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芋出し画像

フォトグラファヌの私がシャッタヌを切れなかった日の話。

    クロヌれットを開ける。
    翌日の撮圱に必芁な小道具を準備しおいたらあるものに目が止たった。カヌキ色の小さなポヌチだ。胞がズキンずなる。私はそれを手に取った。数秒開けるかどうか悩んでから、積もっおいた埃をそっず払った。窓から差し蟌む光に圓おられお、埃たちは嬉しそうに舞い、私はそれをしばらく眺めた。

    私は写真を撮る。

    子の誕生や、入孊匏のような特別な日だけではない。子䟛達の寝癖や、食べこがしだらけのテヌブル、床に散らばったおもちゃや壁に貌り付けられた絵、倕方キッチンに差し蟌むオレンゞの光。特別なものず思えないような日垞の写真が奜きだ。撮ったこずさえも忘れおいたような䞀枚が、埌で芋返した時心を枩かくしたりする。だから今日も撮る。スマヌトフォンに保存されおいる写真の平均枚数は、党幎代の平均で玄1,411枚らしい。私のカメラロヌルには珟圚、87,311枚の写真が入っおいる。

    そんな私が、䞀床だけ、どうしおもシャッタヌを切れなかった日がある。その日の話をさせお欲しい。


    2025幎、3月18日。
    母から、入院しおた父方の祖父の容䜓が悪く、そろそろかもしれないから顔を芋に行っおあげおず連絡があり、私は10幎以䞊䌚っおいなかった祖父に䌚いに行った。祖父は病宀のベッドで静かに暪になっおいた。病宀たで案内しおくれた看護垫さんは確かに「今日はずおも調子いいみたいですよ」ず蚀っおいた。10幎振りに䌚う祖父の䜓には䜕かよくわからない管がたくさん付いおいお、目は開いおいたが蚀葉は発せない様子だった。胞がチクリず痛んだが、私はその痛みを誀魔化すように祖父に声をかけた。

    「じヌじヌ、みづきだよ。わかる぀ずむのずころの。」

    その時確かに祖父の目はこちらをじっず芋぀め少しだけ口角をあげ、手を動かそうずした。その反応だけで、圌にはしっかり意識があり、私をちゃんず認識しおいるのが分かった。ただ死を埅぀ばかりの郚屋で、圌の瞳は子䟛のように茝いおた。病宀では心電図の音がひたすら鳎り響く。カヌテンの向こうからは「泚射は怖いよ〜」ずいう他の患者の声が聞こえおいた。祖父の手を握りたかったけど、包垯のような物で固定されおいお叶わなかった。私は祖父の胞元に手を圓お、たるで子䟛を寝かし぀ける時のように優しく䞁寧にさすりながら話しかけた。

    「5月にたた子䟛が産たれるよ。4人目なんだ。今日は旊那さんも連れお来たよ。」

    返事はなかった。それでも䞍思議ず「聞いおくれおいる」ず思えた。面䌚時間の15分間私はひたすら、頑匵っおるね、すごいよ、ず話しかけながら、数少ない祖父ずの蚘憶を思い出しおいた。

    祖父が買っおきおくれるアむスは、決たっおバニラ味だった。あたり付きで、ただ幌かった私には少し倧きいそのアむスをい぀も倢䞭で頬匵った。䞀緒に倖出した蚘憶はないけど、近所でばったり䌚うず決たっおお小遣いをくれた。蚘憶の䞭の祖父はい぀も嬉しそうだった。

    私の父が3歳の頃、祖母は癌で亡くなっおいお、祖父は1人で私の父ず䌯父を育おた。父は祖母ずの蚘憶はほずんど無いず蚀っおいた。父は耇雑な家庭環境で育ったこずもあり、䌯父や祖父ずは少し距離があったが、たたに䌚う祖父はい぀も笑っおいお、優しくお、早口で䜕を蚀っおいるのか分からないこずもあったけど、私たち兄匟は祖父が奜きだった。

    月日は経ち、私も兄匟も倧きくなり、それぞれ郚掻や友達ずの玄束を優先したい時期で家にいるこずも少なくなっおいたし、祖父ず䌚う機䌚が枛っおいたのは圓時自然なこずのように感じおいた。

    数幎ぶりに祖父に䌚った時、私は18歳ずいう若さで劊嚠しおいた。未婚で育おるずいうこずが決たっおいただけに、芪戚呚りぞの報告は決しお祝犏のムヌドではなかった。しかし祖父だけは違った。劊嚠しおるんだず䌝えるず、満面の笑みになり真っ盎ぐな瞳で「おめでずう」ず蚀い私の手を握りブンブン䞊䞋させた。その埌に父の方を芋お、「お前もじヌじヌになるのか」ず嬉しそうに蚀っおいた。盞手は誰なの育おおいけるのそんな疑問などひず぀も浮かんでいない、無垢で、真っ盎ぐな祝犏だった。圓時18歳の私は初めお心からのおめでずうを聞き少し動揺さえした。劊嚠は祝われるべきこずだず忘れおしたっおいたこずにこの時気が぀いた。

    匕っ越しをするから手䌝いに来お欲しいず、䞀床䞡芪に連れられお祖父の自宅を蚪ねたこずがあった。その日の蚘憶は殆どないが䞀぀だけはっきりず芚えおいるこずがある。私はその日、祖父に「これはあんたが持っお行きなさい」ずカヌキ色の小さなポヌチを貰った。䞭には祖父の字で "矎月にあげる" ず曞かかれたメモ甚玙ず、梱包材で倧切そうに包たれたバレリヌナの眮物が入っおいた。おそらく長い間どこかに食っおあったのか、底面は也いたボンドのようなものがくっ぀いおいお、無理矢理剥がしたような跡が残っおいた。その時はただ、綺麗な眮物だな。くらいの気持ちで受け取った。今ずなっおはこれが、祖父が私に残した唯䞀の圢芋だ。

    私は祖父の写真を䞀枚も持っおいない。カメラの仕事をしおいながら、日垞写真の尊さを発信しおいながら。祖父の胞に手を圓おながら、祖父の写真が欲しいず匷く思った。フォトグラファヌずしおではなく、1人の孫ずしお。でも祖父に䌚いに行かなかった10幎ずいう長い幎月がどうしおもそれを蚱さなかった。私にシャッタヌを切る勇気はなかった。私がママになるずいうこずをあんなに喜んでくれおいた圌に、産たれた子を芋せにも行かなかった。い぀か䌚いに行けばいいずいう軜い気持ちが今のこの状況を䜜っおしたった。その事実は今日も私の胞を締め付ける。

    2025幎、3月26日 祖父が亡くなったず連絡を受けた。私はひずりリビングで倧きくなったお腹をさすりながら泣いた。死や死埌をテヌマにした映画や本はたくさん芋おきたけど、これほどたでに死埌の䞖界が本圓にあっお欲しいず匷く思ったこずはなかった。1人で倧奜きな母芪を倱った小さな子䟛ふたりを育おるこずがどれだけ倧倉なこずか私には想像も぀かない。祖父はやっず祖母に䌚えたのだろうか。そう願っおしたうのは少しでも眪を軜くしたいず思う卑怯な私の゚ゎからなのだろうか。

    私はゆっくりずポヌチを開け、バレリヌナの眮物を手に取った。祖父はなぜ、この眮物を私にくれたのだろうか。底面に぀いたボンドを眺め、どこに食っおいたのか想像しようずしおみたが䜕も浮かばない。長幎䞀人暮らしをしおいた祖父がなぜこんな可愛らしい眮物を持っおいたのか。もしかしたら、か぀おは祖母が持っおいた物なのだろうか。いくら考えおももう知る術は残されおいない。


    祖父の写真は䞀枚もない。
    その埌悔が、今日も私に日垞を撮る理由をくれおいる。写真は思い出を残すものではない。い぀か思い出になる今日を、未来ぞ届けるものだ。

    だからは私は今日も撮る。


    远䌞

    じヌじヌ、長い間よく頑匵ったね。パパを立掟な倧人に育お䞊げおくれおありがずう。おかげで今の私がいお、4人の可愛い子䟛たちず幞せな毎日を過ごせおいるよ。い぀か䌚えたら、あの眮物の話を聞かせお欲しいな。それたで、なるべく埌悔のないように頑匵っお生きるよ。蚘憶の䞭のじヌじヌがたくさん笑っおお嬉しいよ。可愛がっおくれおありがずう。倧奜きだよ。

                   矎月より







    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

     
     
    奜きなもの、奜きなこず。

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