実母No.5
下宿人には出ていってもらいました
そして父と2人の生活がまた始まりました
私は相変わらず学校と家事の生活でした
この頃からダンスがやりたくてたまらなくなり
習いたいと父に話しましたが
うちは事情が事情だし
私が家事もあり身体もきついから
今はやめてほしいと言われました
確かにその通りでした
この当時
母が通帳とかお金を
すべて持って出たので
家には2万円しかありませんでした
父は懸命に働いていたので
私が家事をやりました
この頃は
母の見栄で入れられた学校の周りの人と
金銭的にも感覚の違いを感じ
友達には
貧乏なの?と聞かれたりしたし
そもそも周りの親の職業が
医師とか会社社長とか役員とか
とにかくうちのような会社員の家庭は
数えるほどしかありませんでした
私は修学旅行も行かせてもらえませんでした
積み立てていたお金は
母がもって行きました
そしてこのままこの学校の大学には
行かれない
お金が出せなくて諦めるしかありませんでした
高校の授業料も分割して払っていました
主婦業みたいなことを
この頃からずっとやっていたので
結構願望が薄れていきました
そして高校を卒業したら
保育の専門学校にいくか
それとも唯一ダラダラ続けていたピアノと声楽
これを続けるために音楽の道に行くか
迷いました
ここで授業料が払える範囲での学校を探して
今でこそ結構有名になったけど
当時はどうだったのか?
短大の声楽専攻の道を選びました
これも今となっては
保育士の道の方が正解だったとおもいました
声楽やっていても
これでは食べていけないという現実
若いころは見抜けませんでした
父は保育士の方向を強くすすめましたが
私がミュージカルや宝塚ぎ好きだったのもあり
音楽の道にすすみました
話しが前後しますが
こんな環境で
よくグレなかったねと言われます
非行にもはしらず真面目だったのは
中学2年の時に
友達に連れていってもらった宝塚にハマって
宝塚を見ているときだけは別世界にいました
それがあったから家事ができたし
真面目にいられたのだと思います
たまたま学校が宝塚劇場まで
近かったので
公演を見ないけど出演するスターさんを一目でも見られるので
それだけが楽しみで学校帰りに立ち寄っていました
この事があって家事と学校と
頑張れたのかと思います
しかし学校の勉強はほとんどしなくなりました
受験があったので
声楽の課題曲やピアノに楽典を
勉強していました
楽典に関しては独学でした
習いにいくお金もなかったし
ピアノと声楽習うだけでした
