
Ep.22 南回帰線を舞うひとひらの蝶 ― ヤクザ曰く「5年後には娑婆に戻れるさ」
響とフェイショートを乗せたジムニーは、右側に3000メートル級の山脈、左側にインド洋の水平線を臨みながら農場が延々と続く2号線を南下する。
響には、大学時代に冬も夏もしばしば下山先となった富山県を想起させる地勢だ。3000メートルを越える剣立山連峰から50キロのうちに海に落ち込む急激な落差。山脈が冠雪している時期は、故郷日本で極めつけにダイナミックで美しい風景。
だが、カバを発狂させる魔法でモザンビーク政府軍から逃げ延びたジムニーは、燃料が底を付いている。
「俺とコミュニストに唯一の共通点があるとしたら、唯物論者である点か」狭い後部座席で痛む腰を癒そうとしているフェイショートが言葉をもらす。「助かったことは認めるが、呪術はこれから先も信じない。あのムーティは、秘密裏に現代薬学で調合された興奮剤だったのだろう。おかげで俺は政府軍を一人も撃っていない。
「ところで、呪術薬でカバを発狂させて政府軍を襲わせた話は、南アの白人には絶対聞かせるなよ。誰も現実と信じないし、狂人扱いされるし、キリスト教徒が憎悪する魔女の仲間だと見なされると警察に捕まる恐れすらある。南アには、魔女を取り締まる法律がまだ存在するのだ。皮肉にも、キリスト教徒こそが“未開の民”なわけさ。
「クワズール・ナタール州は昔、ズールー族が王国を築いたり、オランダ系白人がナタール共和国を建立したりしたが、すぐにイギリス系白人に征服された波乱万丈の土地だ。
「俺は無神論者だ。5年前に亡くなったヒビーキの親父さんも神を信じないと言ってたな」
「血がつながっているかもしれないけど、僕は愛人の子なので、先代の社長を父と思ったことはありません」響がムキになる。
大阪のゲリラ的商社SK貿易の現社長は、前社長の年の離れた妹。響と5歳しか違わない叔母だ。
「親父さんの驚くべき過去は、彼が若い頃に共産党の活動員であったこと」
響も知っていた事実だが、前社長の話は続けたくなかった。響の気持ちの沈みと呼応するかのように、ジムニーのエンジンが停止する。
一方、香ばしく焼けた焼き肉の山に阻まれながらも、アフリカ・ゾウ数頭と共に別の隙間からクワズール・ナタール州に脱出した元ヤクザ芳賀は、リサの実家に身を寄せて、大勢のズールー人をこき使う富裕白人の暮らしを満喫していた。いつも甲斐甲斐しく芳賀に寄り添っているリサが、まさか“プリンセス”だったことに驚いた。
さらに芳賀を驚かせたのは、冬には冷える屋敷内の暖炉の上に置かれていた日本刀。日本刀と言えば日の丸だ―と芳賀の極道魂に火が付く。
リサの父に日本刀を手に取ってよいか確認すると、サムライだ!と喜んでOKする。アフリカーンス語で「日本人はサムライ文化の民族だから名誉白人なんだ」と意味不明な賛辞を浴びせるリサの父。
いや俺はサムライじゃなくて極道だと訂正したくなるが、極道の成り立ちをブール人相手に説明するのは、卑屈な歴史背景を述べることになるのでやめておく。
そのあと、真剣で素振りをしたくなり、広い庭の端っこに立って、真剣を振り回す。すると、門の外に日の丸が見える。響たちのジムニーが偶然、リサの実家の前でガス欠になったのだ。
気の狂った暴漢みたいに、真剣を振りかざしてジムニーの前に立つ芳賀。門の傍で遊んでいた地元のズールー族の子供たちが血相変えて逃げ出す。
後部座席で腰をさすりながら短銃を構えるフェイショート。
元ヤクザと元傭兵の遭遇は、ライオンとトラの初対面に似ている。緊張が走るが、すぐにはお互い手を出せない。2人は面識がない。
すぐに響が運転席から顔を出し、「芳賀さん、南アの田舎でカチコミですか?」と笑いながら反応する。
響は落ち着いた口調で、男が自分の友人であり、日本のマフィア上がりであることをフェイショートに説明する。「『ザ・ヤクザ』でロバート・ミッチャムと共演していたタカなんとかと言う日本人に似たハンサムだな」と好意的な反応。実際、芳賀のファーストネームはケンだった。
芳賀には、こちらのコワモテは南アで世話になっているフェイショートさん―と日本語で紹介しておく。「芳賀さんのことを高倉健に似てるって」
1980年代以前の顔に皴のない引き締まった輪郭の高倉健である。普段から熱烈ケンさんファンだった芳賀が気をよくしたのはもちろんのこと。
「日の丸は何で掲げてる? あんたらのクルマはガス欠なんだろ? オレも日の丸が欲しいなと思ってたところなんだ」芳賀が交渉を持ちかける。
ガソリンを満タンまで分けてもらう代わりに、日の丸を渡すことで話がまとまった。しかも、今夜のディナーも振舞ってくれると言う。
2人を迎え、リサ、両親、芳賀が揃って地元で獲れた鹿肉メインのディナーが始まる。鹿と言ってもアフリカに鹿はいない。チーターの好物インパラだと思われる。柔らかな赤身がメインで、ジビエ的には鹿の仲間である。
アパルトヘイト下の南アの地方では人口の5パーセントしかいない白人が農場を営んでいたが、英語を喋らずオランダ語から派生したアフリカーンス語を話す白人がいた。テレビ放送も新聞もアフリカーンス語を使用している地域があり、響のような外国人にとって悩みの種だった。
元ヤクザの芳賀は、アフリカーナ女性と交際を重ねていて、アフリカーンス語をマスターしていた。
リサの実家で晩餐にあり着いた響とフェイショートは、モザンビーク政府軍から逃亡して来たことに一切触れない。芳賀は芳賀で、反政府ゲリラを大量に殺害して南アに舞い戻った(本来なら芳賀好みの)武勇伝を話そうともしない。
ふと隣室から電話が鳴る。使用人が「日本大使館からです」と芳賀に取り次ぐ。話している内容は日本語だったが、聞き取れない。
芳賀が少し曇った表情で晩餐席に戻る。「日本から逃げ出したヤクザは大使館員に弱みを握られている」と日本語でつぶやく。
いつもの定番ポートワインよりアルコール度数が低い南アワインを飲んでいるのだが、フェイショートは疲れているのか眠そうにしている。
響も酔いが回って深夜零時前にふかふかの客人用ベッドで熟睡に落ちる。
気が付くと、剣岳かどこかの雪渓で自衛隊ヘリに救助されるところだった。それまで魔女の魔法で翼竜サイズまで巨大化した雷鳥に襲われて、仲間たちが何人か上空から落とされて死んだ。ヘリに引き上げられた瞬間、ヘリの爆音が広大な庭から聞こえて来た。
眩いヘッドライトを装着した兵士らしき男数名が隣りのベッドのフェイショートを取り囲み、手錠をかけて拉致する。
国境を侵犯してきたヘリが去っていく爆音だけが残った。モザンビーク政府軍が反政府組織関係者フェイショートの奪還を果たした瞬間だった。カバに食いちぎられた落下傘兵の無念は晴らせたのか。
騒ぎに目を覚ました芳賀がやって来る。「日本大使館からの電話でフェイショートが連れ去られることは知っていたよ。響は不問に付すとのことだ」
いつもは大人しい響が芳賀に腹を立てる。「あんたは密告者じゃないか」
芳賀が冷静に反応する。「俺と付き合いのある大使館員は、自らCIAのエージェントだと匂わせている。御堂君らの工作活動が成果を上げて、コミュニストどもの腐敗がもう止まらない。5年ほどしたら、東側諸国の体制が崩壊し、モザンビークの政治犯もいずれ自由の身になるそうだ」
クワズール・ナタール州の風に乗って、元傭兵が消えた後の室内にひとひらの蝶が舞い込んできた。
[了]
※次期「創作大賞」に応募するスピンオフ『アンタナナリボの亡霊』にて、インド洋を渡って来たマレー系アジア人がフランス人支配者と織りなす歴史を通じて亡霊と精霊に染まった共産政権マダガスカルで響が体験した奇異な出来事を描写することになる。