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Photo byforgiveness1

実家じまいと父の死と。帰る場所を手放した1年。

    最期の握手

    父を最後に見舞ったのは、亡くなる少し前のことだった。
    「握手しよう」 そう言って、やせ細った体を起こし、父は手を差し出した。

    施設でお世話になっていたので、頻繁には行けなかったが、時々顔を見に行った。
    骨ばかりの節くれだった手は、冷たくゴツゴツとしていた。 少しずつ「その時」が近づいていることを、私は肌で感じていた。

    昔からいろいろとあった父。
    尊敬できない点もたくさんあった。
    口を利かない時期もあった。
    けれど、もう何十年も経ち、父がこの世にお別れを告げる段階に来ているという現実を前にすると、昔のわだかまりはなぜか全て消化され、昇華して、「もうどうでもいい」と思える自分がいた。

    「許し」という言葉をよく聞く。
    人生には「許せない」と思うことがたくさんあり、未消化な感情はまだ心のどこかに澱(よど)み、留まっていると感じることもある。
    でも、父とのあの握手は、すべての「許し」であり「和解」だったような気がする。
    最期の握手は、すべてをチャラにする儀式だったのかもしれない。

    なぜあの時、父が「握手しよう」と言ったのか。
    その真意を聞くことはもうできない。
    だからこそ、私の勝手な解釈が「正解」でいいのだと思う。
    言葉ではなく、触れることで、父は私に最後の区切りのつけ方を教えてくれたのかもしれない。

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    家族旅行の父(1997年かな)

    見上げた空の色と風

    高齢者施設は、少し不便な場所にあることが多い。
    父のいた施設も、電車とバスを乗り継ぎ、坂道を歩いた先の高台にあった。
    バス停をひとつひとつ辿り、子ども時代を過ごした街並みを眺めながら、 暑い日も、肌寒い日も、時には「少し面倒だな」という正直な気持ちも抱えながら、お見舞いに行った。

    父の部屋から見渡す景色はとても良く、環境的にも素晴らしい場所だった。
    スタッフの方たちも本当によく見てくださっていた。
    それでも、行くたびに父は小さくなっていった。
    「もう歩かないので杖は引き取ってください」
    「もうこの靴も履かないかな」
    段階的に父が弱っていくことを、不要になっていく物から察せざるを得なかった。

    父を見舞った後、バスを待つ時間、私は何もない空をただ見上げていた。
    1時間に1本か2本のバス。
    周囲には時間を潰せる場所もない。
    時々、風を感じながら先のバス停まで歩くこともあった。
    いつか、このバス停のことも思い出さなくなる日が来るのだろうか。

    父の人生は、決して順風満帆とは言えなかった。
    母も私たちも貧しかった。
    けれど、祖父母に助けられながら、困窮することなく幸せな子ども時代を過ごせたことは事実だ。
    ふと、「父はこんな良い場所で介護されるに値する人間なのだろうか」という冷めた問いが頭をよぎることもあった。
    けれど、晩年は母とお遍路に出かけたり、様々な人生修行を通して、父の人格も少しずつ磨かれていったのだと思う。
    何より、この施設で穏やかに過ごせたことは、娘たちに迷惑をかけまいとする、父なりの家族への最大の思いやりだったのではないか。

    後付けで意味づけを変えることは、いくらでもできる。
    人は、自分の心が救われるように解釈して生きていく生き物なのだから。

    期限切れのパスと、誰もいない実家

    振り返ると、少しずつ身体機能が衰えてきて3年前に父の体調が急変し、救急車で運ばれて「もう覚悟してください」と言われたのが始まりだった。
    奇跡的に回復して、在宅の介護が始まった。
    80歳まで仕事をしていた母は仕事を辞めて、介護に専念すると言っていたが、デイサービスとの併用でも父の状況は悪くなるばかり。
    夜中にアイスクリームを食べたり、昼夜逆転するような生活になったりで介護していた母も限界を迎え救急車で運ばれた。
    その後介護は難しいということになり、ケアマネさんが探してくださった施設になんとか入ることができた。
    母も体調が悪くなって何度か入退院を繰り返した。
    そんな時、妹が本当によく動いてくれて、私は頼りない姉だった。

    母の入院中、時々誰もいない実家へ行き、片づけやゴミ出しをした。
    ふと目に入ったのは、父がもう使うことのない「シルバーパス」。
    有効期限が切れたそれを見た時、なんとも言えない切なさがこみ上げた。

    父母のいない実家にぽつんと一人でいると、時が止まったような不思議な感覚に襲われた。
    正直に言えば、誰もいない実家に一人で入るのが、最初は怖かった。
    たぶん、現実を直視したくなかったのだろう。
    妹に「行ってみて」と言われても、遠さを理由に、仕事の忙しさを理由に、足が遠のいていた自分を今思い出しても情けないと思う。

    けれど、実際に行ってみると、そこにはもう「自分の家」という感覚はなかった。
    父と母がいて初めて、そこは「実家」だったのだと妙に納得した。

    私は40代で夫を亡くし、義父母を続けて看取り、1年で3回葬式を出した経験がある。
    人生のどん底だった数年前、疲れ果てて実家へ帰った時、父母と話し、母のご飯を食べ、気配を感じて眠れる安堵感にどれだけ救われたか。
    父も母もきっと言葉にはしなかったが、私のことをどれだけ心配しただろう。
    今考えても胸が痛い。

    思い返せば母の話によると80歳近くまで警備の仕事をしていた父が迷子になったり、銀行の前で自転車ごと倒れて銀行の方にお世話になったり、3時間もどこに行ったか分からなかったということがあった。

    若い頃はいろいろあった父も仕事だけはまじめに行き、体も健康で1度くらいしか入院したこともなく、登山を楽しみ、友人と食事に行ったり、母とハワイに行ったりと充実した老後を過ごしていた。
    その状況はずっと続くとなぜか娘は思うのだ。
    親が子どもを成人しても子ども扱いするように、子どももずっと親は現役の時のように元気でいるものと思ってしまう。

    数年で状況は一変する。
    それも受け入れ、手放し、それでも私は生きている。
    そんなことを静かに噛み締めた。

    父の静かな旅立ち

    その父が、昨年秋に亡くなった。
    「もう危ないかもしれない」と施設から連絡があり、母と妹は間に合ったが、遠方の私は間に合わなかった。
    翌日に休みをもらって行く予定だった矢先の、静かな旅立ちだった。

    父の葬儀は家族葬で、穏やかなものだった。
    子どもたちは仕事や学校の都合で顔だけ見に来たり、葬儀に出たりとできる範囲で見送った。

    葬儀は家族だけの時間最後の時間。
    家族だけで思い出を振り返り、見送る。
    これまで経験したどの葬儀よりも、心安らかな気持ちになれた。
    葬儀社の方が会場でスライドショーをしてくださるということで、10枚ほど選んだ写真がゆっくり流れ、私たち家族の何十年という時を、父と共に振り返ることができた。

    さようなら、お父さん。

    涙もなく、ただただ静かに感謝で見送るという経験は、私にとってかけがえのないものとなった。
    都会の火葬場は多くの人がいて、それぞれに遺影を持っていたり、最期の最期のお別れでお坊さんがお経を唱え、みんなで手を合わせていたり、その中に私たちもいた。
    田舎の火葬場は時間がかかるが、父は1時間ほどで骨になり、小さい台の上に骨がまとめられ、骨壺に入れられた。

    父と母は生前に永代供養の手配も済ませており、終活も万全だった。
    トータルで考えれば、父はとても幸せだったと思うし、穏やかで円滑な人生の終わり方は、遺された者への最大の贈り物だと感じる。

    四十九日法要までは妹のところにいて、法要後ご住職がお骨を預かってくださり、永代供養へ。
    一区切りついて安心したと同時に、本当に父は旅立ったのだと実感した。

    区切りがついてnoteにまとめていくと、次々と思い出されていく幼い頃の思い出。
    公園にテニスやバトミントンをしに行って帰りにジュースを飲んだことや私が社会人になって初給料で何かプレゼントしようとしたら「お金でほしい。帽子を買うから」と言われてカチンときたこと、嫌なことを言われてて半年くらい口を利かなかったことなど、良いことも悪いことも年齢を重ねると思い出はより美化されて記憶の中に格納されていく。

    実家を退去

    父が亡くなる約2か月前、賃貸だった実家を退去した。
    後から考えると、実家じまいを待っていたかのような、あるいは、自分の帰る場所がなくなったことを父なりに感じ取っていたかのような、そんなタイミングだった。

    表札を外し、全てを運び出し、あとは業者が来るのを待つだけ。
    「実家じまい」という言葉には寂しい響きがあるが、実際にやってみると、家を離れて何十年も経っているせいか、悲しみよりも「スッキリした」という清々しさが勝っていた。
    実際は妹が主導してくれたおかげだが、協力して手分けしてやり遂げたという実感は、姉妹の絆として残った。
    リサイクルできるものは引き取って売却するということだったが、私が若い頃、デンマークに行った時に買ったロイヤルコペンハーゲンのお皿は高く売れたというのを聞いた。
    ちょっと複雑だったけれど、ゆとりがあれば私が持って帰ってきたかったけれど、妹に任せた分、私はまた自分で働いてお気に入りの食器を買えばいい。

    そういえば、妹が、祖父が撮影した8ミリビデオをDVDにしてくれた。
    音声のない映像の中で動く幼い私。
    当時の思いが蘇り、「確かに私はこの人生を生きてきたんだ」という確かなものを感じた。
    当時の友達、ピースをしている男子たち。
    八ミリビデオで撮影するというのは当時あまりなかったように思う。
    祖父は映画会社にいたこともあったのだと思う。

    実家のお別れ会のような、最後の片付け。
    きれいにして、近くのお店でランチをして母の口座を統合するため銀行で手続きをしてあっという間に1日が終わった。

    家族の歴史を振り返りながら、昔、父たちと五竜・唐松岳に登った時に詠んだ短歌をふと思い出した。

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    あの時の夕日

    恥ずかしくて処分したが、私が結婚するときに父にメッセージカードを書いたのだが、それを父は大切にしていたのだ。
    そこにもこの短歌を書いていた。

    人生の険しき山を越えてきた 父の背中に集まる夕日

    実家じまいの現実と、消えゆく街の記憶

    不用品の処分費用は、業者によって本当にピンキリだった。
    妹が見積もりを取ってくれたが、80万円、50万円、そして20万円ちょっと。
    幸い、地元の信頼できる業者さんが20万円台で引き受けてくれた。
    管理会社からは「〇十年、きれいに使っていただきありがとうございました」という言葉をいただき、すべてがスムーズに運んで本当に良かった。

    片付けの途中、幼稚園の卒園文集が出てきた。
    版画の自画像の下には、親からのメッセージ。
    「この幼稚園、大好きだったなぁ」

    のこぎりや金づち、彫刻刀などを使って手を動かして、散歩に行ってつくしの佃煮を先生が作ってくれて食べたり、チャボを買って夏休みにはお掃除当番があって卵は持ち帰ってよかったのだけれど、嫌いな友人のお母さんが持って帰ってイやな思いになったり。
    ドジョウのつかみ取りをお祭りとしてやったり、泊まりで群馬に合宿に行ったり、かさじぞうという劇でおじいさん役をやったことや、運動会では応援団長(当時女でやる子どもはいなかった)をしたりなど、今ではできないような生きる基本を教えてくれたような幼稚園だった。

    成人式に撮影した写真も持ち帰った。
    私は祖父母や両親に大切にされて育ったのだと改めて感じる。

    実家じまいは、物を処分する作業でありながら、記憶との距離を測り直す時間でもあった。

    最近、よく思う。
    どこかを訪れるとき、「また来ようね」という気持ちと、心のどこかで「もう二度と来られないかもしれない」という感覚を持っていることを。
    同じ景色を見ても、昔のことを思い出しても、 年を重ねると、物の捉え方は確実に変わっていく。

    レンギョウの黄色い花を摘んで遊んだこと。
    ツツジの蜜を吸って、たくさんの花を捨ててしまったこと。
    木登りした木が、いつの間にか見上げるほど大きくなっていたこと。
    ラジオ体操をした公園。
    父も母も迎えに来てくれたバス停。
    祖母が手を振ってくれた帰り道。
    家族4人で分けて飲んだ、自販機のペプシの味。
    蓮華を摘んだ田んぼ。
    恋バナをしたベンチ。
    こっそりかけた公衆電話。

    あの時、一緒に過ごしたみんなは、今どこで何をしているのだろう。
    駄菓子屋はなくなり、商店街は廃れ、新しいマンションが建ち、古い建物は消えていく。
    成人式の写真を撮った老舗の写真館も、コロナ禍で閉店していた。

    街の姿は移り変わる。
    もうこの場所に来ることはないかもしれない。
    時々Googleマップで懐かしみながら、私は新しい時間を刻んでいこうと思う。
    2025年は、実家を手放し、父を見送り、ひとつの町とそっと距離を置いた、そんな1年だった。
    それでも、確かにここにあった時間は、これからも私の中に静かに残り続ける。

    【番外編】フラワーエッセンスの不思議と父の形見

    私は時々、フラワーエッセンスをセルフリーディングして生活に取り入れている。
    主にバッチフラワーエッセンスとマウントフジフラワーエッセンスを使っているのだが、父の亡くなる時期まで何度かマウントフジフラワーエッセンスのシロバナタンポポが選ばれた。
    シロバナタンポポのキーワードは「男性エネルギー」。
    ずっとシロバナタンポポのことが頭から離れなかったのはなぜだろうとその時はわからなかった。
    しかし、父が亡くなるという事実を前にして、「そういうことか」と納得した。
    これは偶然の一致とは思えず、もしかしたら、父の死を静かに受け入れ、父との間にあった過去の色々な思いをフラワーエッセンスが溶かしてくれ、穏やかな気持ちで見送ることをサポートしてくれたのではないかと感じている。
    フラワーエッセンスの作用は言葉にするとチープになったり、感覚を的確に言い表していると思えないこともある。
    だが、自分の心と向き合い、花のエネルギーと呼応することで生きている中で起こる様々な事象をともに乗り越えてくれる心強いパートナーであることに変わりはない。

    父の形見というものは正直ない。
    20歳の時にプレゼントしてくれた金のネックレス2本は今もずっと大切にしている。
    父が暇に任せて作ったチラシを追って組み合わせる鍋敷きや綺麗な和紙で折った楊枝入れは捨てられない。
    たくさんあったので、おすそ分けしたのだけれど、今も食卓に鍋敷きは使われ、楊枝入れはそのまま大切にしまってある。

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    【追記】実家じまいと父の死を通して伝えたいこと

    今回、実家じまいと父の見送りを経験して、「やっておいてよかった」「こうしておけばよかった」と思うことがいくつかありました。
    これから実家じまいや親の終活に向き合う方へ、私自身の体験から感じたことを記しておきます。

    1. 医療・介護のリサーチと「つながり」を作っておく
    両親が元気なうちから、地元の行政サービスや地域包括支援センターについて調べておくことが大切です。
    特に遠方に住んでいる場合、「何かあったとき」にどこにも繋がっていないと、病院探しや介護申請を一から始めることになり、時間も精神力も削られます。
    定期的な通院(歯科でもOK)の履歴があるだけでも、スムーズに進むことがあります。
    いろいろ言われているマイナンバーですが、作っておいたほうが便利です。

    2. 実家には年に数回帰り、生活の「変化」を見る
    電話の声だけでは分からないことがたくさんあります。
    帰省した際は、冷蔵庫(賞味期限切れがないか)、洗剤や日用品の過剰なストックがないか、ゴミ出しはできているかなどを確認してみてください。
    また、保険証や診察券の保管場所も把握しておきましょう。

    3. 見積もりは必ず「複数」取る
    実家じまいの業者見積もりは、同じ条件でも驚くほど違いました。
    私の場合は「80万円」「50万円」「20万円強」と大きな差が出ました。
    気持ちが追い込まれていると「もうここでいいか」となりがちですが、一度立ち止まる余裕が、結果的に心とお金を守ってくれます。

    4. 葬儀や会員制度は「今の状況」に合わせて見直す
    父の時、以前登録していた葬儀社の会員制度は使いませんでした。
    実家退去に伴い父の住民票を妹の住所へ移していたことで、私が積み立てていた別の冠婚葬祭サービスがその地域で利用できたからです。
    焦って契約せず、状況が変わるたびに「どのサービスが使えるか」を確認することで、良心的な価格で納得のいく見送りができました。
    父の遺影の写真も準備していなかったので、実家じまいの時に候補を選んでおいてよかったです。

    5. すべてを一気に片付けようとしない
    物の整理は、感情の整理と直結しています。
    アルバムや手紙など「今は判断できないもの」は、無理に捨てなくていいのです。
    私はアルバムを解体して持ち帰り、時間をかけて向き合うことにしました。 「いつかやらなければならないこと」を少しだけ先取りする。
    それだけで、別れの時間はほんの少し穏やかになります。

    私は父の直接的な介護というのをせずに見送りました。
    一方で夫や義父母に関しては在宅で介護、看病を経験し、ネガティブな思いもたくさん残っています。
    その比較で父に関しては少しきれいごとのような、感傷に浸ったような文章になってしまっているとは思います。
    ここが義父母との違いだなと思っていますので、そんなきれいごとではない!と思う方もいらっしゃるかもしれません。
    ですが、そこはnoteという場、読み物としての率直な思いや経験なのだなとらえていただき、寛容に読んでいただけたらありがたいです。

    この記録が、誰かの心の荷物を少しでも軽くするきっかけになれば幸いです。

     
     
    観花(MIHANA)です。 心・体・思考を整えながら、しなやかに自分の人生を歩んでいくことを大切にしています。 読んだあと、少しほっとできる。 そして、また少し前を向ける。 そんな場所でありたいと思っています。

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