
旅立ちは関わり方が変わるということかもしれない
今日、母が旅立った。
まるで、私の長い祈りの旅…
百観音満願の終わりを待っていてくれたかのようなタイミングだった。
善光寺と北向観音を巡り、ようやく百観音の満願(結願)を迎え、今日、母に報告に行く予定だった。
あと数時間生きてくれていたら…。
そんな思いもありながらも、私は静かに母の訃報を受け止めた。
もちろん悲しい。
寂しくないわけもない。
それでも心のどこかで、「お母さんらしいな」と思った。
きっと安心したのだろう。
そんな気がしている。
この5年間で何人もの大切な人を見送った。
悲しみに慣れることはない。
けれど、死というものに対する感じ方は少し変わったように思う。
死とは終わりではなく、かといって何かの始まりというほど大げさなものでもなく、その人との関わり方が変わることなのかもしれない。
肉体という形はなくなる。
声も聞けなくなる。
会話もできなくなる。
でも、その人が消えてしまうわけではない。
ふとした瞬間に思い出すことがある。
何かを見て、「あの人は何と言うだろう」と考えることがある。
風の匂いや季節の移ろいの中に、その人を感じることもある。
そんなふうにして、その人は自分の中や周りの世界に溶け込んでいくのだと思う。
今日、私が感じたのは、別れというよりもずっと続いていく、遠い道のりをこれからも母の存在を感じながら歩いていくような、そんな地続きの感覚だった。
昨日までと今日が完全に分かれているわけではない。
母がいた世界と、母がいない世界が断絶しているわけでもない。
ただ関わり方が変わっただけ。
その存在の感じ方が変わっただけ。
母が旅立った。
そして私は、これからも母との関わりを生きていく。
このずっと続いていく、地続きの感覚を抱きしめながら。