
小学生ぶりにプラネタリウムに行った話
6月は制作期間。
曲を書いて、言葉を書いて、考えて、また書く。
そんな日々を繰り返していたら、
頭のてっぺんから足の先まで絞っても絞っても一滴も出てこなくなった。
インプットをしなければ!と小学生ぶりにプラネタリウムへ行った。
なぜプラネタリウムだったのか。
ただ宇宙や量子力学が好きだから。
(「じゃあなぜ今まで行かなかったんだ」という自分へのツッコミはとりあえず閉まっておく。)
プラネタリウムではたくさんの星が映し出された。
そして星には星座があって、星座には神話がある。
小学生の頃はただ綺麗だなと思って見ていたけれど、今は少し違う見方をしてしまう。
「昔の人はどうして星を見て、あんな物語を思いついたのだろう。」
高層ビルもなく、人工的な光も少なかった時代。
空を遮るものはなく、夜空は今よりずっと広かったはず。
人々は空を見上げ、無数の星を勝手に線で結んだ。
「あれは人だ」
「あれは動物だ」
と言い始めた。
さらに、その人がどんな人生を歩んだのかまで想像した。
そしてそれを誰かに話し、神話になった。
今考えるとかなり大胆だ。神話の中にも「何じゃそれりゃ」みたいなものもある。
でも、なんだか羨ましくもある。
現代人が今、神話を作って人々に話したらおかしい人と思われるだろう。
完全に私の勝手な持論だけど、現代はMBTIでいう"S"的な世界になっている気がする。
(MBTIが苦手な人ごめん!笑)
現実を見る力。
役に立つこと。
数字になること。
正しいこと。
もちろんどれも大切だ。
私たちは昔より、向き合わなければいけない現実が増えた。
スマホを開けば通知が届く。
SNSを見れば誰かと自分を比べてしまう。
仕事や学校では結果が求められる。
現実は年々解像度を上げながら、私たちの前に現れる。
その一方で、星を見て神話を作るような"N"的な余白は減っているのかもしれない。
私たちは昔の人よりたくさんのことを知っている。
星が何でできているのかも知っているし、宇宙の広さだって知っている。
でもその代わりに、星座を見て誰かの人生を想像することは減った。
これが良い事なのか否かは断言できない。
そんなことを考えながら星を眺めていた。
いや、考えすぎかもしれないけど。
曲を書くことも、もしかしたら神話を作ることに少し似ているのかもしれない。
誰かの日常や感情に勝手に輪郭を与えて、物語にする。
誰しもが何もないと思うところに意味を見出す。
創作とは、ある意味で壮大な勘違いと言われるようなことなのかもしれない。
P.S
プラネタリウムでは「旅する星空解説員」さんが案内をしてくれた。
その方は大学で哲学を学んでいたらしい。
だからだろうか。
星の説明を聞いているのに、どこか人生の話を聞いているような気分になった。
言葉の選び方が素敵だった。
帰り道、本屋に立ち寄って、前から気になっていた哲学書を買ってみた。
そしたら昔から引っかかっていたこと(疑問?)が少し腑に落ちて心が楽になった。
その話はまた今度書こうと思う。