させた。それは今の私には、到底真似できない偉業に思えた。
そんな温かな二人に対して、私ができることは何だろうか。 私は結婚などを具体的に描いているわけではない。孫の顔を見せるという、世間一般の分かりやすい親孝行はできないだろう。
だからこそ、私は決めたのだ。 この温かな二人の最期を、この手でしっかりと看取りたい、と。
これは決して「長男だから」という義務感ではない。
あまり贈り物を受け取ってくれない両親へ、私が人生をかけて用意できる「最大級の贈り物」のつもりなのだ。
彼らが生きている間に私にできることといえば、私の元気な顔を定期的に見せることくらいだろう。
それだって、結局は私の自己満足に過ぎないのかもしれない。
けれど、日々の何気ない時間を積み重ね、その延長線上にある「最期」というゴールを、誰よりも近くで見届けること。この贈り物を無事に完遂することこそが、私にとっての人生最大のトロフィーなのである。
現在、私は三十路で、両親は50代前半。 不慮の事故や災害さえなければ、この幸せな、少し独特な関係はまだ続いていくだろう。
このゆったりとした時間を、もう少しだけ噛み締めていたいと思う。そして、役割を終えた二人には、これからの時間を心ゆくまで、自分たちのための時間として楽しんでほしい。
皆さんにとっての「人生のトロフィー」は、一体何だろうか。
恋を実らせること、富を得ること、あるいはただ「幸せでありたい」と願うこと。
色々な形のトロフィーが介在するこのせわしない世界で、自分は何を望み、どこへ向かいたいのか。
一度立ち止まって、自分の心を見つめ直してみてほしい。
納得のいく答えが見つかるかはわからない。あるいは、最初から「これ」といった形などないのかもしれない。
けれど、何かに急かされることなく、あなたなりの幸せな時間を過ごせること。 私は、それこそを切に願っている。
添付写真:ふたりの、とある日常より。
